INFP人生記

著者:MBTI診断INFP-T/男/家庭持ち/1980年生/吃音/HSP/営業職

占いを超えて見えた、私だけの運命のつくり方

こんにちは、INFP-Tの田中です。
私は今、会社という大きな波の中で、ひとつの正念場を迎えています。もしかするとこの先、沈むかもしれない。でも、なぜか怖くはありません。むしろ、「これまでの自分」が静かに背中を押してくれているような感覚があります。

 

幼少期から続く「弱さ」と「葛藤」

私は生まれつき体が弱く、背も伸びませんでした。
子どもの頃、低身長治療という苦しい日々を経験しました。針を刺され、薬を打ち、涙をこらえる毎日。それでも身長は伸びきらず、今も168センチと男性にしては低いままです。

中学では、希望していなかった部活に強制的に入部させられ、血のにじむような練習を毎日続けました。逃げることもできず、ただ耐え、やりきるしかなかった。高校でも、また希望しない部活動に勧誘され、地獄のような、体の限界を超えるような練習に明け暮れました。

でも、やりきりました。
「好きなことじゃなくても、やるべきことはやる」——そんな芯のようなものが、この頃に根を張ったのかもしれません。

期待に応えられなかった悔しさ

祖父母も両親も、決して裕福な家ではありませんでした。それでも私のために、学費を捻出し、仕送りを続けてくれました。それなのに、私は進学した大学を半年で中退。
それから職人の道に入るも1年半で挫折。ならばデスクワークをと、税理士や弁護士を目指しても、芽は出ず、25歳で全てを諦めました。

 

「私は親族の期待を絶望的に裏切ったんじゃないか」


その思いが、長い間、心の奥にこびりついていました。

やりたくない仕事に13年、でも今やっと…

結局、契約社員として営業職に就きました。
もともと人と話すのが好きではない。吃音もある。でも、13年続けました。しんどくても投げ出さなかった。

そして、ある日スカウトされて、正社員の仕事を掴みました。今も営業職。得意じゃない。でも、やっています。INFPの私には向いてないかもしれない。でも、やっぱりやりきる。

 

運命は「積み重ね」で変えられる

私の星は、六星占術でいえば金星人。九星気学では二黒土星。運勢的には、あまり良くない時期がある(運勢は良い悪いを繰り返すから)、、でも、そんなことはもう気になりません。

なぜなら、私は気づいたからです。
「運」は、日々の選択と積み重ねの中で生まれるものだと。

運気が悪いときも、歯を食いしばって踏ん張ってきた。目の前のことをコツコツこなしてきた。失敗しても、何もかもうまくいかなくても、私は私を諦めなかった。

 

「今」が正念場でも、「これから」が勝負

私の会社はいま、経営的に危うい状況です。未来がどうなるか分からない。だけど私は信じています。ここまで生き抜いてきた私なら、必ず乗り越えられると。

なぜなら、過去を振り返っても、私はいつも「泥の中から這い上がってきた人間」だからです。
華やかではないかもしれない。でも、生きる強さなら誰にも負けない。

 

占いを超えて、私は「私の運命」を生きていく

運勢も、占いも、もちろんヒントにはなります。でも最後にものを言うのは、「今日、何を選ぶか」です。
たとえ“運気が最悪”でも、そこに生きる意志があれば、人は前に進める。

 

そして、今の私にはそれがある。

かつての私が信じられなかった“明日”を、今、信じることができています。

最後にひとこと。
「あなたは今、人生のどこにいますか?」
もし迷いの中にいるなら、ぜひこう問いかけてみてください。

「これまでの自分の積み重ねを、誇りに思えるか?」

誇れるなら、大丈夫。運気なんて関係ありません。また誇れないのであれば、将来誇れるようになるために今を耐えしのぎましょう。それは運の貯金です。

あなたの人生の舵は、あなた自身が握っています。願うのなら、必ず好転します。

苦労続きのINFP人生。それでも僕が“報われる日”を信じられる理由

こんにちは、INFP-Tの田中です。
今日は、私のこれまでの苦労の人生と、それでも「幸福な未来」を信じられるようになったきっかけについて書いてみようと思います。

私の人生は、よくいえば“波乱万丈”、
悪くいえば、“失敗と後悔の連続”でした。

幼い頃、私は体が弱く、病院と自宅を行き来するような生活が長く続きました。
身長も伸びず、いわゆる“標準的な健康な子ども”という枠には、どう頑張っても入れなかった。

