家にいた蜘蛛をトイレに流したけど潰して殺してあげればよかった
こんにちは、どもりーまんです。
家に蜘蛛などの害虫がいたとき、そういうのに対して思い切って殺すことができず、ついやさしくティッシュにくるんで外に逃がしたり、無視したりする私です。
しかしそういう害虫が苦手な妻はつい私に指示したがります。
つぶして殺せと。
私も潰して殺したほうが安心できるのですが、そうもできない事情があって、、というかすごく殺生は罪悪感があり、自分を苦しめるのです。
そのため、私にできる害虫駆除の限界は、ついついやさしく、ティッシュに包んでトイレに流す、というようなことをやっているのですけれども、もしかするとこれは逆に惨たらしいことだと思うようになりました。
窒息死、さぞ苦しかろうと、、思い、それならば思い切ってぶちッと瞬く間に終わらせてあげた方がよかったのではないかとあとから思ったのです。(おもうようになった)
ティッシュにくるんだ瞬間、もがき苦しむように足をバタバタとする様子はその状態を作らしめているワタシ自身への罪悪感を生み、今にも解放してやりたくなる様はまるで、実社会で損ばかりしているこの余計なお人好しによる性質そのもので、こうやって無駄な同情が後で無遠慮な刃となってなって逆に自分を痛めつけにかかってくる種になることをこれまでの経験で十分分かっているくせに、清くいたい、恨まれたくない(それは対象物から恨まれることを恐れるのみならず、見えない神通力、つまりバチがあたるとかそういう非論理的な世界のものにまで思いを寄せて感ずることです)、
そういうことから起こる処理なわけですが、トイレの下に溺れながらなだれ落ち、窒息し、かつ最後は汚物タンクの中でドロドロになる様子はまさに地獄絵図、これはひどい仕打ちだと思いました。
あの蜘蛛が何をしたというのだ、ただそこに居合わせただけなのに。
私も悩ましく、ただ、フォルムが悪魔に見えたのです。ただその衝動でつい、無感情に命を奪ったこれまでの自然界のもたらす災害のごとくただあっさりとその所業をやってのけてしまったのです。
でも、ああ、なんとむごいことをしてしまったのであろう、こういうのはかえって自身を苦しめる、そう思うとブッダが殺生を忌避したのもとてもよく理解できてしまうのでした。