INFP型・HSPのブログ

MBTi診断INFP型でHSP、40代家庭持ち営業マンの日記

INFPは日本が合わない

INFPの読者さんより、INFPは日本が合わないというようなお話を伺いました。

その真意は分かりませんが、とにかくこの日本はせちがらく生きるのが大変とのことです。

 

大学時代の友人T・N氏

▽▽

この日本はとてもINFPには生きづらいと思う。

変に考えていることがお互いに分かり合える、空気を読みあうこの地は、やはり島国ならではの文化が発展し、お互いに気を遣いあう必要があるからだ。

僕はこの細かくお互いの脳が透けて見えているような世界では息苦しい。
相手に悟られないために、自分が嫌われたくないがために聖人のようにあり続けないといけなく感じるこの空気圧はとても苦しい。
廊下で遠くから向かってくる人と挨拶するタイミング。
初対面で話が盛り上がって、後日会ったときに話すネタが尽きてどぎまぎする気まずさ。
普通なら気が付かないレベルでも第六感的なものが働き、相手が少し不機嫌だと察知した時の圧迫感。
人がずらずらと並んでいる空間、例えば学校の机のポジショニングやオフィスの規律正しく配置された、あの無理やり統制されたような辟易さ。
いろいろあると思うけど、とにかくこの日本人に生まれたからなのかどうかは分からないけど、機敏にいろいろなものを受け止められずにはいられず、息が詰まる。

それならばいっそ海外に行って、あの無機質な西欧のお人形のような目でもってこちらを捉えてもらった方がまだ、割り切れて、心の持ちようも楽になるのではないか。

そう思う。

はっきり言ってこれは、戯言だ。

僕は海外で生活したことがないのだから。

海外にいく勇気もないのだから。

 

でもこの日本にいるからこそ、自分のこの、愛想は悪くないのに、誰に対しても遠慮して、腫れ物に触るかのような態度をとり、君子を気取る、、そうした性格の癖に孤独感すら覚える始末なのだ。

孤独とは一人の時に感じる感情ではなくて、人といるときに、その周囲とのコントラスト(みんなあんなに楽しそうなのに。。)で感じるものだ。

もしかするとこのINFPたる私の祖先は宇宙から遅れてやってきたのかもしれない。

―えっ?その遅れてきたけど、進んでいる星からやってきたように聞こえるって?東京から地方に引っ越してきた学生がうまく溶け込めない、と言っているようだって?

そんなつもりはないよ、でもどこか気取って、プライドが高く見えてしまうのかもしれないね、、本当は、自信と不安の間で日々揺れ動いて不安定な気持ちなのだけれども。。

とりとめもないけど、

やっぱりINFPの僕にこの日本は合わない、そう思う。

そうっとしておかれても不自然じゃない環境、それは異国の地なんじゃないかと、そう思う。

もしかすると、隣の芝生が青く見えているだけかもしれない。

そう、本質的には、青い鳥症候群、そういうことなのかもしれないね。

でも、、そう思わずにはいられない、もっとどこかに理想郷があるんじゃないか、この日本の外にあるんじゃないかと次第に思うようになったんだよ。

△△

そういっていた彼の行方はその後知りません。

安住の地に行けたのか、それとも未だ不満うずめくこの日本で生活しているのか、はたまた改心して日常に溶け込んでいるのか。

ただ、本当にいい人でした。そんな彼が不幸になるのはいたたまれない限りです。いまや連絡はもうとれなくなりましたが、彼が穏やかな日々を過ごしていることを願ってやみません。

 

infp-t やばい

INFPーtは、どうヤバいのでしょうか。やばい、という言葉には、真逆のニュアンスを持ちます。一つは元来の、ピンチ、身の危険が差し迫って窮地に立たされたという意味合いのやばい、もうひとつは、逆の意味合いで、程度が想像を超えるほどに良質つまりメチャクチャすごい、美味しい、ビックリするほど出来がよいということです。

ではINFP-tとはどうやばいのでしょうか。

読者さんよりコメントを頂きましたのでご紹介します。

▽▽

INFP-tはやばい?

 

管理人さんどうも。

さてINFPはやばいと言われます。とくに、INFPの中でもINFP-tがやばいです。

※INFPにはINFP-AとINFP-tがありますが、

 


INFPーA ・・・ 一見内気で大人しいがしっかり芯があり嫌なことは嫌といえるタイプ。どちらかというとISTPに近い。
INFP-T ・・・ 一見大人しいし、実際に大人しい。芯もあるが主張性に欠けるため、何を考えているか分からないと思われがち。 

 


そう、INFPーAはまだ自己主張があるため意思疎通がしやすく、とっつきにくいながらも付き合うにあたり、こちらの出方に戸惑うことはないのですが、INFP-Tは反応から本心が読めず、扱いづらいようなところがあると思います。

そのために、INFPーTは何を考えているのか分からない、やばい、と言われるのかもしれません。

実際は、この世のことを深く考え、弱者に思いを馳せ、心を痛めているような優しき人格の持ち主で、決して人やモノに危害を加えるようなことはことはない、つまりはヤバさは微塵もないタイプなのですが、、つまり誤解を生みやすいのでしょう。

