こんにちは、INFP-Tの田中です。人生の中で「もう十分生きたな」と思う瞬間がある一方で、「まだこんなに苦しむのか」と感じることもあります。40歳になり、人生の折り返しに来た今でも、惑いは尽きません。不惑(40歳のこと)なんて言葉は遠い夢物語。
特に最近、娘が難病の疑いを抱え、家族で乗り越えようともがく日々が続いています。その渦中で見えてきたのは、普通であることの大切さでした。
人生の「地獄」の日常
社会人として、父親として、そしてひとりの人間として。私たちは日々、何とか自分を支えながら生きています。それでも、ふとした瞬間に思うのです。「これ、いつまで続くんだろう?」と。
例えば月曜日の朝。週末の休息が一瞬で吹き飛び、地獄のような一週間が始まる。火曜日、水曜日と進むうちに慣れてくるけれど、これはただ麻痺しているだけであって、本質的には辛さは変わりません。
そんな時に、娘の長引く下痢という問題が私たち家族に重くのしかかってきました。
娘(小学5年生)の下痢が続く日々
娘が「お腹が痛い」と訴え始めてから、もう数か月が経ちます。近くの病院では原因が分からず、いくつもの検査と治療を試しましたが、症状は改善しません。最終的に、潰瘍性大腸炎という難病の疑いで高度医療機関に入院することになりました。
潰瘍性大腸炎という病名、皆さんは聞いたことがあるでしょうか?名前だけ聞くと地味に感じるかもしれませんが、実際には国が指定する難病で、治療が非常に難しい病気です。
「難病」と聞くと、頭に浮かぶのは「癌」のような怖いイメージの病名かもしれません。刹那的で鋭い響きが恐怖を煽ります。それに比べて潰瘍性大腸炎は、そのひとつひとつの言葉の組み合わせの響きから、どこか馴染みを感じ、一見すると軽い病気のように感じてしまいます。しかしその実態は、患者本人だけでなく、家族にも大きな負担を強いる厳しい病気です。
普通の生活のありがたみ
娘の病気をきっかけに気づいたのは、何気ない日常の尊さです。朝起きて、家族と食事をして、健康でいられること。それがどれだけ幸せなことだったかを改めて思い知らされました。
私たちは、普通の生活を「退屈」と捉えがちです。しかし、それは実は人生の中で最も贅沢な瞬間なのかもしれません。普通でいられること、何の不安もなく一日を過ごせること、それこそが幸せの本質ではないでしょうか。
苦しみの中で見つけた希望
娘の病気が疑われてから、私たちは日々、もがき続けています。医療費の心配、治療の成果への不安、そして「なぜ我が家にこんな不幸が?」という自問自答。しかし同時に、この苦難を通じて家族の絆が強まったのも事実です。
人は苦しみの中でこそ成長する、そんな言葉がありますが、正直なところ、これが成長なのかどうかは分かりません。ただひとつ言えるのは、この苦しみが私たちに「普通の生活を目指す」という目標を与えてくれたということです。
自分にできることを信じて
娘の病気と向き合う中で、私は自分の無力さを何度も感じました。それでも、父親として家族を支えることが自分にできる最大の役割だと思っています。
最近は、開運のためにトイレ掃除をしたり、ご先祖様のお墓参りをしたりと、目には見えない力にも頼っています。それが科学的に意味があるかどうかは分かりません。でも、そうすることで自分を保つことができるのです。
人生は苦しいけれど
人生は、私が思っていた以上に苦しいものでした。そしてこの先も、さらなる苦難が待っているのかもしれません。それでも、私はこう思うのです。「人生は、少しでも楽にするために、自分の考え方を変えることで道が開けるのではないか」と。
娘が元気になる日を信じて、私は今日も地道に生きています。そして、この記事を読んでいるあなたにも、もし似たような悩みを抱えているなら、声を大にして伝えたいです。
「どんなに辛くても、少しずつ前に進むことで、何かが変わるはずです。」
私たちが迎える明日が、少しでも穏やかでありますように。
<それから4年後>
娘は中学生になりました。体も成長し、今では大人が使う薬も服用できるようになりました。そのおかげで、治療は大きく前進。数か月に一度の通院で、注射を一本打つだけで体調が安定しています。以前のように毎日の服薬や頻繁な検査に追われる生活は、今では遠い過去のように感じられます。
もちろん、この先も油断は禁物です。病気が完全に治ったわけではありませんし、再び厳しい状況に直面する可能性もあります。ただ、あの頃の娘の目にあった絶望的なまなざし——静かに、でもどこか諦めたように私を見つめていたあの目は、もうありません。
今の娘は、友達とのおしゃべりや学校生活を楽しんでいます。笑顔で学校の話をしてくれる娘の姿を見るたびに、私は心の底から思うのです。「あの苦しみの日々も、決して無駄ではなかった」と。
耐え忍び、日々を生きる中で、私自身も少しずつ変わりました。当時は何もかもが辛く、ただ先の見えない苦しみに耐えるしかありませんでした。それが今では、娘の笑顔を見るたびに、「私たちの家族が一つずつ積み上げてきたもの」が、確かに意味を持っているのだと実感しています。
人生には、思い通りにならないことが多すぎます。それでも、諦めずに歩み続けることで、少しずつでも状況が好転する瞬間があるのだと、今の私は信じています。娘の楽しそうな姿を見ていると、それはまるで長い間積もったカルマが浄化されていくような感覚です。
4年前、目の前の現実に押しつぶされそうだった自分が、ここまでたどり着けたこと。これもすべて、娘が笑顔を取り戻してくれたからこそだと思います。これからも油断せずに、けれど希望を胸に、家族で進んでいきたいと思っています。