INFP型・HSPのブログ

MBTi診断INFP型でHSP、40代家庭持ち営業マンの日記

コミュ障が生きていけないと思ったら、宗教に頼るのもまたよし

ど、どうも。 どもり歴年齢と同じです。営業の仕事をやってだいぶ吃音しなくはなりつつもやっぱりあのああの、…とドもってしまいますね。 これってホント治るものなのでしょうかね。まぁメンタルの問題でしょう。ゆっくり落ち着いて喋れば大丈夫な人の場合は。

 

さて、そんなこんなでコミュ障やってて何がツラいかといいますと、やはり内へ内へ入っていってしまうことでしょう。 とにかく新しいコミュニティに入れば入るほどダメになり、その取り残され感などはハンパなく、辛抱強い人に対してもボディーブローのようにジワリジワリとダメージを受けてしまうものなのですよね。

最初のうちはみんなお互いによく知らない同志の集団でも、日を追うごとにリア充は仲良くなり、コミュ障はぼっちとなっていく、よくも悪くもブレない生き方。。

しかし、こんな経験を通していくうちに段々と思うようになってくることがあるのです。またその都度感じることがあるのです。

 

 

ああ、自分はなんてダメなのだろう。

みんなが普通に出来ていることがなぜ自分にはこんなに苦しいのだろうか。

 

 

と。

そう、コミュ障にとっては何のことはない対人接触それ自体が苦手なため外に出ればストレスだらけなのですね。もちろんリア充であっても自分が苦手とする人間は一歩外に出れば誰でもいるものです。 上司が嫌、同輩が嫌、姑が嫌、などは誰しも抱える対人関係の悩みなのです。 世の中の三大悩みは病気・貧乏・人間関係不和といって差し支えなく、やはり人間関係の悩みは病気や貧乏に匹敵する悩みということなのです。仕事の悩み、というものもありますが、これもその原因のほとんどは人間関係ですしね。仕事は慣れても人間関係はうまく収められないといったところです。

 

はい、そんなこんなでタダでさえ悩み多き世知辛いこの世の中を渡っていくということはコミュ障でなくともツラい、そんな中コミュ障が生きていくことってどんなにツラいことか。

 

いろいろありますよね。でもイチイチ傷ついていればキリはありませんし、間違いなく残りの人生が色あせて苦行そのものになってしまいます。 コミュ障は克服したいものですけれど、一方でそんな自分をあるがまま認めて生きることも必要です。

 

とはいっても人間とは弱きもの。

そんなコミュ障のアナタに捧げる処方箋です。

 

宗教に入る

宗教

これはワタシも体験したことがあります。ワタシの家柄はむしろそういうスピリチュアルな世界を真っ向から否定し、そんな環境で育ったワタシですが、ワタシが辛そうにしている所、職場の先輩がある日ワタシをレストランに連れ出し、慰労してくれました。その延長でちゃっかり先輩が所属する宗教に勧誘されたのです。 まさかリア充バリバリの先輩がまさかまさかこんなオカルトテイストな宗教を信仰しているとは!!と超ビックリしたことを今でも忘れません。 

が、その真摯な態度に思わずワタシも惹かれてしまい、宗教に入団するというよりも、この先輩のようなコミュ力を身に着けるための何かがあるに違いない、との好奇心から宗教を始めました。

すると!

意外や意外、確かにカルトな雰囲気はあるものの、みんな温かく、とにかく励まし合うという風潮がすごかったのですね。いやむしろ苦しいと思っていることを仲間内に吐き出してナンボ、それを解決するために祈る、仲間同志助け合う、みたいな感じだったのです。もちろんコミュ障で悩んで気が滅入っていることなども堂々と打ち明けられるムードでした。 そしてそれを「うんうん」と聞いてくれる仲間がいる、という具合ですね。

なるほど、宗教をやっている人は自殺率が低く比較的ハツラツとしているというのはこういうことだったのか、と実体験としてひしと感じました。 これなら面倒くさいお祈りタイムとかも乗り越えられるぞ、と宗教ライフを先輩と始めた矢先、壁にぶつかりました。

 

そう、勧誘ノルマです。

 

宗教はこの勧誘ノルマのプレッシャーがすごいのです。 つまりどっぷりとはまり込まないとまずコミュ障には務まらないのですね。まず勧誘する友達なんていないよ、と。 この辺が宗教のツラいところです。

 

しかし!

これはごく一部かもしれません。ワタシが入った宗教(具体的名称は非公開)団体がたまたまそういう所だったのかもしれませんし、ひょっとすると勧誘ノルマのない宗教もあるかもしれません。ブランド力のある宗教で放っておいても人が集まりそうな所だと勧誘ノルマはないかもしれませんね。

 

いずれにせよ、コミュ障で人生詰んだ、もう死ぬしかない、と思うぐらいならきちんと選んだ上で宗教に入るというのはアリでしょう。

 

それでも宗教は嫌だという場合は

とはいいつつもコミュ障である身分で宗教などハードルが高いわ、、という方もいらっしゃるでしょう。 そんな方におすすめなのは便所掃除です。 便所掃除をしていると金運の神様が味方してくれるとか、とにかく運気向上にすごくいいそうです。 そういえば一時「トイレの神様」とかいうPOPソングも流行りましたし、世の中の成功者でも便所掃除を習慣にしているという人は少なくありません。そう考えるとやっぱり何かあるのです。 イワシの頭も信心から、といいますが、やはり信じてやりきることが大事なのでしょう。そこに神が宿るのです。 このトイレ掃除はワタシも習慣にしていますが、なかなかメンタルを良好に保つのによいです。 

とはいってもイマイチ当てどもなく実践する気になれない、という方は一度小林正観という方がこのトイレ掃除理論の第一人者?のようですので書籍の一読をおすすめします。

 

さて、コミュ障でツラい時、いや誰でもこの人生わたっていれば死ぬほどツラい時期というものがあります。 そんな時、コミュ障ではない人たちは相談する周囲の人達がいるのでそれで乗り越えられるのですが、どうしてもコミュ障は相談相手が少ないもしくはゼロです。そんな時の心の支えとしてやはりこういう目には見えない支えをもっておくことは非常に大事かとおもいます。