30代のあるときになると何をやっても上手くいかないような壁にぶつかる。
こんにちは、コミュ障、ゥふぉっと、やっていますか?
さて、人生って長いですが、本当にもう、何をやっても、「あ、コレ、だめだ、もう何か終わったよ、詰んだよ」と思う瞬間にぶち当たることがあります。
思うにそれが激昂していよいよハケグチがなくなると人は自殺するのですが、なんというかそれはつまり絶望なのですね。
いろんなことにチャレンジしてきて、
自分ならできると自信があっても、
だんだんとそれが世間からシビアに弾かれる時期というのが来ます。
そして人は絶望します。
絶望といえば、かの哲学者キルケゴールはそれを死に至る病と定義しました。 始めてそういう言葉に触れても「ナニ言うとんねん」の世界、というか世にあふれる雑多な情報のノイズの一つとしてしか捉えられないキーワードなのですが、
これがあるとき、あ、絶望って確かにもうハンパないツラさなんだけど。と思える瞬間がくるようになるのです。
いくら自信に満ち溢れていようともだんだんと無惨にその一つ一つが打ち砕かれていく現実、これを前にして人は絶望へと一歩ずつ歩み寄るのです。
そして、あ、もうこの先ってもう掘れないんじゃね?と感じるようになるのです。
そして、そう感じる年齢っていうのは多分30代も半ばの35歳くらいだと思うのです。
いやこれヤバス、この感覚っていうのはとてもツラいことです。 今ワタシが味わっているからです。
コミュ障だから詰んだんでしょうけど、ある意味、そういうコミュ障とかいうミクロな悩みでなく、もっと大きく、「あ、もう自分のこの先って、、」とドヨンと暗くなるような地味な、それでいて閉塞的な終末感を感じるようになるのです。
こうなることのコワいこと、
それは、現状のそのツラさから脱却するための努力をしようとしなくなることです。 どうせチャレンジしてもダメだからこのツラさを甘んじて受け入れようとするその自分への慰め的な考えこそツラさの根源です。
さて、アナタは今どういう思いで人生を過ごしているでしょうか。
当ブログを読んでいて、まだ20代や30代初めという方はもうホント将来をナメずに生きていきましょう。 でないとワタシのように絶望の淵で土俵際の戦いを続けるような立場になりツラいハメにあうことになります。