INFP型・HSPのブログ

MBTi診断INFP型でHSP、40代家庭持ち営業マンの日記

【コミュ障の存在意義】豊かな文明の副産物なのか、オリジナルな才能を持つからなのか。

こ、こんにちは。コミュ障の安倍です。

この世にコミュ障が産まれている理論として悩ましいのがその存在意義なのですが、やはり社会学的・生物学的に見てこういうマイノリティが現世に生き残っているというのは、

DNAとして、

①コミュ障も生物社会に必要だからマイノリティながら絶滅しない

②生物が進化していく中で競争から漏れた層が一定数を保っているだけ

という二つの論点があると思います。

 

これを少し考察してみたいと思います。

 

 

コミュ障もまた社会に必要論

経済学観点

コミュ障が社会にいるとそれをケアする人員がコミュニティに必要となります。つまり経済学的に見てそれは一つの生産性となり、GDPを支える産業となるのです。

そう考えると保護対象として扱われることになり、社会はそれを保護するニーズを必要とするわけです。

よって、一つの経済学的な利点が成り立つというわけです。

 

奴隷のような社会的ヒエラルキーの中で搾取される側としての存在

人類が発展していく過程で奴隷が文明発展のツールとして扱われる時代がありました。 奴隷、それは現代の倫理観が醸成されている時代にあってはNOと表向きには示されていることなのかもしれません。倫理的に見ても、人を搾取するようなことはまず現代社会にあってはいけないことなのです。

しかーし、

実質、コミュ障って搾取される側です。

例にとって、コミュ障の中でも多数派な人見知り系内向的気弱なタイプの人間(=ワタシ)っていうのは、ハイハイと受動的でありつまりは奴隷的なのです。

そして、

コミュ障が現代にまだまだ生き残っているということは、社会的・生物学的に見て、社会がまだ隷属的立場の同種を必要としているということなのかもしれません。

ただ、

この当たりは帰納的に考えていくといずれコミュ障は消滅します。

奴隷的な現場仕事は徐々にオートメーション化がすすみ、人間がガツガツとやらなくて済むようになるからです。

コミュ障が天才論

天才というのは概して頭がおかしいというかネジが飛んでいるものだと思います。 だって天才はフツーじゃないから天才なのです。

時代を変えてきた人のエピソードを見るととても真似できないと思いますよね。 そして、そういった人達というのは、対象となるものに没頭してコミュ障的な態度で人生を送っていたといえるくらいの生活をしていたというエピソードなんかもあったりします。

コミュ障が天才というわけではありませんが、 少なからず、天才はコミュ障的、だからこそコミュ障には時代を変えるような潜在能力を秘めている可能性があるのでこの世に生き残っているという考え方です。

 

文明発展の副産物としてのコミュ障

競争原理で残ったゴミ説

 

何かが発展する・前に進むという過程では必ずゴミというものが発生します。

よりよいものが産まれる陰には苦労している人がいるということです。

つまり、人類が文明を発展させていく本能(=より幸せになりたい)を持っている以上、競争原理が働き自ずと落ちこぼれを生む構造になっているのかもしれません。

これを解決するには、もう宗教的になります。

文明の利器で以前ほどコミュニケーション力が不要となった

簡単な話、必要があるから人は人と話をするのです。

現代の文明はそれをわざわざ面と向かってやらねくてもネットで通じることができます。 ネット開発以前、もっというと電話さえない社会ではもう嫌でも喋らなければ生きていけない社会だったと思います。

そう、

喋ると生きるが密接に生きることとつながっていた時代なのです。

 

しかーし、今はそうではない。

社会インフラも充実しているし、親が元気であればそれに頼って引きこもることもできる。 つまり昔ほど他人に頼らなくても自力で生きていける世の中になっているということです。

 

文明の発展を突き詰めるとそれは、

より他人のチカラやもっというと自分のチカラにさえ頼らなくてもいいような世界を目指すことなのですから、最終的には人間もまた喋らなくてもコンピュータが言っていいことと悪いことを判別して相手に指し示すような時代が来てもおかしくないわけです。

そう考えると、

文明が発展していくに連れてコミュニケーションコストが下がり人類がコミュ力を失っていきコミュ障が増えるというのは納得できることなのではないでしょうか。

しかし、一方で文明を開発していく立場の人間には高度なコミュ力が求められるわけです。かくしてリア充とコミュ障の格差が産まれつつあるのが現代ということなのではないかと思います。

私たちはネットを通じて面と向かってコミュニケーションする労力を押さえることができるのですが、そういうネットのインフラを作る側の人達はその仕組みを作るために色んな人と協力しながら、つまりコミュニケーションをとりながら働いているということです。

 

最後にかけて取り留めもない記事になりましたが、コミュ障と社会学について考察してみました。酔いながら書いているのでテキトーですが。。