こんにちは、INFP田中です。
今日は、ちょっとした出来事がきっかけで、昔の記憶まで一気に蘇ってしまった話をしようと思います。
あれは、職場でのこと。
その日私は、自分の担当ではない会議資料をコピーしていました。部署全体のための仕事。誰かがやらなきゃいけない、でも誰もやっていない――なら、自分が動くしかない。そんな気持ちでした。
ところが、そのときです。
近くの席にいた事務員さんが、急に私に向かって言いました。
「田中さん!私は忙しいの!自分の印刷物は自分でお世話して!」
思わず、固まりました。
まるで「自分のことくらい自分でやって」と突き放されたような言い方。
正直、腹が立ちました。
でもその感情の奥にあったのは、怒りというよりも――悲しみでした。
私がコピーしていたのは、自分の資料じゃなくて、会議つまり部署全体の資料。
しかも、そのコピー機は彼女の席のすぐ近くにあり、印刷された紙を時々取り除かないと、ぐちゃぐちゃになってしまうタイプの製本仕様。
「ちょっとくらい、察してくれてもいいじゃないか」
そんな思いが、胸の奥でぐるぐると渦巻いていました。
しかし、
思えば私は、その事務員さんに甘えていたのかもしれません。
忙しい中で「気づいてくれるだろう」「助けてくれるだろう」という淡い期待が、どこかにあった。
でも、その期待は裏切られ、むしろ叱責として返ってきた。
自分の中の“善意”が、他人の目には“押し付け”に見えることもある――それを思い知らされた瞬間でした。
そして私は、ふと、幼少期のことを思い出しました。
■小さな仕返しの連鎖と、INFPが抱える“説明できない悲しみ”
コピー機の前で事務員さんに怒られたあの日、私はなぜあんなに心を揺さぶられたのか。
その理由を考えているうちに、幼い頃のある記憶がふとよみがえりました。
小学生のとき、友達と遊んでいて、ふとした拍子に肩がぶつかったことがありました。
別にわざとじゃなかった。けれど、相手は「おいっ」と軽く押し返してきた。
それに対して私も、「なんだよ」と少し強めにやり返す。
すると相手もまた、少し強く。
ぽんっ、ぽんっ、ぽんっ――
小さなやり返しが、次第に強度を増し、やがて本気のケンカになっていく。
あの時の感覚と、今の職場のやりとりが、どこか重なったのです。
最初は、たった一言。
でもその一言が「何かを押し返された」という感覚になって、
その感情をそのまま飲み込めない自分がいて、
心の中で、静かに“仕返しの連鎖”が始まってしまう。
もちろん、私は何も言い返しませんでした。
でも心の中では、「私は人のために動いてただけなのに」と繰り返し反芻していました。
INFPって、こういうとき“反撃”よりも“内省”に走るんですよね。
相手の言葉の裏を読み、
「きっとあの人も余裕がなかったんだ」と理解しようとして、
それでも自分の感情は処理しきれずに残っていく。
怒りじゃない。
でも、モヤモヤとした説明できない悲しみ。
それが胸の奥に、じわりと滲んでいく。
こういう出来事があると、私はいつも思います。
きっと人って、自分の中の「過去の痛み」が今の言葉や反応に乗っかってくるんだなって。
たった一言で傷ついてしまうのは、
その一言の背後に、自分でも気づかない「昔の傷」が潜んでいるからなのかもしれません。
そしてそれは、きっと誰にでもあるもの。
これからも私は、きっと誰かに傷つくことがあるでしょう。
そして、誰かを知らずに傷つけてしまうこともあると思います。
でもせめて――
そんな時に、自分の中に浮かぶ感情を無視せず、
静かに見つめ直せる自分でいたい。
怒りに飲まれず、でも悲しみを押し殺さずに、
「それでも私は私のままでいいんだ」と思えるように。
それが、私のようなINFPが、
この複雑な社会をなんとか生き抜くための、小さな祈りなのかもしれません。