INFP人生記

著者:MBTI診断INFP-T/男/家庭持ち/1980年生/吃音/HSP/営業職

現実は長い夢、夢は短い現実

長い夢としての現実 ― 永遠のループの中で

INFP-tの田中です。

私たちは、朝、目を覚ますと「現実の世界に戻った」と思います。
けれど、本当にそうなのでしょうか。そういうようなことをふと最近思う、45歳の私です。


夢を見ていた自分が目を開け、
「これは現実だ」と認識する瞬間、
それは本当に夢からの覚醒なのでしょうか。
あるいは、ただ別の夢の層に移っただけなのかもしれません。

私はときどき、こう考えます。
現実とは、長い連続性をもった夢であり、
夢とは、短い連続性の現実ではないだろうか。

夢の中では、わずか数分の出来事が、
何時間にも感じられることがあります。
そして、夢の世界では矛盾があっても違和感を覚えません。


不思議な場所や、ありえない人物との再会すら、
その瞬間は「当然のこと」として受け入れています。

 

目を覚ましたとき、私たちはようやく気づきます。
「あれは夢だったのだ」と。
しかし、もしその「目覚め」さえも、
さらに上の層の夢の中の出来事だったとしたら──
私たちは本当にどこまでを現実と呼べるのでしょうか。

 

人は「現実に生きている」と信じています。
けれど、脳科学的に見ても、
私たちの体験はすべて意識の中で作られた映像だといわれます。


見ている風景、聞いている音、感じている痛みやぬくもり。
それらはすべて、外界の刺激を脳が再構成した“内部の世界”にすぎません。

だとすれば、「夢」と「現実」の境界は
どこにあるのでしょうか。


夢の中では外界が存在しないだけで、
私たちは同じように笑い、泣き、恐れ、願います。
その感情は、現実とまったく変わらないほど真実です。

 

現実が長く続く夢であり、夢が短い現実なのだとしたら、
私たちは、眠るたびに短い世界を旅し、
目覚めるたびに長い世界に帰っているだけなのかもしれません。

そして、そのふたつの世界は、
どちらも同じひとつの意識の中にあります。
夢も現実も、ひとりの「私」という存在が見ている物語。
長さだけが違う、二つの流れにすぎません。

そう考えると、「生きる」という行為もまた、
ひとつの長い夢のように思えてきます。


子どもの頃の思い出も、
昨日の出来事も、
いずれはすべて“遠い夢の記憶”のように霞んでいく。

時間の流れとは、夢の持続時間のようなもの。
私たちは「現実」という名の夢の中で、
目覚めることのないまま、
永遠にこのループを歩き続けているのかもしれません。

もしそうだとすれば、
今という瞬間もまた、
誰かがどこかで見ている夢の中の一場面かもしれません。

 

けれど、それでいいのだと思います。

 


夢であっても、現実であっても、
私たちが感じる優しさや、痛みや、希望は、
その瞬間、確かに「本物」だからです。

たとえ永遠に続く夢の中にいたとしても、
そこで誰かを想い、何かを信じ、
小さな光を見つけることができるのなら――


それこそが、この長い夢(=現実)を
生きる意味なのかもしれません。