 

 

別に何を企んでいるわけでもないのですが、INFP-Tは、例えば職場では、

分からないことを誰かに聞くと迷惑をかけるから自分で解決しようと、時間をかけて、もじもじ、たじたじと戸惑ってもがきあがたいた結果、えいやぁと自己判断で仕事をやってしまうことがあります。

これがうまくいけば何も起こらないのですが、だいたいが失敗に終わるため、

周囲からすると、よくそんな勝手な判断をしたな、あの人やばいな!と思われるわけです。INFP-t本人からすると、これだけ苦しい思いをして判断したんだからと妙に働いた感じもあり、理不尽な怒られ方をしたと思うような場面もあるのですが、周囲からすると、少しでも不安があることは、上司なり先輩なりに相談しろ、と考えます。

そのために、未熟に判断し進める姿は危なっかしい感じに見えて、しかも何度注意されてもそんな様子で、それがやばい、という評価になるのです。

※INFPさんからすると、周囲に聞いてもみんな忙しくて刺々しく扱われるからますます聞きづらくなって、自己判断せざるを得ないという状況であります。これは日本社会の問題でもあり、気が弱い人に忙しい時に質問されると粗雑に扱ってしまうという、なぜか弱い者いじめ的な風潮があるのも事実でしょう。組織に余裕がない、というのでしょうか。そういう意味ではINFPがヤバいというよりもこのギスギスした社会がやばいのです。

 


INFPーtがやばいと言われるのは合っていない環境にいるから

INFP-Tが、カッコいい的な意味合いで、つまり、INFPって素敵だよね、カッコいいよね、マジかわいいよね、というような意味合いでの、INFP-tやばいには結びつかないでしょう。やはりどちらかといえば、周囲の平均さからズレててやばい、がニュアンスとして近しいでしょう。

でもそれは、INFP-tがこの社会の集団生活の中で生きるときにやばい、と言われるのであって、本来過ごしやすい世界では決してやばくはないと思います。いうなれば淡水魚が海で過ごすようなものです。淡水魚も海で過ごすことは不可能ではないにしても、その環境下の違いからすぐに弱ってしまいます。INFPーtもまた同じ人間界の空気を吸っていても、空気の質が違うのです。もっとINFPは自由で、思うがままに生きられる世界で羽をはばたかせることができる、つまり芸術的な世界であったり、職人的な世界であったりということです。

INFP-tはやばくない

つまりは、INFP-tはやばくないです。

彼、彼女たちの相談に乗ってあげると、バカなことをしたとしても、その思考回路は馬鹿ではありません。色々と考えて、でも気を遣いすぎてだれもにも相談できずにそうした行動をしたことが分かります。

心優しき、、周囲に遠慮しすぎるがために、一見やばい行動をとるのだと思います。彼、彼女たちを気にかけてあげて声を拾うようにしてあげると、よく分かります。本当は誰よりも迷惑をかけまいと懸命にやっていることに。

なので、これは社会との相性の問題でもあるのですが、、

少しでもINFP-tの人たちには優しくしてあげたいですし、またINFP-tの人たちには成果を出すために図々しくなってほしい、とそう願う次第です。

▲▲

コメントありがとうございました。

何事も中庸が大切ですが、INFPさんの場合はエネルギーが内に向かいすぎるために、人への働きかけが弱いという部分があるのかもしれませんね。そういう意味では、これやると嫌われるかもというぐらい図々しくなろうと接するくらいで、INFP-tさんにとってはちょうどいいのかも、しれませんね。

 

 

 

 

不思議ちゃんと言われるINFP

 静かな川は底が深い。INFP、その奥深く深遠な性格は、もはや妖精のような存在であり、不思議めいているともいわれるようです。

実社会の日常生活というものとは距離感があり、生活感がないように人の目には映るかもしれません。仕事でもほわほわとしていて、やっているのに、アピールが不足して、無駄なことばかりしていると暴力的な上司にマウンティングをとられているかもしれません。

不思議な魅力を持つINFPさんです。その人の心の奥を見つめるような眼差しはミステリアスです。

さて、読者さんより、INFPは不思議ちゃんといわれる、という経験談を頂きましたのでご紹介いたします。

[長崎県:j・Y様]

▽▽

世間はコロナが賑わいながらも慣れ果ててすっかり元の日常にもどりつつある日々を、どこか寂しげに眺めている不肖者の私です。

MBTIでいうINFP型の性格をしている私ですが、周囲から、不思議ちゃんと呼ばれます。

どこが、なぜ、と自分では腑に落ちないことばかりですが、周囲からすると、天然で、何を考えているのか分からないそうです。

私はもうすっかり中年の域に差し掛かり、多少の波乱はありながらもまともに、まとも、というとおこがましいですが、少なくとも親兄弟以外の他人様には危害を加えるような生活を送ってきた覚えはありません。

