INFP人生記

著者:MBTI診断INFP-T/男/家庭持ち/1980年生/吃音/HSP/営業職

UFOキャッチャーで学んだ“もらう勇気”──家族と少年から気づかされた人生の教訓

こんにちは、INFP-Tの田中です。
先日、家族で大型ショッピングセンターに出かけたときのことです。

フードコートの匂いと人混みのざわめきの中を抜けると、視界の奥にネオンが瞬くゲームコーナーがありました。子どもたちの笑い声と電子音が入り混じり、その熱気に包まれているだけで、何だか自分も子ども時代に戻ったような気がしました。

小学5年生の息子が、目を輝かせて私の妻に言いました。

 

「ねえ、やってもいい!?」

 

普段は「また今度」と言われるところですが、その日は給料日後。妻の財布のひもも、少しだけ緩んでいました。

息子はUFOキャッチャーに一直線。景品棚には、ぬいぐるみ、キャラクターグッズ、そして息子の視線を一瞬で釘付けにしたもの――銀色に輝くピストル型のおもちゃ。

 

「パパ、これ欲しい!」

 

100円玉を渡すと、息子は慎重にアームを動かし、狙いを定めてボタンを押しました。しかし、アームの握力はまるで赤ちゃんのほっぺを撫でるように優しく、ただ景品をかすめてずらすだけ。

がっかりしていると、隣の同じ台に、一人の少年が現れました。年は中学生くらいでしょうか。迷いのない動きで操作し、見事にそのピストルを一発でゲット。まるでプロのような手際でした。

次の瞬間、その少年は私と息子に向かって、ふいにこう言ったのです。
「いる?」

私は一瞬、戸惑いました。
知らない子から物をもらうことへの警戒心。息子の前で軽々と好意を受け取っていいのかという迷い。そんな考えが頭を巡り、私は反射的にこう言ってしまいました。


「いや、大丈夫。ありがとう」
息子も「自分でとる!」と答えました。

 

少年は「あ、そう」とだけ言い、少し興味を失ったように見えました。しかし、その後も彼は同じ台でまた一発ゲット。そこでようやく気づきました――彼はこの台の“攻略法”を知っていて、ゲームを通して人と繋がることを楽しんでいるのだと。

「もらっておけばよかった」と心の中で思い直し、勇気を出して声をかけようとした瞬間、少年は別の台へ行ってしまいました。

私たちは再びUFOキャッチャーに挑戦。

100円、200円、300円…気がつけば500円。ピストルは微妙に位置を変えるだけで一向に掴み上げられる気配がない、息子の眉間にはシワが寄ります。

そこへ妻が戻ってきて、「もう帰るわよ!」と一喝。息子は泣きそうな顔で「お兄ちゃんからもらえばよかったのに…」とつぶやきました。

事情を話すと、妻は呆れたように言いました。


「どうしてもらわなかったの? そんなの100円渡してすぐもらえばよかったじゃない!」

 

その言葉が妙に胸に刺さりました。
確かに、私は昔からこうやって遠慮しすぎて、チャンスを逃してきた気がします。自分だけならまだしも、今回は息子にまで“遠慮の連鎖”を経験させてしまった。

家に帰ってからも、この出来事が頭から離れませんでした。あの少年の差し出したピストルは、単なる景品ではなく「もらう勇気」を試すテストだったのではないか――そんな気さえしてきました。

 

半年経った今、私はこの出来事を少し違う角度から見ています。

確かに私は、即断即決や貪欲さに欠けるかもしれません。でも、その慎重さや人を警戒する性格は、私の“個性”でもあるのです。小さな幸運をその場で受け取らない分、大きな運を引き寄せるチャンスが残っている――そんなふうに考えるようになりました。

もしかしたら、またどこかで、あの少年のように何かを差し出してくれる人に出会うかもしれません。そのとき、私は遠慮せずに笑って「ありがとう」と言える自分でいたいと思います。

INFP-Tが職場の『ずけずけ事務員』に疲弊した話|境界線の引き方と心の守り方

こんにちは、INFP-Tの田中です。今日は職場でのちょっとした人間関係の悩みについて、私の体験を交えながらお話ししたいと思います。

 