それでも周囲は「強くなれ」と言います。
中学に入ると、望んでもいない運動部に強制的に入部させられ、
血反吐を吐くような練習に明け暮れました。

高校でも同じように、断る暇もなく運動部へ。
体格的にも精神的にも苦しかったけれど、やりきりました。
本音を言えば、「もう嫌だ」なんて何度も思っていた。でも、誰にも言えなかった。

大学は、祖父母と両親が汗水たらして稼いだお金で通わせてもらいました。
でも私は、心がそこに向いていませんでした。
気づいたら、たった半年で中退。

それからは料理の道へ。でも、これも一年半で挫折。
税理士、弁護士、夢のような肩書きに憧れ、アルバイトで食いつなぎながら勉強しましたが、25歳で限界を感じて手を引きました。

「何をやっても長続きしない人間だ」
「両親の期待に応えられなかった報いだ」
そう、自分を責め続けるようになりました。

その後、私は“やりたくない営業職”として契約社員の道を選び、13年。
営業は苦手でした。とにかく人との関係構築が難しい。
吃音もあり、思い通りに話せない場面も多々あります。
それでも、生活のために、家族のために、毎日頑張り続けました。

30代に入り、ようやく正社員として認められる職に就くことができました。
この時、私は“やっと報われる時が来た”と感じたんです。

でも、ふと考えることがあります。

「もし高校時代に、自分が本当にやりたかったプログラマーを目指していたらどうだったんだろう?」
「もっと早く、楽に、幸せを手に入れられていたのではないか?」

そう思うと、今までの苦労が“罰”のように思えてしまうことがあります。
親を裏切った報いなのではないか。
私は、自分自身にそう言い聞かせながら生きてきた節があります。

でも、最近になってようやくわかったんです。
苦労は、罰ではなかった。

むしろ私は、どれだけ遠回りしてでも、
“人間らしい生き方”を貫こうとしてきたんだと。

楽な道を選ぶこともできたのに、
不器用でも、納得できるまで、
自分の道を歩こうとしてきた。

それが、INFPという気質なんだと思います。
私たちは、目先の成功よりも“意味のある人生”を選びたくなる。
だから、挫折も多いし、回り道もする。
でもそれは、「本物の幸せじゃなきゃ嫌だ」と叫ぶ心があるから。

最近、「苦労の報い」が少しずつ“赦し”へと変わっていくのを感じています。
この仕事も、人と接することが多くて大変だけれど、
たまに「ありがとう」と言われると、
それだけで、過去の涙が報われる気がします。

私の人生は、決してスマートではなかった。
でも、そのぶん深く、静かに、豊かに育ってきたものがある。
それに気づいた今、これから先の未来がとても楽しみです。

だって私は、もうすでに苦しみ抜いた人間だから。
これからはきっと、“報われる番”なんだと信じられるから。

もし、この記事を読んでいるあなたが、
過去の失敗にとらわれて苦しんでいるなら、
私は、こう言いたい。

「あの時の自分を、どうか許してやってください。
そしてこれからの自分に、少しだけ期待してあげてください。」

遅咲きの人生にも、ちゃんと意味がある。
そしてそれは、あなただけの美しい花を咲かせるための時間なのです。

飲み会の『グラス交換』で大失態…世間知らずなINFP営業マンの赤っ恥エピソード

こんにちは、INFP-Tの田中です。
今日は少し恥ずかしいけれど、自分の「世間知らず」ぶりが炸裂した、飲み会での体験を正直に綴らせていただきます。

私は営業職として十数年やってきましたが、社交の場に出るのはいまだに得意とは言えません。特に「飲み会」なんて、昔は地獄でした。一人黙々と唐揚げをつまみ、笑うタイミングもよくわからず、「体調悪いの?」と気を遣われるのが常でした。

それでも年齢を重ねるにつれ、多少は“社交スキル”も身についてきたつもりです。空気を読み、場に合わせ、作り笑いでやり過ごす——そんな「営業用の人格」も何とかこなせるようになったのです。

そんなある日のこと。
会社の先輩の送別会が居酒屋で開かれ、私も参加しました。形式はよくある「飲み放題コース」。その中で、ちょっとしたハプニングが起こりました。

乾杯を終え、しばし歓談の後、おかわりの時間が来ました。幹事が「グラス交換制です」と説明。周囲の皆がビールを一気に飲み干し、空のグラスをひとまとめにして幹事に渡そうとしました。

