INFP人生記

著者:MBTI診断INFP-T/男/家庭持ち/1980年生/吃音/HSP/営業職

父親として恥をかいた日――“透明人間”なINFPの私が試合を止めた理由

こんにちは、INFP-Tの田中です。
今日は、忘れられないある春の日の出来事をお話しさせてください。小学生の息子の野球の試合を観戦に行った日のことです。あの日の私は、まさか自分の存在がグラウンド全体の空気を一変させるほどの「事件」を引き起こすとは、夢にも思っていませんでした。

場所は大きな運動公園。広いグラウンドを囲むようにランニングコースが設置されていて、そこがまるで観覧席のように少し高くなっており、全体を見渡せるベストポジションに見えたんです。

「お、ここからなら見やすいな。誰もいないしラッキーだ。」

そう思って立っていたら、5分ほどして試合が一時中断。何事かと見下ろすと、運営側の男性が怒鳴り、息子の監督たちがこちらを見上げて…

「そこから見ないでください!」

突然の声に凍りつきました。
まるで全校集会で名前を呼ばれて叱られた小学生のような、あるいは教室で笑いを取ろうとして滑った中学生のような、恥ずかしさと動揺が体中を駆け巡りました。

あの瞬間、私以外にその場所に立っていた人はいません。
つまり、全員が私だけを見ていたのです。

「え?なんで…私なんか見えてたの?」

私はよく「空気のような存在」として扱われがちです。とくに親子関係や、家庭の文脈が絡む場面では、どうも自分の居場所やふるまいが分からなくなってしまう。自分の親と一緒にいるとき、子どもと一緒に他人に会うとき、その“二重構造”が生む奇妙な気まずさが私を支配するのです。まるで場面緘黙のような、喉に鍵がかかるような感覚。

仕事では営業職として日々たくさんの人と話しています。初対面の相手にもプレゼンもできます。だけど、家族が絡むと、急に「どうふるまえば正解なのかわからない」無力な自分が現れます。

試合が止まり、他の父兄の目線が刺さる中で、私はとっさに「失礼しました!」とだけ言ってその場を離れました。
その時の私の心境は、まさにこうです。

「透明になる薬、切れてた…?」

実際、鳥ですらぶつかってきそうなくらい存在感がないと日頃から思っていた私が、まさかの“試合停止の引き金”になるとは…。
息子にも恥ずかしい思いをさせてしまったかもしれません。運営の人も、監督たちも、迷惑だったはず。そんな中年のおじさんが、試合を一瞬でも止めた。何とも言えない居たたまれなさと、逃げ出したい気持ちでいっぱいになりました。

けれど帰るに帰れない。駐車場までは車を相乗りしてきた他の父兄さんと一緒だし、息子もまだ試合中。
逃げ場がないというのは、こういう状況のことを言うのでしょう。顔は火照り、体はぐったり。試合は再開しても、私は心の中でずっとフリーズしていました。

あらためて、なぜ私はあの場所に立ったのか考えてみました。

「見晴らしがいいのに誰もいない」

この時点で、「あそこは立ち入り禁止なのかもしれない」と察するべきでした。しかし私は、周囲との関係性を築くのが苦手な性格ゆえ、他の保護者と会話を避け、独り行動を選びました。

もし誰かに、
「そこって見やすそうですよね」
と声をかけていたら、
「いや、あそこは禁止なんですよ」と返ってきたかもしれない。つまり、私は人との関わりを避けた結果、自ら危険な地雷を踏んでしまったのです。

また、私はどこか「怒られても、まぁなんとかなるか」と心のどこかで思ってしまうクセがあります。リスク感知能力が低く、警戒心が薄い。これは営業の現場でも時々出る弱点です。

こういった“社会とのズレ”に気付くたび、自分の脆さを突きつけられるような気持ちになります。普通の人が無意識にできる「空気を読む」「場を察する」という能力が、どうやら私はちょっと弱いらしい。自覚はあります。でもそれが、日常のちょっとした場面でこれほどまでに大ごとになるとは…。

40代半ばにもなって、まさか「観戦場所ミス」で試合を止め、周囲に謝る日が来るとは。人生とは、こうも不器用で、思い通りにいかないものなのかと、思い知らされました。

でも、だからこそ、こういう体験を共有してみたかったんです。

私のように、「人と関わるのが苦手」「場の空気を読むのが苦手」「家族が絡むと妙に緊張する」…そんな方にこそ、声をかけたい。

あなたは一人じゃありません。
私も、日々しくじりながら、何とか生きています。