結局、何の才能もない
こ、こんにちは。コミュ障の安倍です。
思ったこと、何の才能もない、いや、何の才能もなかった、です。
コミュ障にもいろいろあって、
アップ系だと、
我が強くて周囲に嫌われるタイプのコミュ障、
ダウン系だと、
人見知りで内気、気弱なせいで無視な感じだったりイジメられたりするパターンがあります。
人間関係はバランス、ですから、テンションが高すぎても低すぎてもダメってことです。
で、今回は、ダウン系である人見知り内向的・気弱・内気タイプの方に注ぎますが、こういう方は概してプライドだけは持っている人が多いと思います。
なぜか。
それはこういう気質の人は努力することが得意だからです。
才能がなくても努力すること、つまりストイックに継続することだけは得意だからです。
一度決めたことはやり通せるといいますか。
だから才能がなくても中途半端に上手くなる。
おっ、いけるぞ、自分はいけるぞ、このままこの庶民どもを押さえて、偉くなるんだと考えるのです。
コミュ障というコンプレックスを、このハンデを、持っているがために我が旅路はイバラの道、しかし、ワタシにはそのハンデを埋めるだけの才能がある、お前らにはない才能がある、コミュ障とバカにしているがよい、今に!
でも、現実に立ちはだかる壁は、コンクリートどころか、最新科学で開発された硬質物体で形成された刑務所の壁、
やがて自分は、
結局何の才能もない、
ただ海の汚濁が岸に流れ着くような存在にすぎなかったのだと気が付くのです。
ああ、何か、天によるシステムにエラーがあったのかな、ではなくて、これは、ただ、自らが実はただのゴミにすぎなかったのだと、思う認めたくない瞬間があるのです。
なんと儚いのでしょう。