その瞬間、私は本気で心配して、叫んでしまったのです。

「グラス混ざって誰のか分かんなくなっちゃいますよ!!」

……一瞬の沈黙。そして爆笑。

「いやいや田中さん、グラスは新しいのになるって!笑」
「まさか使い回すと思ったの?宇宙人かよ!」

とんだ赤っ恥です。
私は本気で「グラスを回収して、そこに新しいビールを注いで戻す」と思っていたんです。

おかしいですよね?でも、私の中では咄嗟に「一人一杯制」や「エコな居酒屋スタイル」みたいな記憶がフラッシュバックして、誤認識してしまったんです。

笑いが収まった後も、私はずっと心の中で反芻していました。

「なぜ自分だけ、そんな勘違いをしたのか」
「またやっちゃったな……」
「この空気感についていけないのは、自分が特殊だからでは?」
「もしかして発達障害……?」

そんなネガティブ思考がぐるぐる回り、グラスと一緒に私の心も完全に空っぽ。そこから深酒しすぎて、翌朝はひどい頭痛と記憶喪失に見舞われました。

ふと、思うんです。
私のようなタイプ、つまり内向的で空気が読みにくい人間は、「社交場のルール」に対する学習が圧倒的に少ない。なぜなら、避けてきたからです。何年も、何十年も。

私たちINFPは、基本的に「意味のある対話」に重きを置く傾向があります。表面的な付き合いは疲弊しがちで、自分を守るために回避してしまう。そしていざ参加すると、世間の“普通”に不慣れな自分に出会ってしまうのです。

でも、こうした失敗を繰り返してもいいと思っています。
むしろ、「そういう人間」として見られても、それが自分らしさだと思うようにしています。もちろん落ち込みます。恥ずかしいです。でも、そのたびに「人と違ってもいい」と思い直すのです。

その夜、私はこう結論づけました。

——人は誰しも、何かの場面で「世間知らず」になる。
——それを笑える社会であれば、きっと生きやすい。

今後も、飲み会ではまた何かやらかすでしょう。でも、いいじゃないですか。生きてる証です。
そしてこの記事を読んだ誰かが、「自分だけじゃない」と感じてくれたら、それだけで私は報われます。

ではまた。

INFPはなぜ怒りを爆発させてしまうのか?共感疲れと家庭内ストレスとの向き合い方

INFPの私が怒鳴った夜。感情の限界点を越えた瞬間

こんにちは、INFP-Tの田中です。 今日は少し恥ずかしい話をします。 私が、妻に対して怒鳴ってしまった夜のことです。INFPといえば温厚で穏やか、怒りを表に出すことが少ない性格。でも、そんな私にも限界がありました。 怒りをぶつけてしまったあの夜、私は自分自身と深く向き合うことになりました。この記事は、その記録です。 INFPとして、夫として、父親として、感情とどう付き合えばよかったのか──そんな問いに悩む誰かの参考になればと思います。

テレビを観たかっただけなのに──小さな希望が崩れるとき

土曜の夜。 私は、年に2回だけ放送される大好きなテレビ番組を楽しみにしていました。昔からのファンで、録画もできない特別番組(家のレコーダーを妻に占有されるため)。ビールを片手に、静かな時間を過ごす…はずでした。 けれど、妻は風邪で体調が悪く、キッチンで家事をしていました。 「この体調で家事してるのに、あなたはテレビ?」 そう言われたとき、空気が凍ったのを覚えています。 たしかに、彼女の言い分は正しい。でも、私だって疲れていた。 「今夜くらい、自分の時間を楽しんでもいいんじゃないか」 そんな小さな希望が、怒りの言葉で押しつぶされた気がしました。 結局、テレビを観ることはやめ、私は黙ってパソコンの前に座りました。 でも、それが火に油を注ぎました。 「逆ギレするなら、観ればいいじゃない。どうぞどうぞ」 その一言で、私の中に溜まっていた感情のダムが、静かに決壊しました。

矛盾への敏感さと、心の爆発

深夜、妻がトイレにこもってスマホを見ているのを見たとき、私は思いました。 「子どもたちには“スマホ禁止!”って怒るのに、あなたは…?」 その矛盾に耐えられず、私はつい怒鳴ってしまったんです。 「いつまで入ってんだよ!!」 あの瞬間、私は完全に“INFPらしからぬ自分”になっていました。 でも、その怒りは、単なる苛立ちではありませんでした。共感疲れ、期待の裏切り、そして積み重なった我慢。すべてが溢れ出た結果だったのです。

