INFP人生記

著者:MBTI診断INFP-T/男/家庭持ち/1980年生/吃音/HSP/営業職

過剰なサービスをしてしまう自分の反省、“善意の失敗”から学んだ教訓

INFP-Tの田中です。24年も暮れようとしています。今年も色んな苦労があり、その濃密さに時の流れはむしろ加齢とともに遅くなってすら感じるくらいです。つらい時間というは遅く感じるものですからね。

さてそんな24年を締めくくる年の瀬に私はまた、自分でもよくわからない挙動に出てしまい、今は後悔や嫌悪感に包まれています。

会社の年末抽選会であたった「豪華すき焼き神戸牛ギフトセット(2万円相当」を人にあげてしまった

今年は会社に色んな贈り物があり、それを部署内のみんなで分けよう、という話になりました。1位は普段なかなか口にすることができない、

「神戸牛の高級すき焼き肉+高級イクラ+しめ鯖」と至れり尽くせりの豪華セットでした。普段くじ運の悪い私、まさか当たるまい、、そう思いながらくじ引きに参加しました。

するとまさかの当選。

それはもう垂涎の商品でした。これまでのくじ運の悪さを一気に取り返すかのような見返りでした。

これを家族にもって帰ったら発狂するほど家族は、喜んでくれるだろう、私は妻や子供たちが喜ぶ姿を想像してテンションが上がりました。

と同時に、これを普段お世話になっていながら、今年はとくに負担をかけてしまった取引先(私が顧客的な立場になります)にプレゼントして、その恩に報いたい、と思ったのです。もう本当に私は今年は、その取引先の人につらい思いをさせてしまったことをずっと気に病んでいたのです。

 

これをあげたら喜ぶんじゃないかー。

 

私は、その豪華すき焼き肉、自分自身も食べたくて食べたくて仕方なかった、しかも家族4人で食べてもしっかり満足できるその量、、

家族、

取引先、

家族、

取引先、

迷いながら、取引先にあげようと決めました。

 


周囲に反対される

1日じっくりと考えたあと、取引先にあげよう、そう決めて、周囲にも吹聴しました。

すると周囲からは「それはやめとけ!家族のために持って帰って食べさせてあげろよ!取引先なんて、そのためにこちらだってきちんと対価は払ってやってるんだから、あげる必要なんてない!しかも一度あげたら癖になるぞ、どうしてもあげたいんだったら、“しめ鯖” だけあげたらいいじゃないか」と忠告されました。

グラグラときました。

やはり客観的にみてそうなのか、過剰サービスなのかこれは。はっとしました。しかし私はやはり、それでもその取引先担当者に対してプレゼントしたい気持ちが勝ち、あげると改めて決意しました。

 


実際にプレゼントしたあと

その取引先の担当者(部長の人)に渡しにいきました。リアクションは私の想像とは裏腹に冷めたものでした。

「ええ、、自分で食べたらいいじゃないですか」 

その担当さんは人並みに肉が好きな人です。なので嬉しくないはずはないのです。(以前もちょっとしたいただきもののお肉をプレゼントしたときに喜んでいたからです。)

 

ただ、私は今回のその取引先のリアクションを見て初めてピンときたのです。

 

やりすぎたー。

プレゼントにしては過剰な品だったのではないか?

 

もらうほうも恐縮してしまい、かえって精神的な負担を与えてしまった、そう気づいたのです。

しかし、出したものを引っ込めるわけにもいかず、

「社内のくじであたったタダのものですから、気にしないで持って帰ってくださいよ!」

 

と半ば強引に私は、その取引先さんに押し付けるような形で渡して、その気まずい感じの空気感の中、そそくさとその場を後にしてしまったのです。

 

帰る車の中で、他にも考えたことがあります。

 

これはいわゆる利益供与的な側面があるのではないか、その取引先にあげるなら、本来は私が世話になっているその部長一人にあげるのではなくて、その部長が所属する部署全員にあげるべきだったのではないか?

その取引先の部長もそんな高価なものを私からもらっていることが部下に知れた場合、かえって立場を悪くするのではないか?