しかし、どこか浮世離れしているらしく、世の中のしきたりみたいなものに呼応できていないようです。空気が読めない、というか、ピントがずれているというか、そういう印象だそうです。

不思議ちゃんといわれる理由

そわそわして挙動不審→不思議な感じ


複数人でいると心が落ち着かず、そわそわしてしまいます。そこに苦手なタイプの明るくシャキシャキしたタイプがいると、いつ何をいじってくるのかとオロオロとしてしまい、その心のざわめきが挙動を乱れさせるのだと考えています。しかしそれを表に出すまいとする理性、このはざまで自然さを失い果て、不思議ちゃんと見られるのでしょう。

天然ボケ的なキャラに見られるかもしれません。

しかし、本当は自分のおかしな挙動に気が付いています。そうした点では、客観性を失っておらず、真の意味での天然キャラではないと思っています。

 

話しかけられたときの返答に窮して訳の分からないことを口走る


話かけられたときにあれこれと思案してしまい、キョドる。まるでクイズ番組で秒読み態勢に追われてオロつく回答者のような気分を、毎日のように味わいます。

そしてまとまりのないことを口走ってしまい、不安定、そして的外れな印象を与える。これが不思議、というか何を考えているか分からないというような受け取られ方をするのかもしれません。

 

勘違いが多い


とくに気が強い人や急き立てるようなタイプの人と対峙すると、圧倒されて、話が理解できずに勘違いしてしまうことが往々にしてあります。

これが変な回答となり口をついて出ているので、「あいつは何を言っているのか分からない、不思議なやつだ」と言われるのかもしれません。

 

早合点する


勘違いする、に似ているのですが、せかせかした世間のペースに追いつけず、早合点するようなところがあり、それが周囲からするとミラクルに映るみたいです。そんな早とちりする!?みたいな。

 

心ここにあらず


いつも何かの空想のみならず、やらなければならないタスクが脳内でうずめいており、目の前のことに集中できません。そのため心ここにあらずな状態となります。

空返事、生返事は日常茶飯事で「話聞いてるの?」といわれること多数。

口癖は「なるほど」「そうですね」という適当な相槌となって現れ、これが地に足のついてい印象を与えるのでしょう、つまり不思議ちゃんです。変なことをアウトプットするわけではなく、ただ、想定外のトンデモなリアクション、これが不思議感を演出するのでしょう。

 

人見知りなのに人当たりは悪くない


基本的には人見知りです。でも人の気分を害すまいとあらゆる仮面を駆使して性格を取り繕い、日々を送っています。そのため、人からは、そのところどころボロを生む変な空気感に戸惑いを覚え、真意が汲み取れず、結果、何を考えているか分からない不思議なやつだと、そういう評価になるのでしょう。

 

好き避けする


好きなのに避けてしまう、そういうことがあります。照れ、とか恥ずかしさ、そういう感情にめっぽう弱く、まともでいられません。そういう矛盾性もまた不思議さを生むのでしょう。

とりとめもなく綴ってしまいました。

すみませんでした!

△△

コメントありがとうございました。

ピュア、なのだと思いました。

不思議と思われても大丈夫です。人はきっと、本当は優しくて真面目な人間性をもった方だな、と思ってくれていると思います。

どうか気に病まず、健やかにお過ごしされることを祈っております。

 

 

INFPの適職、コンビニのアルバイトが天職

INFPの読者様よりコメントを頂きましたのでご紹介します。控え目な性格のINFPでコンビニのアルバイト、つまり接客業は想像がつきませんが、やれば意外にも馴染むようです。

【神奈川県:U・T様】

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INFPはコンビニのアルバイトが天職

管理人さんこんにちは。いつもブログ読んでいます。

 

さて、本日お伝えしたいこと、それはINFPの仕事についてなのですが、 ネット上を見てみると意外に接客業が外されていることにリアリティがないな、と思います。

意外とコミュニケーション能力は高いので接客業は務まると自分の経験から、そう感じています。

 

コンビニの店員はINFPでも務まる

実際にコンビニ店員を過去やっていましたが、これはコミュ障の私でもラクでした。 ラク、といっても私はコンビニの中でもきついとされる夜勤をやりましたし、稼ぐために連続25日勤務(一日10時間勤務)なんかもやったりしました。自分でいうのも何ですが、かなり頑張ったほうかと思います。

 

なぜコンビニ勤務が務まったのか整理しましょう。

 

特定の言葉しか喋らない から向いている

接客業といってもコンビニ店員の仕事って決まったワードを繰り返すだけです。

いらっしゃいませ、何々が一点…合計で何円になります何円のお返しです、といった具合ですね。

とにかく一か月もあれば必要な言葉は覚えていまいます。 こんなの人見知りとか話すのが苦手とか関係ありません。

始めのうちはド緊張ですが次第に自分でもビックリするくらい順応します。

 