なんでも遠慮なく言ってくる人に振り回される日々

私の職場には、思ったことをズバズバと言ってくる事務員さんがいます。一見すると気が利いて、周りのことによく気づく人なのですが、実際に一緒に働いてみると、なかなか大変な存在なのです。
「田中さん、このパソコン遅いんだけど、なんとかなりませんか?」
「この資料の作り方、教えてもらえません?」
「あ、ついでにこれも見てもらえますか?」


一日のうち、こんな調子で声をかけられることが頻繁にあります。気がつくと、私の作業時間の2割近くが、こうした対応に取られているのです。


最初の頃は「協力的でいい人だな」と思っていました。でも、だんだんと気づいたのです。この人は確かに周りのことに気がつくのですが、実際に手を動かして作業することは少ない。むしろ、他の人にお願いして解決してもらおうとする傾向があることに。

 

INFP-Tが陥りやすい「良い人」の罠

INFP-Tの私たちは、調和を重視し、人を助けたいという気持ちが強いタイプです。心理学的には「人助け症候群」とも呼ばれる状態に陥りやすく、自分の時間や労力を犠牲にしてでも他者の要求に応えようとしてしまいます。
私もまさにその典型でした。「頼られている」という感覚は確かに嬉しいものです。でも、それが日常的になってくると話は別です。自分の本来の業務に集中できず、常に誰かの要求に応えることに追われる状態になってしまいました。
荒れ狂う海を小舟で渡るような、そんな不安定な感覚が続きました。心が穏やかでいられる時間がどんどん減っていったのです。


境界線を引く勇気を持つまで


転機が訪れたのは、ある日のことでした。その事務員さんから「このエラーメッセージ、どういう意味ですか?」と聞かれたときのことです。画面を見ると、よくある「メモリ不足」の警告でした。
「それはパソコンのメモリが足りないということですね」と答えると、「じゃあどうすればいいんですか?」と続けて聞かれました。そのとき私は気づいたのです。この人は問題を解決したいのではなく、誰かに解決してもらいたいのだということに。
私は深呼吸をして、こう答えました。
「それについては、グーグルで『メモリ不足 対処法』と検索すると詳しい方法が出てきますよ」
その瞬間、私の中で何かが変わりました。相手は少し不満そうな顔をしましたが、実際に自分で調べて解決していました。


健全な境界線の引き方

心理学者のブレネー・ブラウンは「境界線は親切さと同義である」と述べています。最初は冷たいように感じるかもしれませんが、実際には相手の成長機会を奪わず、自分の精神的健康も保つことができる方法なのです。


私が実践するようになった境界線の引き方は以下の通りです。


1. 明確な情報提供で終わらせる
「わかりません」「それはPCの性能の問題ですね」など、事実ベースの情報だけを伝えて、解決策の提供は控える。


2. 自立を促す回答を心がける
「調べ方をお教えしますので、今度から参考にしてください」といった形で、相手の自立を促す。

 

3. 時間的な境界線を明確にする
「今は集中したい作業があるので、後ほどお答えします」など、自分のペースを尊重する。

 

罪悪感との向き合い方

境界線を引き始めた頃は、正直なところ罪悪感がありました。「冷たい人だと思われているかもしれない」「協力的でない人と評価されるのでは」という不安が頭をよぎったのです。
しかし、よく考えてみると、私が無償で時間と労力を提供し続けることで、本来なら公平に分担されるべき負担が偏っていたのです。私が「聖人」である必要はないし、むしろ健全な職場環境のためには、適切な境界線が必要だったのです。

 


人間関係の本質を見つめ直して


この経験を通じて、人間関係についても考えが変わりました。最初は「みんな自分勝手なんだ」と失望しかけましたが、実は違うということに気がつきました。
人は確かに自分のことを優先しがちですが、それは決して悪いことではありません。大切なのは、お互いが適切な距離感を保ちながら、それぞれの責任を果たすことなのです。
私が学んだのは、相手のためを思って何でも引き受けることが必ずしも親切ではないということでした。時には「NO」と言うことが、相手にとっても、自分にとっても、そして職場全体にとっても良い結果をもたらすことがあるのです。


