中間管理職をバカにしていた若かりし日々から学ぶ、今こそ気づく"偉業"の重み
こんにちは、コミュ障でINFPの田中です。最近、飲食店でやっと一人で食事ができるようになりましたが、おでんを注文して会計時に「お、おでん2本…」とどもってしまうことが課題です。今回は、そんな自分がふと感じた「サラリーマン人生」について少しお話しさせてください。
若い頃、サラリーマンをバカにしていたあの時代
皆さんも、中高生くらいの頃に「大人になったら、カッコよく自由に生きてやる!」と憧れていたことはありませんか?多くの人は、その時期にサラリーマン、特に中間管理職を小バカにした記憶があるかもしれません。「よっ、部長!」「さぁさぁ、課長!」と、どこか冴えない大人の象徴として見ていたこともあったでしょう。彼らが管理職として日々奮闘する姿を、組織で飼われている、"古臭い"とか"カッコ悪い"存在と冷めた目で見ていた時期もありました。
現実:今や管理職になるのも難しい時代
しかし、いざ大人になってみるとどうでしょうか?いまの時代、そもそもあの「中間管理職」になること自体が至難の業なのです。少子高齢化に加えて、終身雇用の崩壊が進み、ポストも絶対数が減少しています。上のポジションが空かないために昇進できない人も多いですし、そもそも管理職に求められるコミュニケーション力も以前より格段に高まっています。
特にコミュ障の人が「部長」や「課長」に任命されるなんて、まずもってハードルが高いのが現実です。子どもの頃に「サラリーマンの管理職なんてカッコ悪い」と見下していた姿が、いまや自分の夢のまた夢のように遠く、果てしないものに思えてくるのです。
管理職のプレッシャーは想像以上に厳しい
中間管理職が抱えるプレッシャーは計り知れません。部長であれば、上司からの厳しい要求に応えながら部下の面倒を見なければなりませんし、課長であれば部下たちをまとめ上げると同時に、自分も業務をこなす必要があります。また、現場の係長であれば、ヤンチャな部下やヤル気のない部下を相手にしつつ、業務を円滑に回す役割も求められます。胃が痛くなりそうですね。
自分が若い世代から「よっ、部長!」なんておどけられて、内心「ああ、自分もこんなふうにバカにされる歳になったのか」と思い知らされる時が来るかもしれません。それでも管理職はそのポジションで責任を果たすしかないのです。
若い頃の自分が気づけなかった「偉業」の重み
思えば、私たちが社会の仕組みや働くことの意味を理解しないまま、「自分はもっとカッコよく生きるんだ!」と考えていたのは、今にしてみるととても稚拙なことでした。しかし、大人になり、社会に出てみると、それすらも先人たちが築き上げてきたおかげで「自由な人生がいい」という発想ができたのだと気づかされます。
つまり、私たちが「管理職はダサい」なんて言っていられたのは、先人たちが社会を支え、次世代のために頑張ってくれていたからこそなのです。私たちの自由な発想や将来の夢も、彼らが汗を流してきたからこそ許されているものなのかもしれません。
自分の限界を感じたとき、先人たちの偉業を思い出してみよう
若い頃に笑っていた管理職のポジションも、実際に自分が大人になり、コミュ障のまま社会に出てみると、その壁の高さに打ちのめされることも多いです。仕事がうまくいかず、「やっぱり自分には無理だな…」と思う瞬間もあるでしょう。
でも、そこで諦める前に、少し立ち止まって「先人たちが積み上げてきたもの」を思い出してみてください。先人たちは、自由に働き方を選べる時代を作るために、何世代にもわたって社会を支えてきたのです。そう考えると、「自分も少しでもこの世の中に役立てるように頑張ろう」と思えるかもしれません。
まとめ:今の自分にできることを精一杯頑張ってみよう
コミュ障でも、自分にできる範囲で頑張れば、それは必ず何かの形で未来につながっていきます。自分の苦労も、いずれは次の世代に「生きやすい社会」をつなぐ一歩になっていると信じてみましょう。
今この時代、コミュ障でも生きていけるのは、先人たちが少しでも平等で幸せな社会を目指して道を切り開いてきてくれたからこそ。小さな努力も積み重なれば、きっと何かの意味を持つのです。私たちも、その先人たちの愛に支えられているのだと気づき、少しずつでも頑張っていきましょう。