こんにちは。宇宙の片隅、地球という小さな星で存在感を限りなくゼロに近づけながら生活しているINFP田中です。
今日は、そんな私が経験した「レジでの割り込み事件」についてのお話です。
レジ待ちの苦悩
買い物は、私たちINFPにとって一種の試練です。特にレジ待ちの列は、まるでマラソンのスタートラインに立っているようなプレッシャーを感じます。過去に、当ブログでもレジ待ちで遠慮しすぎて失敗した話を書いたことがありましたが、今回の出来事はその中でもトップクラスのインパクトでした。
その日、私は地元のコンビニで買い物をしていました。4台のレジが並ぶ広い店内。私の前には数人の行列ができていましたが、余裕を持って通路を開けて並んでいました。すると、事件は突然起こったのです。
「しれ〜っと」割り込んでくるオバサン現る
後ろから「しれ〜っと」割り込んでくる一人のオバサン。気づいているのか、いないのか…。いや、絶対わかってるでしょ!その態度は、狙い澄ましたプロの動き!私は心の中で叫びました。
「嘘でしょ!?私がずっと守ってきたマナーとルールを踏みにじるなんて…!」
後ろには健気に待っている女子高生や多忙そうなサラリーマンがいます。私一人だけの問題ではありません。私がここで黙っていては、この社会の正義が揺らぐのではないか――そんな大げさな使命感に駆られました。
言うべきか、言わざるべきか
「割り込んでますよ」と勇気を出して伝えるべきか?それとも、大人としてその場を丸く収めるべきか?私の中で葛藤が始まりました。
でも、待って。あのオバサン、もしかして見た目よりお年を召しているのかもしれない。優先席のような気遣いが必要な場合もあるのでは…。いやいや、立派に立っているし、その袋の重さも軽そうだし、きっと元気だ。
頭の中で様々なシナリオが駆け巡ります。そして最後にはこう結論しました。「ここは店員さんが注意してくれるはず!」と。
しかし、結末は思いがけず平和だった
結果どうなったかというと、隣のレジから「こちらどうぞ〜」と案内されました。そしてそのオバサンは、ちゃっかり私より先に会計を終えて去っていったのです。
…結局、私は何も言えませんでした。総理大臣でもない一市民の私には、全ての正義を背負うことはできませんでした。けれど、何となく心が軽くなったのも事実です。
INFPが学んだこと
今回の出来事から、私は一つの学びを得ました。それは、「時には自分の心の平和を優先することも大切だ」ということです。相手の行動を変えることはできなくても、自分の受け止め方を変えることで、日常の小さなストレスを軽減することができるのです。
もし次に同じような場面に遭遇したら、私は多分また迷うでしょう。でも、それも私らしさ。INFPらしい内なる旅なのかもしれません。
レジで割り込まれるなんて、小さなことに思えるかもしれません。でも、私たちにとっては大きな葛藤です。そんな日常の小さなドラマも、少し視点を変えるだけで新しい発見があるかもしれません。
これからも一緒に、内向的な私たちなりの幸せを見つけていきましょう。
※※
買い物とは、INFPにとって修羅の道
静けさに包まれた内なる旅人たちは、
列に並ぶだけで心がざわめく
マラソンのスタートラインか、
それとも裁きの舞台か
割り込みのプロフェッショナル
「しれ〜っと」忍び寄るオバサン、
気づかぬフリの名人芸
その動きは滑らかで、
チーターが草むらから飛び出す瞬間を思わせる
私は叫ぶ、心の中で叫ぶ。
「嘘でしょ!?
この正義のラインを崩してしまうなんて!」
後ろを振り返れば、
女子高生、そして疲れたサラリーマン。
彼らはただ、静かに待つ。
私は一人、正義の旗を掲げるべきか?
葛藤という名の踊り
「割り込んでますよ」と、言うべきか?
それとも、
静けさを優先し、大人の顔を装うべきか?
頭の中で天秤が揺れる。
「彼女はお年寄りかも?
いやいや、袋が軽いからきっと元気。」
内なる対話は続き、
その結末は一つの平和へと向かう。
「きっと店員さんがやってくれるはず。」
隣のレジから聞こえた光
そして天の声、
「こちらどうぞ〜」
導かれた先に平穏があった。
だが、彼女はすでに去りゆく。
会計を終え、勝利のような背中で。
私は何も言えなかった。
何もできなかった。
正義と平和の隙間で
学びとは時に矛盾の中にある。
私が得たもの、それは、
「自分の平和を優先する勇気」。
正義を全て背負うことはできない。
私はただの田中。
総理大臣でもなければ、ヒーローでもない。
レジ列は、日常という名の宇宙。
小さき出来事の中にも、
私たちは自分を探し、
葛藤し、そしてまた生きていく。
オバサンのようにしれ〜っと、
幸せを割り込む者がいてもいい。
だって、私たちには心の中の世界があるから。
さあ、次の列に並ぼう。
そこにも、
新しいドラマと学びが待っているだろう