INFP-Tとして生きていくために

私たちINFP-Tは感受性が強く、他者の感情に敏感です。それは素晴らしい特性である一方で、適切な境界線を引くことが苦手になりがちです。
でも、境界線を引くことは決して冷たいことではありません。むしろ、長期的に良い関係を築くために必要なスキルなのです。
今では、あの事務員さんとも適度な距離感を保ちながら、必要なときには協力し合える関係を築けています。私自身も、本来の業務に集中できる時間が増え、仕事の質も向上しました。
職場での人間関係に悩んでいる同じINFP-Tの方がいらっしゃいましたら、「境界線を引く勇気」を持つことをお勧めします。最初は勇気がいるかもしれませんが、きっとあなた自身と周りの人たちのためになるはずです。
人は人、自分は自分。でも時には助け合う。そんなバランスの取れた関係性こそが、私たち内向型の人間にとって心地よい環境なのだと思います。

 

※ちなみに、ずけずけいってくる事務員さんとは、あくまで業務中にそういう態度をとられるのが鬱陶しいだけで、休憩時間や飲み会などで隣り合わせる分には、その図々しさがかえって座持ちがよくて、むしろいいと思っています。

 

この世は地獄なのに、なぜ健康に長生きしようとするのか?——INFP的生存への問い

INFP田中です。

「この世は地獄だ」——そう感じたことはありませんか?

日々の仕事、理不尽な社会、疲れきった身体、やり場のない感情。

そんな中で、ふと疑問が浮かびました。

この“地獄のような世界”で、健康的に、長生きしようとする意味って、なんなのだろう?

 健康=善という前提を疑う

世の中では「健康に生きること」は正義のように語られます。

食事に気をつけ、運動し、禁酒し、定期検診に通い、寿命を延ばす——。

でも、それって本当に「幸せ」につながっているのでしょうか?

まるで、無期懲役を少しでも快適に過ごすための「自己管理」に思えてくることもあります。

 仏陀はゴマ一粒で生きた

仏陀が修行中に「ゴマ一粒で命をつないだ」という逸話があります。

それは「少食の健康法」ではなく、執着を捨て、生に対する姿勢を整える話です。

私たちもまた、日々の“食べすぎ・飲みすぎ・情報摂りすぎ”で疲れきっています。

体は常に忙しく、休む暇もありません。

それなのに「長く生きよう」とするのは、果たして自然なのでしょうか?

 INFP的視点:意味なき延命は苦痛

INFPは意味がないことに耐えられません。

「ただ生きていくこと」「ただ延命すること」が目的になると、

心がすり減り、感性が鈍っていきます。

だからこそ、INFPにとっては、

  • 「誰かの心にそっと灯をともすため」
  • 「静かに世界と折り合いをつけるため」
  • 「自分の中の平和を守るため」

そんな“やわらかな意味”がなければ、健康や長生きすら、苦しみの延長にしか思えないのです。

地獄に射す「裂け目のような光」

それでも、時々ふっと訪れる瞬間があります。

夕焼けの色がきれいだったとか、

誰かのひとことに救われたとか、

コンビニの店員さんの笑顔がなぜか沁みたとか。

この地獄のような世界に、ほんのわずかですが「裂け目のような光」が射すことがあるのです。

その光をもう一度見るために、

今日も少しだけ、生きてみてもいいのかもしれません。

おわりに

健康的な生活は「義務」ではなく、「静かに生きのびるための工夫」だと捉えれば、少しだけ心が軽くなります。

この世界が地獄のように思える日もあるでしょう。

でもそんな中で、「自分らしく在ろう」とするあなたの姿は、それだけで意味のあることです。

意味のない世界で、自分なりの意味を紡いでいく。

それこそが、INFPという生き方なのかもしれません。

【INFPの職場モヤモヤ記】優しさが踏みにじられたコピー機の前で

こんにちは、INFP田中です。

今日は、ちょっとした出来事がきっかけで、昔の記憶まで一気に蘇ってしまった話をしようと思います。

あれは、職場でのこと。
その日私は、自分の担当ではない会議資料をコピーしていました。部署全体のための仕事。誰かがやらなきゃいけない、でも誰もやっていない――なら、自分が動くしかない。そんな気持ちでした。

ところが、そのときです。

近くの席にいた事務員さんが、急に私に向かって言いました。

「田中さん!私は忙しいの!自分の印刷物は自分でお世話して!」

思わず、固まりました。
まるで「自分のことくらい自分でやって」と突き放されたような言い方。

 

正直、腹が立ちました。

でもその感情の奥にあったのは、怒りというよりも――悲しみでした。

 