INFPは怒らないわけじゃない。「限界まで我慢する」だけ

INFPは確かに怒りにくい性格です。 他人の感情に敏感で、争いを避ける傾向が強い。 けれどそれは、「感情を持たない」のではなく、「自分を押し殺す」ことに近いのです。 私も、今回の件の前から、何度も小さな不満を飲み込んできました。 ・子どもに厳しすぎる妻の姿 ・家族全体が緊張する空気 ・自分の時間が思うように取れない日々 そういった「ちょっとした我慢」が、気づかぬうちに積もり、ついに限界を越えた。 怒りを爆発させたのは、一晩の出来事ではなく、「積み重ねの結果」だったのです。

感情に向き合うINFPに必要なのは、“許し”だった

怒鳴ったあと、私はひどく自己嫌悪に陥りました。 「なんてことをしてしまったんだ」 「妻を、家族を傷つけたかもしれない」 けれど、同時にこうも思ったんです。 「昔の自分なら、もっと酷い言葉をぶつけていたかもしれない」 「それを抑えられただけでも、少しは前進しているんじゃないか」と。 INFPは、感情に対して非常に誠実です。 だからこそ、一度怒りを出してしまうと、自分を激しく責めます。 でも、その責めは、時に自分を追い詰め、苦しめてしまう。 感情に素直であること。 でも、それ以上に、自分を許すこと。 それが、INFPにとって一番大切な学びなのかもしれません。

家庭という「逃げられない人間関係」でどう生きるか

INFPにとって、家庭や職場など“逃げられない人間関係”は、正直かなりハードです。 常に人の感情を感じ取り、気を遣い、我慢をする。 でも、家庭とは、「ぶつかることも許される場」であるべきだと私は思います。 本音を出すことができず、いつも良い人でいなければならないなら、それは家族ではなく“職場”と変わりません。 だから、私は今回の出来事を「失敗」ではなく、「必要な摩擦」だったと捉えたい。 その摩擦の中で、私たちは少しずつ関係を調整していく。 そう信じて、もう一度話し合ってみようと思います。

INFPが感情と上手につき合うために

最後に、INFPの私が今回感じた「感情とのつきあい方のコツ」をまとめておきます。

  • ① 小さな不満はメモに吐き出す
  • ② 他人の矛盾を責める前に、自分の期待値を整理する
  • ③ 「怒り=悪」ではなく、「境界線を守るためのサイン」として見る
  • ④ 怒ってしまった自分を責めすぎない
  • ⑤ 自分にも優しく。ときには開き直る勇気も必要

私たちINFPは、優しさと共感の塊です。 でも、それは裏返せば、自分自身のケアを後回しにしてしまいやすいということ。 だからこそ、「感情に正直であること」と「自分を許すこと」、この2つを忘れずに生きていきたい。 最後まで読んでくださってありがとうございました。

黙って家事を続けた結果、妻からの要求レベルが上がり続けた話【INFP夫の葛藤】

こんにちは、INFP-Tの田中です。
最近の私は「反論する気力すらない」という境地にいます。これは諦めではなく、ある種の“生き残り戦略”です。

私は営業職で、朝7時には家を出て、夜9時に帰宅するような生活を長らく続けてきました。帰宅ラッシュの電車に揺られながら、「ようやく家で座れる」と思う。でも、その家で、私は椅子にも座らせてもらえませんでした。

「汚れてるから、座らないで」

言われるまま立ったまま夕食をとり、酒を飲みながらスマホでニュースを読んでいても、「またダラけてる」と刺すような視線を感じる。疲れ果てた体に、さらに鞭が飛んでくるような日々。

若い頃の私は、それでも怒りをぶつけ返していました。
「こんなに頑張ってるのに、なんでそんな言い方をされないといけないんだよ!」と、声を荒げる日もあった。
でも、次第にそのエネルギーすら失われていきました。

正直、疲れすぎていて「怒る余力」もない。
「この程度で怒ってくるのか」と思っても、いちいち反応するのが面倒で、結局ただ黙って頷くだけ。省エネモードに突入です。

「はい」「わかった」「今やる」

そうやって感情を殺し、機械のように動く日々。
でも、あるとき気づいたんです。

黙って従えば従うほど、相手の要求は上がっていく。

最初は「皿をすぐ下げて」と言われただけでした。それを頑張って続けていると、「水につけて」→「水が濁らないように流して」→「つけおき時間を見てから洗って」……と、どんどんステージが上がっていく。