結構コンビニの同僚は人見知りで内気な感じでINFP的


気になるのが同僚の存在。

コンビニはだいたいシフトで回すものですからパートナーの存在が肝になります。

そのときのパートナーが明るく元気なタイプの人間だとしんどいです。コンビニ勤務していると必ずポカーンと暇な時間帯がありますから、その間になんとなくその同じシフトのパートナーとコミュニケーションする必要があります。そんな時に人が合わないと仕事は暇なのにきつく感じるということになります。

 

ただ、だいたいコンビニ店員は以外にも大人しいタイプの人間が多くて、、つまり相手もINFPたる自分と同じように控え目な人間が多く、割に居心地は悪くないものであると考えてOKです。

 

 人の入れ替わりが激しいのですぐ先輩立場になれる


人が辞めていけば自ずと立場は上になってきます。コンビニという業態は一時しのぎでバイトする人間が多く、離職率が高い業界です。つまり入った時に生意気だったあの後輩も、また仕事できる気取りの先輩もすぐ辞めてしまうものなのです。

 

だからちょっとだけ辛抱すれば先輩的立場になりINFPでも優位に立てます。一番いいのはオープニングスタッフで入り古株になるまで辛抱することです。

 

というような具合で、意外にINFPでも接客業は務まるということを知ってもらいたいのです。

 

ただ、コミュ障は仕切るということが何よりも苦手な人種ですので、昇格してバイトを指導する立場になったりすると結構精神的にツラいです。 間違っても店長になったらいけません。 心を病みます。

そういう意味では、最後まで残って出世的立場に身を置くというのは地獄かもしれません。そうなると違うコンビニに行ってまた一からやるのがいいでしょう。流れコンビニマンです。

でも、責任負わされて出世するよりも気が楽でいいのではないでしょうか。

いいすぎました、それは同じINFPといえども価値観ですね。いずれにしても、、怒られやすい性格なのでどこにいっても注意は必要です。

コンビニもお客さんから怒られます。

▲▲

ご投稿ありがとうございました。

コンビニの仕事はきつそうですね。あんなにいろんな人が入れ替わり立ち代わりくる環境下にあっては、平均的な人でも気疲れしそうな気がします。

何はともあれ、やってみないと仕事の合う合わないは分かりませんが、少なくとも3日間あれば判断つきますよね。3日間でキツイと思った仕事はだいたいがしばらくキツイです。慣れるのはもう本当5年くらいかかります。ちなみに5年もてばどんな仕事も定年まで持ちこたえることができるものです。世の中のおじさんやおばさんたちが楽々やり過ごしているように見えることが、若い立場の人から見ると「あるある」ですが、あれは長年を乗り越えたアドバンテージがあってのことです。継続は力なりとは、つまり長くやり続けるということでしょう。ピントがずれましたが、コンビニも未経験者は一回やってみるといいかもしれませんね。

価格競争力を勝負とする会社やメーカーはブラックな労働環境となる可能性が高い

価格競争力とはつまり、安けりゃ売れるという理論です。私は、そういう価格競争力に訴える会社で働いています。しかしそういう会社はブラックな労働環境に陥りやすいと考えています。※ただ一概にブラックでもなくて、上層部は楽してホワイトな場合は得てして多いです。

これは単純に、時間当たりの人件費が安く抑えられているからです。

一人当たりの給料自体が高いことが多いかもしれません。しかし、見えない残業がすごいのです。毎日の積み重なるサービス残業、脳と心が休まらない休日。(仕事のことを考えざるを得ない環境、そして鳴る電話)

これは一つの構造であり仕組みだと思います。

日本人の持つ、根柢にあるもの。

自分が苦しんでいるんだから自分以外もひどい目に遭えばいい!という、狭い心。そんなことをいうとバッシングを受けそうです。でも、もし、他人の不幸は蜜の味という、そんな気持ちが断片的でも共感できるなら、それは、そういうことなのだと思います。

 

話はそれましたが、

つまりは搾取。

 

でもこれはマインドセットでもあります。

自分が魂を削って奉仕しているからこそ、価格競争力を生む。そして顧客から喜ばれる。これはこれで一つの価値です。価格による価値です。

 

こうなると、あとは、覚悟を決めて、その会社に残るか去るか。

 

価格競争力とは一つのボランティア精神でもあります。

もちろん、あまりにも給料が安い場合は、経営層が甘い汁を吸うための仕組みを作っている可能性があります。不公平性があるのでこういったケースでは、早く職場を辞めて、潰しにかかる必要があるでしょう。

でもそこそこの給料があるならばそれは一考する必要があるでしょう。

仮にサービス残業ばかりでも、時給換算で東京のアルバイトの最低賃金を割っていないのであれば、メリット・デメリットを天秤にかけてすごく悩む必要があります。

その仕事が好きか?

そうでないならば、

他に転職した時に時給計算で割に合うのか?