私がコピーしていたのは、自分の資料じゃなくて、会議つまり部署全体の資料。

 

しかも、そのコピー機は彼女の席のすぐ近くにあり、印刷された紙を時々取り除かないと、ぐちゃぐちゃになってしまうタイプの製本仕様。

 

「ちょっとくらい、察してくれてもいいじゃないか」

 

そんな思いが、胸の奥でぐるぐると渦巻いていました。

 

 

しかし、

思えば私は、その事務員さんに甘えていたのかもしれません。
忙しい中で「気づいてくれるだろう」「助けてくれるだろう」という淡い期待が、どこかにあった。

でも、その期待は裏切られ、むしろ叱責として返ってきた。

 


自分の中の“善意”が、他人の目には“押し付け”に見えることもある――それを思い知らされた瞬間でした。

 

 

 

そして私は、ふと、幼少期のことを思い出しました。

 

 

 

■小さな仕返しの連鎖と、INFPが抱える“説明できない悲しみ”


コピー機の前で事務員さんに怒られたあの日、私はなぜあんなに心を揺さぶられたのか。
その理由を考えているうちに、幼い頃のある記憶がふとよみがえりました。

 

小学生のとき、友達と遊んでいて、ふとした拍子に肩がぶつかったことがありました。
別にわざとじゃなかった。けれど、相手は「おいっ」と軽く押し返してきた。

それに対して私も、「なんだよ」と少し強めにやり返す。
すると相手もまた、少し強く。

 

ぽんっ、ぽんっ、ぽんっ――

 

小さなやり返しが、次第に強度を増し、やがて本気のケンカになっていく。

 

あの時の感覚と、今の職場のやりとりが、どこか重なったのです。

 

最初は、たった一言。

 

でもその一言が「何かを押し返された」という感覚になって、
その感情をそのまま飲み込めない自分がいて、
心の中で、静かに“仕返しの連鎖”が始まってしまう。

 

もちろん、私は何も言い返しませんでした。
でも心の中では、「私は人のために動いてただけなのに」と繰り返し反芻していました。

 

INFPって、こういうとき“反撃”よりも“内省”に走るんですよね。

 

相手の言葉の裏を読み、
「きっとあの人も余裕がなかったんだ」と理解しようとして、
それでも自分の感情は処理しきれずに残っていく。

 

怒りじゃない。
でも、モヤモヤとした説明できない悲しみ。
それが胸の奥に、じわりと滲んでいく。

 

 

こういう出来事があると、私はいつも思います。

 

きっと人って、自分の中の「過去の痛み」が今の言葉や反応に乗っかってくるんだなって。

 

たった一言で傷ついてしまうのは、
その一言の背後に、自分でも気づかない「昔の傷」が潜んでいるからなのかもしれません。

 

そしてそれは、きっと誰にでもあるもの。

 

 

これからも私は、きっと誰かに傷つくことがあるでしょう。

そして、誰かを知らずに傷つけてしまうこともあると思います。

 

 

でもせめて――
そんな時に、自分の中に浮かぶ感情を無視せず、
静かに見つめ直せる自分でいたい。

 

 

怒りに飲まれず、でも悲しみを押し殺さずに、
「それでも私は私のままでいいんだ」と思えるように。

 

 

それが、私のようなINFPが、
この複雑な社会をなんとか生き抜くための、小さな祈りなのかもしれません。

 

45歳目前で気づいた身体のSOS―毎日のお酒と向き合う私の選択

アルコールに頼る日々から抜け出したい―45歳目前の私が気づいた身体のSOS

 

INFPーTの田中です。 毎日の疲れを癒すために、缶チューハイ(7%、500ml)を2本飲む生活を続けていました。

「これくらいなら大丈夫」そう思っていたのですが、45歳を目前にして、身体が発するサインに気づき始めました。

飲んでいる最中は気持ちいいけれど...
お酒を飲んでいる時間は確かに心地よく、一日の疲れが和らぐような感覚があります。

 

しかし、翌朝のだるさや、ダラダラと長時間寝てしまう自分に違和感を覚えるようになりました。20代、30代の頃とは明らかに違う身体の反応です。感覚的には、突然、とまではいかなくても急激に、という印象です。

 

