叱れない人が増えている、コミュ障がスタンダードな時代に!?
こ、こんにちは。あ、あのあのコミュ障研究家の安倍です。 みなさん今日も元気にコミュ障やっていますか?
さて、
今朝のニュース番組「とくダネ」でコミュ障チックな面白い特集が組まれていたので紹介します。
叱れない。
それは、最近叱れない人が増えている、というものです。
時代柄、一昔前と比べてモンスターペアレントの常態化やパワハラにまつわる人権問題などといったことが目立ってきましたが、それに関係してやはり「怒る、叱る」ということが何か特別なもの、しかも程度の差はどうあれそういった行為が道徳的にどうなの?というように世間にも厳しい目で見られるようになってきたこともあり、人々はいつしか叱ることを避け、またそういう行為自体に抵抗を感じるようになってきたというものです。
そういえば今や人を育てるためには叱るのではなくて長所を見て褒める、またはコーチングというヒアリング技術などによるソフトな教育などが注目を集めて久しいですね。
そして、本屋さんに行けば「叱る技術」なんていう、なんか人に対して怒ったり叱ったりすること自体が特別なスキルとして扱われているというのも世相を映しているのです。
ちょっとゴチャゴチャしましたが、
柔和至上主義が広がる中、叱れないということ自体がもう不自然な状態であるとメディアが世間にモノ申しているというわけです。
叱れないのが当たり前化
そう、人々は「叱らない」ではなくて「叱れない」という方向へシフトしているのです。
この「とくダネ」でも取り上げられていましたが、とにかく現代人は面倒なことに関わりたくない志向だそうです。
子供たちが公共スペースで理不尽な遊び(ボール遊びなど)をしていると注意できるか?という実験をしていましたが、もう周囲は傍観&無視状態なのです。 逆にそういったことに対しモノ申せる人に対しリスペクトするくらいなんだそうですね。
ゴリゴリと叱る、それが例え正義や相手への愛情であったとしても「何をエラそうにコノヤロー」、これが大衆のリアクションだという。。
叱れないのはコミュ障の特徴
で、この叱れない現象、これ、さんざん当ブログでも言及していますが、コミュ障の特徴です。
叱るという技術はとてもハードなコミュニケーション能力(コミュ力)なのです。
人を叱るより、笑わせたり機嫌をとったりするほうがよっぽど楽な作業です。 叱るという行為は高度に状況を観察し的確な表現そして論理的なシナリオが必要なのです。 バカではできませんし、また人見知りタイプのコミュ障だと頭は回っても相手に気を遣いすぎてうまく言葉にできないということもあるのでしょう。
つまり叱れないというのは、コミュ障の特徴なのです。 人を笑わせたり雑談したりといったスキルは演技の技術として鍛えることができるのですが、この叱るという行為は演技でもできません。 心のストッパーが働くのと、あとコミュ障ではいくらIQ高くても相手との応戦の中で冷静さを失いバカになりうまく舌戦できない、つまりプチパニックになり、叱りきることができないのです。
叱れない人は出世できない
で、この回の「とくダネ」で扱われていたのですが、やはり部下を叱れない人は上層部から見て頼りなく仕事を任せきれないようです。いくら本人自身がプレーヤーとして優秀でも、部下を叱れないような人つまりコミュ障な人ではどれだけ周囲に慕われようとも上が出世を許さない、だから万年係長で終わるということです。
この現象に関しても私は既に本ブログで言及していたとおりです。
いや分かりますよ、本屋に行けば「内向的リーダーが成功する」とか「内気だからこそデキる」なんて文献がありますが、現実問題ありえません。
なぜか?
そういう類の本を信じて、5年強そういったノウハウを実践してきましたが全く結果が出ない私の体験談です。 実際、営業として10年近く働き、内気であることに悩み、でも本屋にいけば「そういう性格は逆に成功できる」なんて情報の本の踊らされ必死で信じて頑張ってきましたが、努力しなくてやることやらなくてもベラベラ言いたいことを言えるようなタイプの方が成功できるように世の中はできています。 それが組織というものです。
叱れない人は優しい、自分の信念を持って生きよう
で、叱れない人はどうするか。
ワタシ個人としては、それはそれでいいと思います。
ニュース番組「とくダネ」では叱ることができない本人が自己評価や周囲の評判を聞いて、叱れない原因は、
「他人への興味がないから」
ではないかと分析していました。
そう、他人への興味がない、これこそコミュ障の特徴なんですよね。 興味がなく上の空で会話を繕うから会話が続かず、また気まずいということになるのです。
でも個人的に、それはそれで無理に治そうとぜず、向き合って生きていけばいいのではないかと思います。
他人を叱れない、と悩む必要はなく、
あなたのプライドとして、他人をリスペクトし傷つける行為はいかなる場合であっても認めない。 相手を思ってのことだったとしても、冷静でいられる自分は世の中の秩序を保ち、また作っているんだと考えましょう。
そういった人が増えれば確かに殺伐とした世の中になるのかもしれません。
でも!
今しきりに喧伝されている平和や秩序といった問題、こういった問題に対し必ずコミュ障は貢献するはずなのです。
だって、コミュ障はリアルの世界では喧嘩しませんからね。
イキイキとした世の中、でも戦争が起こる。
殺伐とした世の中、でも戦争はない。
どちらがよいか。
今の世の中、まず人命ありき、後者が求められ称えられるべきことであることは明白だと思うのですが。
なんか、叱れないという話から戦争の話へとスケールがでかくなってしまいました。。