そうしたところを吟味する必要があると思います。

 

もちろん、だらだらと10年過ごしてしまうことだってあるので、ここはひとつ、区切りを設けて、やはり3年、2年でもいいと思います(経験上、2年間経って感じたことは3年経っても変わらない)、そのあたりで判断したほうがいいと思います。

私の例でいうと、ヘタに10年過ごしたために、その道でやらざるを得なくなりました。

それはそれで覚悟もついていいのでしょうけれども、、いばらの道です。

 

脱線しましたが、仕事選びは商材が、単価がより高く、そしてより短期間で売れるものを選ぶのがいいと思います。(※単価が高いからといって家、土地などの不動産は短期間で売れるものではないので選んではいけません。これもまたブラックです)

 

 

 

向いてもいない仕事に向き合う日々で培われた惰性

久しぶりの更新となりました。なんとか私は1年、生きていました。厄年を痛感し、果たして自分はこの危機を乗り越えられるだろうかと、、そう思いながら後厄を生きています。男の厄年の中でも40歳のやつは大型で大厄です。そんな先入観抜きにハードな年でした。それもあと2か月。あと2か月で厄は抜ける。

しかし、世の中はきっとそうも簡単ではなくて、この後も苦難はあるでしょう。

昔の結婚のスピーチであったように、人生は、上り坂、下り坂、まさか、です。

そう簡単に乗り切れるわけなんてないでしょう。

 

でも、よく頑張った。自分を褒めてやりたいです。

42歳になった今の私はいくぶんか図々しくなることに成功し、以前よりも図太くたくましく生きていけているように、そう、客観的に感じています。

もはや目指すステージもなければ、なりたい自分像もない。

ただただ、自分と家族、母親、父親、兄弟妹の幸せと、じいちゃん・ばあちゃん、ひいては先祖の冥福と、今の仕事がうまくこと、会社の上司に怒られないことを祈って日々を、生きる、そんな感じです。

 

向いていない仕事をやり、

つまりは、毎日が苦痛で、月曜日は魔物のように感じられるこの日々も、

自分に課せられた使命、

きっとこのカルマが浄化され次第、きっとそれは平穏へと向かうのだろうと自分を説得する日々、それもまた、非効率的ではありますが、悪くはないでしょう。

でもそうして培われた惰性で生きる術もまた私は身に着けました。

永遠に繰り返すようなこの地獄のようなルーティンもまた、一つの人生、色、味、、いわばストーリーです。

 

この惰性の生活もまた悪くはないのではないか、この日々の作業に追われる仕事人生も決して無駄ではなく、この惰性の延長こそが実は生きるということなのではないか、人は惰性をいかにして自分なりに意義を見出せるかが、その人生の価値なのではないか。

首題とは脱線しましたが、そうやって、命を紡いでいきたいと思いました。

 

INFP怖い

 INFPの読者さんより投稿頂きましたのでご紹介させて頂きます。

INFPは怖い、とも言われるようですが、それは相手を威嚇するような怖さではなく、何を考えているか分からないような怖さなのかもしれません。

▽▽

INFPの怖さは太宰治人間失格」にある


太宰治の名作「人間失格」を読んだとき、これは自分だ、と思いました。


毒も盛られていますが、


こんなにも、異様にこの世が息苦しいと感じるのはINFPたる自分だけじゃなかったんだ、と勇気づけられた作品でした。同時にINFPの怖さといいますか、闇を確認できた次第です。


INFP型である私は人から怖いと思われているか?

私の場合は、まず人から怖がられるようなことはありません。どちらかといえば無口で大人しく、取り乱すこともないからです。挑発されない限りまず自分から相手に対して怒りの感情を出すことをしません。そのため、舐められることの方が多く、またいじられるようなキャラです。(※いじめられる、ではなくて、いじられる、です)


なので怖いオジサン像とはとてもかけ離れています。


普段大人しい人がキレたら怖い、という表現


これもありません。私がキレる状態になることは、妻に身の回りのことや私の挙動について口うるさく言われ続けて、私の我慢の尾が切れたときだけですが、普段大人しい私がキレても大して怖がられていません。

 

 


INFPの怖さは何を考えているか分からないということ


おそらくですが、INFP型の怖さは何を考えているか分からないことかもしれません。


暗くて闇を抱えているような、絶望を抱えて生きている。危害を加えられるような怖さではなくて、おぞましさを感じるような闇を抱えていることに対する嫌悪感のことを怖いというのかもしれません。


そういう暗さが、見事に描写されているのが、太宰治の文学作品「人間失格」です。

 


人間失格のあらすじ、引用と説明


恵まれた家系に生まれた主人公でありながら、内気な性格であるがゆえに真人間として平凡に生活することができず、いつの間にか悪い友人に染まり、アルコールに溺れ、そこから転がり落ちるように堕落していき、女にうつつをぬかし、最後は薬物で社会生活が送れなくなってしまうというような話です。


肝なのが「気弱で人見知りな内気人間」なのに、それを隠すように「道化師(わざとおどけたりふざけたりして明るい人間を気取る)」として生きるという、暗い暗い性格の持ち主であるということです。


ただの引きこもりニートなコミュ障、というわけではありません。


表向きは内気な自分を隠して明るい人格を演じ、でもそれに疲れ厭世観を抱きながらも、やることはやる(とっかえひっかえ女子と付き合います)という、なんともめちゃくちゃな人生。