実際のアルコール摂取量を計算してみると


缶チューハイ7%、500ml × 2本の純アルコール量は約56g。厚生労働省が推奨する「節度ある適度な飲酒」の目安は1日20g以下ですから、実に2.8倍もの量を摂取していることになります。

350ml × 2本に変更しても約39g(基準の約2倍)。「少し減らしただけ」と思いがちですが、それでも健康リスクが無視できないラインです。

 

身体が教えてくれる「慣れ」の正体


毎日の飲酒によって確実に起こる変化

 

  • アルコール耐性の上昇

同じ量では満足できなくなり、自然と量が増えていく危険性があります。

睡眠の質低下 寝つきは良くなっても、深い睡眠が妨げられ、結果として長時間寝ても疲れが取れません。

  • 肝臓への慢性的負担

毎日56gのアルコールは確実に肝臓を酷使しており、将来的な健康リスクが蓄積されます。

  • 精神的依存の芽生え

「飲まないと落ち着かない」という感覚が、無意識のうちに習慣化されていきます。

 

45歳前後で感じる身体の変化


代謝が落ち、筋肉・肝臓機能も低下傾向にある40代。同じ量のお酒でも、20代30代の頃より回復に時間がかかり、翌日の疲労感が長引くようになります。「飲んでいる最中は良いけれど、後がしんどい」という感覚は、身体からの重要なメッセージなのだと痛感しています。

 

「あればあるだけ飲む」自分を知る


ウイスキーの大容量ペットボトル買いを検討した時期もありましたが、自分を客観視すると「あればあるだけ飲んでしまう」タイプだと気づきました。缶での購入は、実は自分を守る重要な「防波堤」の役割を果たしていたのです。

 

無理のない節酒プランの実践


完全禁酒ではなく、現実的な調整を心がけようと思います。

■週1回の休肝日設定

胃と肝臓の回復時間を確保したい。そうすると翌朝のスッキリ感を実感できる、と飲酒仲間はいいます。

■350ml缶への段階的移行

500ml × 2本から350ml × 2本へ。アルコール量を25%以上カットしながら、満足感は維持できます。

■ノンアルコール飲料の活用

「2本目はノンアル」の日を設けることで、飲んだ気分を味わいながら肝臓を休ませられます。

■代替アイテムの導入

  • ノンアル焼酎ハイボール風
  • 強炭酸水(レモン風味)
  • 温かい白湯や生姜湯

 


習慣化のための小さな工夫

私はまだ実践できていませんが、取り組んでいこうと思います。

 

■飲酒記録をつける

スマホのメモ機能やアプリで可視化することで、飲む日と休む日のバランスが取りやすくなるそうです。

■飲む時間の固定化(20時以降)

早い時間から飲み始めると量が増えやすく、睡眠の質も落ちるため、時間制限を設けています。

 

■新しい入眠ルーティンの確立

風呂→炭酸水→就寝のパターンを作ることで、アルコールに頼らない快眠習慣を身につけられるそうで、やっていきたいと思います。

 

〈アルコールから距離を置けた知人談〉

週間スケジュール例
月曜:350ml × 1本(週の始まりは軽く)

火曜:休肝日(ノンアルで調整)

水曜:350ml × 2本(リラックス日)

木曜:350ml × 1本(翌日への配慮)

金曜:自分を労う日として適量 週末:運動後の楽しみとして、でも上限は意識

 

なるほど、、これは酒飲みにはハードル高いです、読んだだけでぞっとしますが、取り組んでいきたいと思います。

 

気づいたこと、学んだこと


「なんか最近、だらだら寝てしまうな」「でも飲む時間はやめたくない」

この揺れる感覚こそ、身体と心が方向転換のタイミングを教えてくれている瞬間でした。ただ、少し量を減らすだけで、翌朝の目覚めや気分の軽さに変化を感じることができます。

 

私たちINFPは内面の変化に敏感です。

身体が発するサインを無視せず、自分らしいペースで健康と向き合うことが大切だと気づきました。完璧を求めず、小さな変化を積み重ねていく姿勢が、長期的な健康維持につながると信じています。

 

INFPの私が送別会に行かない理由

INFP田中です。

仕事人生において、成長うんうん以前に、厳しく言われた人に対してはやはり予後の人生も嫌悪感しか残りませんよね。

その感情、本当によくわかります。 「成長の糧だった」とか「厳しさが愛だった」なんて後付けの美談にされることがありますが、実際に心を削られた側からすれば、そんなきれいごとで済ませられるものではありません。