これ、ゲームだったらやりがいもあるんでしょうけど、私にとっては修行の道。
やればやるほど、次の“ノルマ”が課される。
達成しても、褒められることはない。それが「当たり前」に切り替わるだけ。

心理学で言うところの**「報酬なき昇進」**です。
人は報酬がないまま努力を続けると、自己効力感が下がっていきます。
そして、そのうち「私はロボットなんだ」と思い始める。

もちろん、妻に悪気はないのかもしれません。
彼女だって、家事や子育てに疲れている。私が見えないところで、きっとたくさんの不満や不安を抱えている。
でも、だからといって「他人に当たっていい」わけじゃない。

私は今、こういう理不尽に「どう反応すればいいのか」を迷っています。
怒るのも、逆らうのも、全部エネルギーが要る。だから私は黙って従っている。
でもそれは「納得している」わけじゃない。

私の中には、「こんな扱いを受けてまで、自分の尊厳を削らなきゃいけないのか」という、消えかけた炎がまだ残っています。

INFPという気質は、外の世界よりも、自分の中の価値観や誇りを大切にします。
「自分が納得できないこと」を、続けるのは本当にしんどい。

今の私は「怒られないため」に家事をしているけど、心はどこかで泣いている。
感謝されなくてもいい。でも、せめて責めないでほしい。
自分を守るために黙っているだけなのに、「お前は成長していない」と断罪される日々。

まるで、「努力しない奴は生きる資格がない」と言われているようです。

もしこれが続くなら、私はいずれ“神のような耐久力を持つ無感情な人間”になるか、心が壊れてしまうか、どちらかでしょう。

…それでも、私は毎日、皿を下げています。
たとえ感謝されなくても、怒られても、「家庭を壊したくない」という一心で、今日も俯きながら、静かに台所へと向かうのです。

怒られているうちが花”の嘘に気づいたとき、マネジメントは変わる

こんにちは、INFP-Tの田中です。
私は営業職として20年以上、いろんな上司に出会い、いろんな言葉に心をえぐられてきました。その中でも忘れられないのが「怒られているうちが花」という言葉です。耳にしたのは20代の最初の頃(私の世代はまだザ昭和世代、つまり日本の泥臭いサラリーマン像が世間にインプットされる象徴的な時代でした。)、

職場でミスをして、上司にきつく叱られた後、同僚が慰めのようにぽろっと言ったのがこの一言でした。

でも私は、その時全く「」なんか感じませんでした。むしろ、自分の価値が地面に叩きつけられたような感覚でした。

この言葉は、いかにもマネージャーや指導者の側が好んで使いそうなフレーズです。一見、愛情や成長のための叱責のように聞こえますが、裏を返せば「怒られることに感謝しろ」と言っているようなもの。HSP気質の私にとって、それは重たすぎる要求でした。

たしかに、「怒られて伸びる人」はいます。芯が強くて、叱責を前向きに変換できる人です。でもそれは、「怒られたから伸びた」のではなく、「怒られても潰れなかったから伸びた」んです。多くの人がその過程で心に傷を負っています。

私もかつて、毎朝吐き気をこらえながら出社していた時期がありました。上司の言葉が怖くて、電話が鳴るだけで心拍数が跳ね上がる。怒られることが「花」なんて、私には到底思えなかった。

最近では、心理的安全性という言葉がビジネス界で注目されています。Googleの調査でも、「安心して自分を出せる環境」がチームの成果を高める鍵だとされています。つまり、「怒らないマネジメント」が実は効率的で成果につながるというのが、今やグローバルな常識になりつつあるのです。はい、私たちINFP、いや人類にとっては、そんなこと何今さら言ってるの?、、、とっくに知ってた、が正解だと思いますが。

 

では、マネジメントに本当に必要なのは何か。それは「共感する力」と「問いかける力」だと、私は考えています。

たとえば部下がミスをした時、「なんでこんなことになったんだ!」と怒鳴る代わりに、「何が起きたと思う?」「どう感じた?」と尋ねてみる。たったそれだけで、相手の頭と心が動き出します。怒鳴らなくても、人は変われるんです。

 

そして何より大切なのは、「相手がどう受け取るか」を意識すること。自分が「良かれ」と思って伝えた言葉が、相手には「否定」として響くことは日常茶飯事です。特に私のように自己評価が低くなりがちな人間にとっては、怒りの言葉ひとつで何日も立ち直れなくなることもあるのです。