 真に病んだ暗さを感じる、それもINFPやHSPならこそ分かるような毒が盛られている内容です。


以下、本文の中から共感した文章の引用集です。

 

 


●人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はおどけたお変人として、次第に完成されて行きました。


この根暗ぐあいが痛烈です。 人が怖くて本来なら引きこもりたいのに、ホントの自分を貫いて嫌われる勇気(暗い自分をありのまま見せることによる敬遠の恐怖)がなく、周囲に迎合すべく自分をおチャラけたキャラに見せ、演じるという。 ああ、泣きたくなるほど共感します。


なんか人から「なんか面白いことしてよ」みたいなことを無言の空気感で求められているような感触に耐えられず、その強迫観念からおどけるという、そういう癖はよくわかります。

 


●「葉蔵は?」と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。
何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。


⇒このシーンは、主人公である葉蔵の父親が、出張土産に何か買ってきてあげようと子ども達(葉蔵とその兄弟)に欲しいものを聞いているシーンです。


これ、私の幼少期もそうでした。 クリスマスとか誕生日が近くなるとこういうことを聞かれることが多かったのですが、何か自分のために手間をとらせるというような、迷惑をかける気がして、気後れしていました。 親がサプライズしてオモチャとか買ってきたときには、ああ負担をかけさせてしまった。。と悔やむ自分がいたのを覚えています。 内気さとは関係ないようでいて、 この気弱で甘え知らずなところが人生の生きづらさを構成する気質のひとつであるともいえるでしょう。

 


●イヤな事を、イヤと言えず、また好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく味わい、・・・


そう、断れないです。 相手に迷惑をかけたくない、 いや本質はそんな気高いものではなくてイヤということによって相手の期待をポッキリと折ることで悲しませることがまず負担に感じてしまうこと、そして断ってしまうことによって相手から嫌われてしまうのではないかと感じてしまいます。 

●あるいは生き得る自信を持っているみたいな人間が難解なのです。


いつも元気で明るく社交家なあの人のこと、どうしてあんな振る舞いができるのか理解に苦しむ、とても眩しい、めまいがしそうになります。

 

●俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷の劇場であって、しかも六親眷属全部そろって座っている一部屋の中にあっては、いかな名優も演技どころでは無くなる・・・

 

これは暗いです。外に出れば仮面をかぶった面白い明るい人間を演じることができても、親や親族の前では素の自分から逸脱できない、やろうとしても強力な心理的なストッパーがおりてまるで鎖で体をがんじがらめにされているがごとく反応できないあの境地。 本当はおとなしい性格なのに、明るく演じれるタイプの人なら共感できると思います。

 

 

●自分の人間恐怖は、それは以前にもまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動していましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、・・・


明るく演じているうちにだんだんスキルが身についていきます。 やはり心でどう思っていても口と体を動かしていればおのずと社会的なスキルが身についてくる、ということでしょう。 


ちなみに、この成れの果てが「芸人」というのような気もします。 芸人には根暗でプライベートは人見知りなのに、という方が結構いますが、まさにこれではないでしょうか。

 

 

●女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。 (…中略…)
男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまりお道化を演じすぎると失敗するということを知っていましたので (…中略…)
女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも、自分にお道化を要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。


分かります。 女子、彼女たちの「なんか面白いことして退屈紛らわせてよ」オーラはすごくビリビリと感じてしまいます。 なんかもうマジメなトークは一切しちゃいけないのではないかというあの緊張感。2・3回の返しでボケなくてはいけないのではないかという焦り。 だから私もよく必死でボケようとして、何を言っているかチンプンカンプン、しどろもどろ、なことがよくあります。会話がつながらないんですよね、そして疲れ果てる。


でも実際はそれは自意識過剰だと思います。 いや、多分見栄を張りたい自分もいるのでしょう、心の奥底で。 特に女子に対しては、にぎやかな自分を演じて気を誘いたいという密かな願望もチラホラその本能に準じて発生してしまうのではないでしょうか。

 

 

●これこそ胸底にひた隠しにしている自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、


時折、ふと思います。 こんなカリソメの自分を演じていて、本当の自分はそうじゃないのに、ああ、疲れる、どうして社会とはこんなに鈍く重い重力が働いているんだと。


そのとき人を笑わせ喜ばせたとしても、次もその期待に応えるべくバイタリティ削られるんだというプレッシャー、となんか自分だけが強力な足かせをハメられているようなハンデ感すらあります。

 

 


●四、六時中、くらだらないおしゃべりを続け、あの、二人で歩いて疲れ、気まずい沈黙におちいる危惧が、


あります、やむを得ず複数で歩くシーン。 乾いた会話をしながら、盛り上がらなかったら必死で頭をフル回転させて話題を提供、でもいよいよ話題も尽きて何も出てこない、、歩くしんどさよりも気まずいことのしんどさよ。

 

 