特にINFPの私たちのような、感受性が豊かで真剣に物事に向き合うタイプは、相手が理不尽だったり、人格を否定するような言い方だった場合――その記憶は「成長」ではなく「傷」として心の奥深くに刻まれます。そしてその人に対して「嫌悪感」しか感じられないのは、むしろ正常で健全な感覚なのです。

 

フラッシュバックという名の心の警報


私も経験があります。ふとした瞬間に、嫌なことがあるとあの時の記憶がよみがえってきて、「今の自分のつらさは、あのときのせいだ」と思ってしまう。これも心が自分を守ろうとする一種の防衛反応なんですよね。

 

無理に忘れようとすると逆に苦しくなるので、まずはこう捉えてみてください

 

「あのときの自分は、ちゃんと耐えて生き延びた」 その記憶がつらいのは、それだけ自分にとって重要で、痛かったから。でも、その中でも今日まで来ている。それは"弱かったから傷ついた"んじゃなく、"傷つくほど真面目に向き合ってた証拠"です。

「その人の存在が、今の自分の価値を決めることはない」 嫌な人の言葉や態度って、妙に心に残りますよね。だけど、その人の評価や言動は、あなたの本当の価値とは関係ない。

職場という名の感情のはけ口システム


現職で携わった人たちの顔が浮かんでくる――それは偶然ではありません。実は、職場では立場や感情のはけ口として「厳しさ」が乱用されているケースが本当に多いのです。

立派な肩書きがあろうと、年齢を重ねていようと――人は、自分の未消化の怒りや不安、劣等感を誰かにぶつけずにいられないときがあります。しかも、それが「立場の弱い人」や「声をあげにくい人」に向けられる。

人間は弱くて、自分で受け止められないから、どこかにそのはけ口を求める――それは確かに情けないことですが、現実として日常的に起きています。そして、その犠牲になるのは、まじめに頑張ってる人や、相手の感情を受け止めすぎてしまう私たちのような人たちです。

 

家族以外の厳しさに感謝なんてできない


「家族以外の人間で厳しくされても結局、感謝されないのではないか」という疑問――これはものすごく本質的で、深い洞察だと思っています。

本当に信頼関係があったうえでの厳しさなら、いつか「あれは必要だった」と思えることもあるかもしれません。でも、現実の職場の多くでは、立場や感情のはけ口として「厳しさ」が乱用されている。そんなものに感謝なんて、できなくて当たり前です。

 

静かな復讐という名の自己防衛


だから私は最後に仕返ししたい――その気持ち、痛いほどわかります。

でも、あなたが選んだ方法は素晴らしいと思います。「直接攻撃はしたくない。その人たちの送別会にでない。その企画にさえ参画しない」――これは静かだけど、とても強くて、深い怒りと悲しみの表れです。

 

それはあなたなりの「誇りを守る仕返し」ですね。

誰かを傷つけ返すことではなく、「あなたとは、もう心の領域を共有しません」「あなたを祝う場に、私は参加しません」――それは明確な拒絶の意思表示であり、あなた自身が、あなたの人生に「境界線」を引くという行動です。

「直接攻撃はしたくない」と言うところに、人としての美意識と、一線を越えたくないという理性を感じます。それでも「仕返し」として語っているのは、どれだけその人たちに心を踏みにじられたかを、誰よりも知っているからですよね。

 

INFPとしての生き方


私たちINFPは、優しさや誠実さを大切にします。でも、その優しさが自分を責める方向に向いてしまうことも多い。

「情けない」のは、あなたじゃない。あなたに無責任に怒りをぶつけた人間のほうが、よっぽど情けないのです。

あなたはむしろ、自分の痛みも、他人の弱さもちゃんと見つめてしまう優しい人。その優しさを、もう少し自分に向けてあげてもいいのではないでしょうか。

送別会に出ない、その企画に参画しない――それでいいんです。それが、あなたなりの静かな復讐であり、あなた自身をようやく少しだけ守ってあげる行為なのだと思います。

周囲がどう言おうが、職場の空気がどうなろうが、あなたの心にとってそれが"真っ当な防衛"であるなら、堂々とそうすればいいんです。

この選択のあとに、少しでも心が軽くなる時間が訪れるようにと、心から願っています。

INFP田中

雨の日に出会った蛇と、私の小さな葛藤

こんにちは、INFP-T田中です。今日は、ある雨の日の出来事を、私の心の動きと共に記してみたいと思います。これはごく普通のウォーキング中に起きた、けれども私にとってはちょっとした道徳的ドラマとも呼べるような、小さな一幕でした。

