成熟社会にはコミュ障が増える。
こんにちは、コミュ障の終わりなきループに今日も悩んでますでしょうか?
でもこのコミュ障っていうのは、なぜ生まれるのでしょうか。
人類はアフリカ大陸から発生し、闘争から逃げていくうちに安全な隅っこ(日本)にたどり着いた、よって動物的に見て気が弱い遺伝子を持ちコミュ障、
または、
島国で外的に脅かされること(異国と交わる)が少ないから必要最小限求められるコミュニケーションの絶対量が少ないから諸外国に比べコミュ障、
または、
島国で伝統的に似たような価値観が形成されそれほど個性の違いがないからディスカッションする癖があまりなく、喋らなくても分かるだろ的な空気が醸成された。
諸説あると思います。
ただ、最近では、
こういったコミュニケーションを苦手とする人が増えているということが取り上げられていることは事実でしょう。この成熟社会に。
この理由はトンデモ仮説みたいなところがありますが二つあると思います。
1)コミュニケーションデバイスの発達
ネット社会で、昔ほど喋らなくても生きていけるようになっていますが、これは当然ながら喋る議会を奪うので、コミュ力とりわけ喋るというコミュニケーション能力は退化の方へ向くと思います。
身体的にも口を動かさなくなると発音しづらくなります。
あとなにより、スマホやゲームというのは子ども時代の重要なコミュニケーショントレーニングの場である家庭での触れ合いを絶つことになるので、これも一因でしょう。
2)これ以上人口を増やさないため人見知りを増やす
日本みたいに社会が成熟しているのにも関わらず人口が減少に向かっているということは、これは、本能レベルで人が「もうこれ以上人は増えなくていい」という判断を下すようになってきたということでしょう。
昆虫のアリは、その集団の階級の割合に応じて、例えば羽根の生えた繁殖アリが生まれるそうですが、遺伝子のみならず、集団の状況を本能的にキャッチしてフェロモンを出し、コントロールされているそうです。
人間社会ではそのようなフェロモンは出せないでしょうけども、ミームと呼ばれる心から心へとコピーされるもの、簡単にいうと社会に広がる影響力のある空気(雰囲気)とでもいいましのうか、
そういったものに作用されて人口を抑制しようと本能的に判断するのかもしれません。
その結果が、人見知りコミュ障です。
人見知りタイプのコミュ障だと異性とは特に喋れませんよね? 話したいと思っても会話が続かないはずです。なんか、同じ人類とは思えない分厚い壁が存在しているはずなのです。
人見知りなコミュ障、それはまさに繁殖行為を未然に防ぐべく誕生させた社会の本能的コントロールなのではないかと思うのです。