●世の中の人間の「実生活」というものを恐怖しながら、


興味の対象が人とズレているせいなのか、人と喋れたとしても「あ、違う」と疎外感を感じます。 それはつまり他人の「実生活」に共感できず、それらに溶け込めないという恐怖を意味するのかもしれません。

 

 

●どうぜ、ばれるにきまっているのに、そのとおりに言うのが、おそろしくて、必ず何かしら飾りをつけるのが、自分の哀しい性癖の一つで、


NOと拒否する場面でよくありますが、相手を傷つけたくない、そして嫌われたくないところから虚言癖のような様相を呈するのです。


簡単に言うと、ハッキリとNO!を言えずに、断る文句をウソでもいいから考えるというものです。 いやもちろん、断ることに非が無い場合であっても、なんかそれらしい断り文句、もちろんコミュ障なのでそういうウソもヘタクソなのですが、それでも添えてしまうという悲しさです。


もちろん、断ったあとも変な後味の悪さが残って数日モヤモヤすること間違いなしです。

 

 

●いっさいの付き合いは、ただ苦痛を覚えるばかりで、その苦痛をもみほぐそうとして懸命にお道化を演じて、かえって、へとへとになり、わずかに知合っているひとの顔を、それに似た顔をさえ、往来などで見掛けても、ぎょっとして、一瞬、めまいがするほどの不快な戦慄に襲われる有様で、


友達がいない、できない、じゃなくてそもそも付き合い自体が面倒なので、結果、独りぼっちになってしまいます。 演じれるタイプの人の場合は、見かけ上の友達みたいな知り合いはいると思います。


しかし、必死で相手を楽しませるがために面白いヤツを演じているなんて誰も知らない、また知っていたとしてもどれだけしんどい思いをしながらやっているか誰も知らないんですね。 身を削るような思いで人と接ししている、だから、人と会うとなると、それが誰であれ消耗してしまいます。


結果、外出先で見掛けても向こうが気づいてないと分かればサッと逃げてしまうクセが出てしまいます。もう視界の片隅に入った瞬間に逃避センサーが働くような過敏さゆえに、似た人にでも会うと、顔を背けてチラっと横目に確認する感じでしょうか。

 

●人に好かれる事は知っていても、人を愛する能力に於いては欠けているところがあるようでした。


ずるいんです。 人に好かれるというか迎合してしまいます。自分を折り曲げててでも人にへつらってしまう。卑屈な魂がそうやっていつしか自分を操り人形のごとく仕上げてしまいます。

 

 

●他人の家の門は、自分にとって、あの神曲地獄の門以上に薄気味わるく、その門の奥には、おそろしい竜みたいな生臭い奇獣がうごめいている気配を、


これはINFPあるあるではないでしょうか。 人の家って怖いです。 厳密には玄関先でその先に起こりうる事態を、普通の人から見れば何を思案する必要があろうかという事態なのですがー、 「ピンポーン、 あ、あ、あの、○○ですが・・・」 ましてや本人ではなくその親族が出てくるかもしれないと思うと緊張して卒倒しそうになる例のアレです。

 

 

●あなたを見ると、たいていの女のひとは、何かしてあげたくて、たまらなくなる。・・・・・いつも、おどおどしていて、それでいて、滑稽家なんだもの。・・・・時たま、ひとりで、ひどく沈んでいるけれども、そのさまが、いっそう女のひとの心を、かゆがらせる。


コミュ障でもこういった視点でモテルこともあるかもしれません。 おどおどしているとモテないというのが定説ですが、これもまた見せ方次第かもしれません。 ときおり面白いヤツを演じているとそのギャップに萌えてくれる異性はいるかもしれないという淡い期待の話です。 

 

●恐怖すればするほど好かれ、そうして、こちらは好かれると好かれるほど恐怖し、皆から離れて行かねばならぬ、


その人を怖いと思うのに避けて通れない時、演じれるタイプの人はその人への対策として、(緊張して変な汗をかきそうな状態なのに)必死で頭をフル回転させ神経を使ってイイ人・面白い人を演じます。


そうやっていくうちに誰からも変に好かれる人物になっていくことも事実です。 


器用だとさらに、その演じている自分を本物に見せることができてしまうため、 好かれれば好かれるほど周囲の期待が重くのしかかり、より本当の自分を見せることができずしんどい思いをすることになるという負の側面もあります。


このレベルに行くとだいぶ就職においても「サラリーマン」とかにはまず憧れず、一人で黙々とできそうな工場での作業とか新聞配達とか清掃員とかに憧れるようになってくるのではないでしょうか。

 

 

●「シゲ子はね、シゲ子の本当のお父ちゃんがほしいの」
ぎょっとして、くらくら目まいがしました。敵。 (…中略…)他人、不可解な他人、秘密だらけの他人、シゲ子の顔が、にわかわにそのように見えて来ました。
シゲ子だけは、と思っていたのに、やはり、この者も、(以下略)


このシーンは、主人公と交際している女性の連れ子である「シゲ子(←主人公のことをお父さんと呼ぶくらいなついていた)」という娘と主人公が会話している時にふとシゲ子が「本当のお父さんに会いたい」と本心をそのピュアな幼心から漏らした言葉を発するシーンなのですが、 これを聞いて、一気に怖気づいてしまう繊細さ。