雨の中、外壁を登る蛇

それは湿った午後、私は傘をさしながら近所の道を歩いていました。雨粒の音と、草の香り、そしてどこかひんやりとした空気の中で、ふと視界の隅に動くものがありました。見ると、それはなんと、1メートルほどの大きさの蛇。まさにその蛇が、1メートルほどの高さの外壁を器用に登って、民家の敷地内に入っていくところだったのです。

生まれてこの方、あれほど大きな蛇を間近で見たのは初めてでした。一瞬身を引いたものの、冷静になってよく観察すると、おそらくアオダイショウだとわかりました。毒はなく、おとなしい性質の、日本ではよく見られる蛇。むしろ昔から「家の守り神」として大切にされてきた存在です。

傘で振り落とすべきか? 道徳的ジレンマ

とはいえ、蛇が人の家に入るというのはあまり穏やかなことではありません。その家には犬がいるようで、もしかしたら犬が吠えて知らせてくれるかもしれない……。でも、それに気づかないでいると、驚かれたり、あるいは危険を感じるかもしれない……。

このとき頭をよぎったのは、「私が傘で蛇を振り落としてあげるべきか?」という問いでした。しかし、蛇に傘で触れるというのは、私自身も恐いし、蛇にとってもよくないかもしれない。それに、怪我をさせてしまう可能性もある。結局、私はその選択肢を諦めました。

ピンポンして知らせるべきか?

次に思ったのは、「家の人に知らせてあげるべきか?」ということでした。蛇が入っていったことを伝えれば、注意もできるし、何か対処もできるかもしれない。でも、その時点で私はすでに雨の中、知らない家の前で5分ほど立ち尽くしていたのです。

もし私がその家の住人で、突然知らない人が傘をさしてインターフォンを鳴らしてきたら……? 驚くのは間違いないでしょう。最悪、不審者と思われてしまうかもしれない。日本という社会では、見知らぬ訪問者に対して慎重になるのはごく自然な反応です。

私は迷った末、何もせずその場を離れました。心に小さなわだかまりを残しながら。

善意とカルマについて

帰宅してからも、その出来事は私の心の中で繰り返されました。「私はあの家の人に、悪いことをしてしまったのではないか?」「これがカルマになってしまうのでは?」と。

でも、後になって調べたところ、やはりあの蛇はアオダイショウであり、基本的には無害であるとのこと。そして、家に蛇が現れることは縁起が良いとも言われていることを知り、少しだけ心が軽くなりました。

そして何よりも、私がその場で「どうすれば良いか」を真剣に考え、誰も見ていない中で「立ち尽くして待つ」という選択をした自分を、少しだけ誇りに思いました。

行動には表れなかったけれど、心の中では確かに、誰かのために何かをしようとしていた。それがINFP気質であり、私なりの“静かな優しさ”だったのかも、、と自分を慰めました。

その後の流れと、不思議な幸運

不思議なことに、それ以降、私のまわりでは小さな「いいこと」が続いています。思いがけない人から感謝の言葉をもらったり、仕事でスムーズに物事が運んだり……。

もしかすると、あの蛇との出会いが何かの“しるし”だったのかもしれません。あるいは、あの時感じた心のざわめきが、何かを変えるきっかけになったのかもしれません。

まとめ:声に出さない優しさも、世界に届いている

この体験から、私は「行動に出なかった善意」について深く考えました。行動しなかったからといって、心の中のやさしさまで無価値になるわけではありません。

私たちINFPは、とかく内面の感情や倫理観に重きを置きすぎて、自分を責めがちです。でも、ほんの一瞬でも「誰かのために」と思ったその心は、たとえ行動に表れなかったとしても、きっとどこかに届いている。そんなふうに思えるようになりました。

だから私は、あの日の自分にこう言ってあげたいのです。

「雨の中、ありがとう。あなたのやさしさは、ちゃんと生きているよ」と。