INFP田中です。
「この世は地獄だ」——そう感じたことはありませんか?
日々の仕事、理不尽な社会、疲れきった身体、やり場のない感情。
そんな中で、ふと疑問が浮かびました。
この“地獄のような世界”で、健康的に、長生きしようとする意味って、なんなのだろう?
健康=善という前提を疑う
世の中では「健康に生きること」は正義のように語られます。
食事に気をつけ、運動し、禁酒し、定期検診に通い、寿命を延ばす——。
でも、それって本当に「幸せ」につながっているのでしょうか?
まるで、無期懲役を少しでも快適に過ごすための「自己管理」に思えてくることもあります。
仏陀はゴマ一粒で生きた
仏陀が修行中に「ゴマ一粒で命をつないだ」という逸話があります。
それは「少食の健康法」ではなく、執着を捨て、生に対する姿勢を整える話です。
私たちもまた、日々の“食べすぎ・飲みすぎ・情報摂りすぎ”で疲れきっています。
体は常に忙しく、休む暇もありません。
それなのに「長く生きよう」とするのは、果たして自然なのでしょうか?
INFP的視点:意味なき延命は苦痛
INFPは意味がないことに耐えられません。
「ただ生きていくこと」「ただ延命すること」が目的になると、
心がすり減り、感性が鈍っていきます。
だからこそ、INFPにとっては、
- 「誰かの心にそっと灯をともすため」
- 「静かに世界と折り合いをつけるため」
- 「自分の中の平和を守るため」
そんな“やわらかな意味”がなければ、健康や長生きすら、苦しみの延長にしか思えないのです。
地獄に射す「裂け目のような光」
それでも、時々ふっと訪れる瞬間があります。
夕焼けの色がきれいだったとか、
誰かのひとことに救われたとか、
コンビニの店員さんの笑顔がなぜか沁みたとか。
この地獄のような世界に、ほんのわずかですが「裂け目のような光」が射すことがあるのです。
その光をもう一度見るために、
今日も少しだけ、生きてみてもいいのかもしれません。
おわりに
健康的な生活は「義務」ではなく、「静かに生きのびるための工夫」だと捉えれば、少しだけ心が軽くなります。
この世界が地獄のように思える日もあるでしょう。
でもそんな中で、「自分らしく在ろう」とするあなたの姿は、それだけで意味のあることです。
意味のない世界で、自分なりの意味を紡いでいく。
それこそが、INFPという生き方なのかもしれません。