普通なら「寂しいな」くらいで終わるのが、もう小娘にも愛されない、いやそんなことは決してないのがそれまでのやりとりからも分かるはずなのに、なんか嫌われてしまったかのような恐ろしさを覚え、気まずくなってその後もどう接していいか分からないという感覚。


私ももしそのシチュエーションならきっとそう感じます。 こども相手にもコミュ障ぶりを発揮してしまう自分って、本当に情けなくなりますが。 

 

 


ああ、自分はなぜこうもう勇気がないんだろう、バカなんだろうと。


20代後半くらいから人付き合いの中、周囲も家庭を持って子供ができてくるので、小さい子どもや相手の配偶者とかと接する場面なんかも増えてきますが、まぁ固まって何もしゃべれない自分がいます。

 

 

●ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それに気づかず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんかを読んでいるのではないでしょうか。


これは、傍からみていて本当にそう思います。 みんな仲良しごっこなんだろ? ホントはファッションの一部として友達付き合いしてんだろ?と。


普通の人たちの気持ちが分からないからこういう気持ちになるのでしょう。 主観でしか考えられないところもまた特徴なのかもしれません。

 

 

●「お父ちゃんはね、お酒を好きで飲んでいるのでは、ないんですよ。あんまりいいひとだから、だから・・・・・」


そう、ストレスがハンパないのでこういう酒のような快楽ツールに溺れてしまいます。 飲みたくて飲んでるのではないです。 もっというと酒自体ももともとはそんなに好きじゃなかったけど、飲み会とか出席していると喋ることがないので、ただひたすら飲むしかない、食べるしかなく、それも食べるのは腹が張っても、飲むのはチビチビでもいいから続けることができます。 そうしていくうちにいつの間にかアルコール耐性がついて酒に依存するようになっていった私です。


  

 

●自分は世の中に対して、次第に用心しなくなりました。世の中というところは、そんなに、おそろしいところでは無い、と思うようになりました。


たしかにある程度生きていくと、繊細な私でも気づくことがありました。

 


ああ、思ったほど悪いことって起きないな、困難もたくさんあったけど何とかなってきたよなと。


でも、これは悟って内気さを克服した、という境地ではありません。


ああ、残りの人生も、結局は乗り越えられるかもしれないけど、降りかかってくる苦難を思うと、鬱屈とせずにはいられない、そんな気分です。

 

 

●そうは言っても、やはり人間というものが、まだまだ、自分にはおそろしく、店のお客と逢うのにも、お酒をコップで一杯ぐいと飲んでからでなければいけませんでした。

 

やっぱり、酒に頼らないと普通に人と喋る度胸すらない、こういう状態です。 そしてまた、飲みすぎてアルコールにハマっていくという負の連鎖。

 

 

●心のどこかで、幽かな、けれども必死の抗議の声が起こっても、しかし、また、いや自分が悪いのだとすぐに思いかえしてしまうこの習癖。

これが自分のほうが客の立場であって、お店で買い物をしたときに店員側に明らかな非があっても、言えない、言う度胸がないというシチュエーションなんかに遭遇するとことさらに感じます。


正当なクレームが言えない情けなさ。


でも必死で自分をさとすんですよね、「怒るのはカッコ悪い、人間性が未成熟だ」と。でもそれはクレームの一つも言えない自分への慰めなのです。

 

 

●自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れができるような恐怖におびやかされているのでした。


断れないのです。


人から頼み事をされた時は当然のごとく「はい」しかいいませんし、もっというと、「なんか面白いことやって、退屈させないで」みたいなオーラを相手が放っているとそれを過剰に察知して無駄にテンションあげて喋って消耗したりとか。


こういうことを、自分の本心に従って辞めてしまったとき、


相手に恨まれそう、ひいては社会から非難されそうな気がして、胸をギュッと押しつぶされるような怖さと緊張感があるのです。

 


以上、長々と失礼しました。


しかし、冒頭申し上げたように、人間の暗さや闇が盛り込まれていることが確認できたと思います。  


補足ですが、著者の太宰治がこの人間失格を書き終えた一か月後に自ら命を絶ってこの世を去っています。だからこそ彼の遺書にあたる作品だとも言われているのですが、こういうところも、怖さのひとつでしょう。


ただ、最後の主人公 葉蔵の締めくくりを見ると必ずしも闇ばかりでもありません。

 

いまは自分には、幸福も不幸もありません。 ただ、一さいは過ぎて行きます。 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来たいわゆる「人間」の世界に於いて、 たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。

この終わりなき生き地獄も、最後はこういう境地で締めくくられるのかもしれません。
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投稿ありがとうございました。
INFPの抱える辛苦が込められていますね。他の性格タイプとの相性、という以前にこれはどのタイプと付き合うにしても苦しさを覚えるかもしれません。でも清廉潔白なINFPさんならいつか望みの生活を手に入れることができるでしょう。