また私自身も、その部長だけをひいきにすることで、その取引先の部署の他の人たちから恨まれるのではないか? 

また何より、会社対会社の付き合いの中で私がこうやって高価なものをプレゼントすることは越権行為になるのではないか?

つまり、好意でやったことがむしろ不正行為になるのではないか?

 

そんな嫌悪感が頭の中を支配し始めて、後悔の念にここ数日囚われて頭を離れず、胸が苦しいのです。

 

何より、私自身も食べたかった、そして家族にも食べさせてよろこんでもらいたかった。

そう、会社の先輩のアドバイス通り、もらうほうにも精神的負担の少ないちょっとしたものを渡すだけで、十分に気持ちは伝わったのではないか?

そんな自己嫌悪が離れず、テレビで年末に特集されている御馳走を取り扱う番組(ちょうどすき焼きが特集されていました)や実際にスーパーで売っているお肉、これを見ながら、食べたかったなあ、となんともいえない不甲斐なさを噛みしめています。

 


今は、どうか今回の事件?が明るみになりませんように、何事もなく過ぎ去りますように、と願うばかりです。余計なことをしてしまった、そういう念に押しつぶされそうな気分です。

 

 

 

過剰サービスしてしまうその心底にあるもの

よく考えたら、いくら私がその取引先に負担を強いてしまった、といえども、仕事でやっていることです。きちんと交渉も重ねながらやっているわけですから、特別な贈り物など、必要ないのです。

逆に、そこで贈り物などしようものなら、「これを恩に着せて、今後も負荷をかけることを見逃して」そういう強制的なメッセージにもなってしまいます。

私が自分でも自覚できていなかったその心の奥にある本音はおそらく、

 

いい人でいたい(恨まれたくない)

 その取引先にお世話になっているのは私一人ではなく、私の所属する部署全員です。私だけがプレゼントをすることで好意の独り占めをしようとしてしまったのかもしれません。

恩に着せて今後も無理を聞いてもらいたい

 この贈り物でこれまでの負荷をチャラにしてこれからも無理難題を聞いてくれ、そういうエゴイズムが潜んでいたかもしれません。

 

↑こういうことだと思います。

「これまでの労に感謝の念をもって報いたい・喜んでもらいたい」それはただの私のエゴな建前にすぎなかったと、そんな気がしています。

 


◆今後の対策

私は何をするにしても、度が過ぎてしまうことがある、と妻に指摘されます。食べたり飲んだりするのも、際限なくやってしまったり、また必要以上にお返しをしてしまう、などです。ちょうどいい具合の立ち回りが苦手なようです。

そこでこう思うことにします。

冷静に自分の立ち位置を考える

そもそも自分がその贈り物をする立場にあるのか?検討することが必要です。その基準は、誰にばれても堂々とできるか、ということです。内緒でこっそりと進めないといけないようなことは本来はするべきではないでしょう。また、周囲に話してそのアドバイスにも耳を傾けることです。今回、私は周囲のアドバイスを無視して自分のエゴともいっていい状況でプレゼントを強引に推し進めてしまいました。

本当にやましくないか?それを胸に当ててよく考えるようにします。

その贈り物の価値を見極める

 仕事でもなんでも、何かプレゼントをする際は、それが本当にその対価に見合うものなのかを考えて予算を決める。仮にタダで手に入ったものであっても一般的なその価値を見極める。過剰に高価な贈り物は返って好意の暴力、ともいえます。プレゼントハラスメントともいえるかもしれません。過言な表現かもしれませんが、そうした対価のバランスを考えた贈り物を心掛けます。

最後に

よかれと思ってやったことが、そのバランスを欠き、相手や自分をも苦しめることなる。それはとても悲しいことだと思います。

今回の出来事を糧に私は、改めてこの自身の臆病な性格つまり「臆病で人から嫌われたくない、良い人でいいたい」という根本からくる過剰サービス精神を見直して、もっと適切な行動がとれる社会人となりたいと思います。今はただ、今回のことはむしろ私がやらかした不祥事、とまで考える、しかも自分をも犠牲にしてしまった、どうか何事も起きず過ぎ去ってくれ、と願いながら、思いを新たにする次第です。