あ、二人きりになってしまう、逃げるコミュ障
ここ、こんにちは。 さぁ短い言葉でアナタを色んな意味でドキッとさせましょう。
二人きり。
どうでしょうか、死ねるでしょう。
思春期の色恋に使用するぶんにはとてもほろ苦く、そして甘いトキメキの言葉であるこの言葉のイメージは、コミュ障にとっては、
ただ、
気まずいひとと二人きりになるという、あの拷問のような時間のことしかささないのです。
いろんな場面で、ザ・二人きりはシチュエーションとしてあります。
■話している相手の友達が加わってきて、その相手がどこかへ行って、新しい友達と二人きり。例えばAと喋っているときにそのAの友達Bが輪に加わり、Aがトイレなどの用事で抜ける場面で、Bと仕方なく喋らざるを得ないような状況になったとき。
■大勢で飲み会とかの行事で行動しているときにタイミング的に、二人で目的地に向かって歩くようなとき。 飲み会の帰り道が仕方なくソイツと同じ方向だったとすると、途中で家とは逆の方にいって「じゃ、ここで」とか嘘をつくのはこの心理です。
いやぁ、こうして改めて考えて見ると二人きりというのはもう地獄ですね。
はい、分かりますよ、大勢の中にいて会話に入れず孤独な思いをするよりは二人きりで深い話をしたほうがいいよ、とかいう回答の人もいるでしょう。 でも本当にそうかという話です。二人きりで気まずいともうこの上ない消耗感なのです。
あとからドッと疲れるあの感覚です。
アナタはどうでしょうか、
逃げずに堂々としているでしょうか、いやできているわけないですよね。
きっと、二人きりで会話しているときには、頭の中は、
「こちらから会話を提供できる時間はあと何分です」
といったように、まるでSF映画の宇宙滞在アクションシーンでの「あと残りの酸素は、ピッピッ…」とカウントダウンしているような、あの追い詰められ感の中で焦っているはずなのです。