それなのに、「怒る=愛情」と自己正当化してしまうマネジメントは、ある種の暴力性すら孕んでいます。

 

自分の感情を「教育」という名のもとにぶつけるのではなく、まず立ち止まって「この伝え方で、相手は救われるだろうか?」と問い直すことが、本当の意味でのマネジメントだと私は信じています。

 

「怒られるがうちが花」という言葉を、私は否定しません。実際に、それで救われた人もいるのでしょう。でもそれは、本人が「後から」気づくものであり、使う側が声高に語るべきものではないと思うのです。

 

 

だからこそ、マネジメントの現場でこの言葉が出てきたとき、私はこう問い返したい。

「それは本当に、相手のためになっていますか?(怒っているあなたのストレス解消や自己満足が根底にありませんか?)」と。

この問いを持ち続けることが、これからの時代のマネージャーにとって、最も重要な力ではないでしょうか。

INFPはなぜ“かわいい”と言われるのか?優しさが損になる理由と対処法

こんにちは、INFP-Tの田中です。
今回は「INFPって、かわいいよね」とよく言われる理由と、その裏側にある“生きづらさ”について、自分の体験を交えて話したいと思います。

私自身、男でありながらも「ちゃん付け」で呼ばれたり、後輩やお客様に「癒される」と言われることがよくあります。最初は嬉しかったのです、「あ、自分の存在が人の心を和らげているんだな」って。でも、ある時から少しずつ、モヤモヤするようになってきたのです。

それは、コロナ禍を境に顕著になりました。
2022年当時、世界はまだマスクを外せず、世間の人々の心には常に苛立ちが漂っていました。

ある日、私がずっとお世話になっていた常連のお客様が、今まで見せたことのない怒りを私にぶつけてきたんです。たしかにミスはありました。でも、それは私一人の責任ではなく、チーム全体の中で起きた小さな伝達ミスでした。

以前なら「気にしなくていいよ」と笑って流してくれていたその人が、今では電話越しに怒鳴ってくる。
私はその声を聞いて、しばらく動けませんでした。怒られたことよりも、「あの優しい人まで、こんな風に変わってしまったんだ」という現実に、胸が締め付けられるような気持ちになったのです。

そんなとき、私は思い出しました。
「ああ、また“かわいい”と言われていた自分に戻ってきてしまったな」って。

私たちINFPは、争いを好みません。

誰かが怒っていても、自分から反論することはあまりありません。ついニコニコしてしまうし、言いたいことを飲み込んでしまう。それが「かわいくて癒し系」と受け取られる。でも、実際には、心の中では涙が流れていることもあるんです。

 

それでも笑っていると、「この人には何を言ってもいい」と思われてしまう。

 

その結果、怒りのハケ口にされたり、雑務を一手に引き受ける羽目になったりすることがあります。笑顔の裏で、静かに損をしているんです。

たとえば職場で、私が冗談に付き合って笑顔を見せていると、次第に「田中さん、これもやってくれます?」と依頼が積もっていきます。しかも、私が断ることはほとんどないと分かっているから、みんなどんどん押し付けてくる。

私は人を信じすぎるところがあります。


頼まれたら断れないし、少し無理をしてでも「いいよ」と言ってしまう。その姿が「かわいい」と言われる所以なのでしょうが、それは時に、自分の首を絞めることになるのです。

また、私たちINFPは謙虚すぎる傾向もあります。
どんなに成果を上げても、「いや、自分なんて…」と過小評価してしまう。
褒められても素直に受け取れず、「たまたまです」と笑って済ませる。

でもそれって、自分の実力を他人に見せるチャンスを逃していることでもある。
「この人はすごい」と思われるより、「この人はいつもニコニコしてて楽そうだな」と思われてしまう。その結果、昇進のチャンスも逃し、周囲から軽んじられることすらあるんです。

かわいい——


その言葉は確かに心地いい。でも、裏返せば、無害で従順で、反論しない存在として扱われるリスクもある。

今、私ははっきりと言いたい。
「かわいい」で終わっていいわけがない。

私たちINFPには、優しさや思いやりという武器があります。でもそれを守るためには、自分自身にも“牙”が必要なんです。ときには断り、ときには怒り、きちんと「嫌です」と言える勇気を持たなければいけない。

私はこれから、「NO」と言う練習をしていきます。
それが、真に人と対等に向き合うための第一歩だと信じて。

かわいさは搾取される。
でも、自分を守る強さを身につければ、そのかわいさは本物の魅力に変わる。
そんなINFPでありたいと思っています。