人生は詰んでからが面白い!
人生オワタ、、
そう嘆く対人ベタな方たちの叫びが私は聞こえます。
でも人生は詰んでからが面白いのです。
こんにちは、コミュ障な管理人です。
「テメー!ごるぁっぁーー!詰んだ後に楽しんでいたらそもそも詰んでなかったってことじゃねーかコノヤロー!」
という指摘が聞こえてきますが、そんなことはありません。
実に、ワタシ、今から3年くらい前から「ん?詰みそうだぞ」と思い、ここ1年で「人生詰んだ、人生オワタ」という境地に至っています。
仕事も趣味もうだつが上がらない、といいますか今一つ、目が出ないという感じでしょうか。そこでもがき、どうすればいいのかといろいろと思案するも、結局、どれもこれもが裏目に出る、というか思った通りにいかないのです。
そして年ももう35歳、今から何か人生逆転できるものって、、なんだろう、So! ないのです。
もうね、これぐらいの年になると壁にぶち当たった感もハンパなく、何かにチャレンジしても失敗する方が多く、また若いときのように外から舞い込んでくるような朗報みたいなものもなくなってくるんですよね。
もう詰んだ!
という感覚になるのです、どこにもコマを動かせないという。 将棋をガチでやったことがある方には分かると思いますが、格下だと思っていた相手に詰まされた時の屈辱感、分かりますよね?
あんなもんじゃないです。
絶望感しかありません、詰んだ、と思ったときは。
かの往年の哲学者キルケゴールは言いました、死に至る病それは絶望だと。
そう、人生詰んだは絶望なのです。
でも、お、待てよ? 絶望って主観だよな?ということです。
絶望はなるほど死に至らしめるほどの苦しみがあるのかもしれませんが、そもそも、この世に生まれてくること自体が苦しみだとお釈迦サマは言っておられるのです。
つまり、この世に生まれた時点で「オギャー!!また人間界かーorz」という図式なのです。つまり、すでに詰んでいたのです。
でも、この詰む・詰まないということは結局は主観です。
突き詰めていくと、
ただ、自分の理想の幅の中の最低限を下回っただけの現象にすぎないのです。
だから、例えばいくら優秀な大学を出ていても就職先が中小企業になったから絶望、人生詰んだなんていうこともありえるわけですね。
ワタシのような低学歴からすると、正社員として就職できるだけでも幸せだろうと思う事でも、そうなるものなのです。
主観であり、自分の考え次第なのです。
で!!!ここからが本題、
では世の中にいくらでも人生詰んだと思っている人はいるわけですが、その詰んだ後を歩んでいくとどうなるかです。
コミュ障の方はとくに人生詰んだ感がすごいと思うのでマークしておいてください。
意外と何とかなる
そう、それでも地球は回っているのです。
誰がなんといおうと時間はすぎるし、同じままでいるものなど何もないのです、諸行無常yeah!
つまり、コミュ障だと確かに人生を打開できず苦しいハンデを背負っているようにも感じるかもしれませんが、それもまた人生。
というか下手にリア充でいるがために、コミュ力が高く求められるステージで戦うことになり苦労して消耗する人なんていくらでもいるのです。
ホワイトカラーは、より人間らしさ≒コミュニケーション能力が求められる世界ですが、その世界はブルーカラー以上にドロドロしており、精神病と隣り合わせの世界です。
賢くてお金持ちでも気持ちは不幸なのと、貧しくてバカでも心は幸せなのとどちらがいいでしょうか。
ん? 話が脱線しました。
でも、コミュ障ではない話上手な人でも人生詰んだ!不幸だと思う人はたくさんいるので、コミュ障だから不幸になるとは考えないでくださいねということを言いたかったのです。
よって、コミュ障だから人生詰んだ、人生オワタ、わけではないということです。
そして、ワタシ。 今ワタシは人生詰んだと感じたその後の人生を歩んでいます。
でもこの景色は、決して酸素がなく苦しい世界ではありません。
意外とすがすがしいというか、もう自分を含めて何に対しても期待していない分、心は割と穏やかなのです。
もう、ワタシに仕事でキャリアを築いてバリバリ出世ということなんてありえませんし、人から尊敬されるようなことなど到底ないでしょう。 あのボサーっとしたやつくらいにしか思われないことでしょう。
でもそれでいいのです。
期待しないということ、それは不満も不安もそれほどない世界です。
なるようになれ!のヤケクソな境地ではあるかもしれませんが、これはこれでこの後の人生、あとはどうやって自分が生きていくのだろうか、という、客観的なポジションでいる、どこかアクション映画を見ているような感覚にもなれるのです。
人はいずれ死にます。
死ぬ寸前にはきっと同じく「人生、こんなもんか」と思う、ただそれだけだと思うのです。時代を変えるような偉人ですら人生の最後は意外にも幸せな結末ではなさそうだったということを聞いたことがあります。
人生って死に際を、精神的には未練なく、身体的には苦痛なく迎える、それが幸せなことですよね?
そう考えると、むしろ、自分の人生を客観視し、他人事のように捉えたほうがいいような気がするのです。
そして、その境地にいたるには、、、
人生詰んだ、と感じるのも悪くないのかもしれません。 その瞬間はとてつもなく苦しいのだけれど。