INFP型・HSPのブログ

MBTi診断INFP型でHSP、40代家庭持ち営業マンの日記

コミュニケーション能力(コミュ力)は鍛えることはできるが、本質的にコミュ障は解決できない

こんにちは、コミュ障研究家の安倍です。 コミュ障、これって永遠のテーマとして挙げられるのが鍛えることができるのか、できないのか。 これは永遠の議論かと思います。 なぜなら答えは千差万別、またもともと持った素質や環境、そういったものに非常に左右されるからです。

で、ワタシの結論を申し上げましょう。

 

コミュ障は、本質的な意味で死ぬまで治ることはない、これが見解です。

 

ただし、コミュニケーション能力(コミュ力)は鍛えることができると思います。

 

すごく矛盾したようなことを主張していますが、この知見は、小さなようで大きな違いだと思います。

 

コミュ障がコミュニケーション能力(コミュ力)を鍛えたとしても

コミュ力を鍛える

人間というのは、反復することによってかなりの学習をすることができます。 つまり話下手でも練習や実践を重ねることで話せるようになります。

これが、コミュ力改善には場数、といわれるゆえんです。

そして、ワタシの経験としても、話す場数に比例して、またウマく会話をするためにあれこれと努力を重ねることで上達する、ということは実証済みです。 厳密には言葉に詰まった時の会話のキッカケの引き出しが増える、という印象ですが。

 

けれどもです。

 

決して会話を楽しむ力、という点では全然マシにならないのです。

多分その場に行けばどう振る舞えばいいのかは予測でき、模範受け答えができる自信があったとしても、やっぱり心は拒否反応を示すのです。

 

具体的には、あるコミュニティの飲み会があるとしましょう。

このコミュニティではこういうネタでいける、と乗り切る自信があってもやっぱり本能的に「会話するの面倒くせ、、かといって会場でボッチでいるのも気まずい、ああツラい」となるんですね。

 

会話を楽しむ力は天性のもので後から鍛えられない

 

これです。

会話というのは、心が通じ合っていない表面的なものはいくらでも腕が上がります。 難しいと思われがちですが、人を笑わせたりその場を明るくやりきるムード作りなんていうのはテクニックとして鍛え上げることができるのです。

だけどコミュ障の場合はどうしても、そういう一つ一つの会話を発するために、何か特別な力を消耗するような感覚に見舞われます。

ゲームでいうとまさに魔法を使うとポイントが減るような感覚です。

 

これ、どういうことかというと、単純な話、ムリしているっていうことなんですよね。

本来、人間の欲求としては会話するとか人と遊ぶというのはバイタリティをリカバリするための手段なのです。 つまり話すと楽しいし活力がみなぎる、また関わりたい、これが正しい人間の素性です。

だからリア充なのかどうかは別として、普通のコミュ障でない人たちでもコミュニケーションの場つまり社会的な場を経験するにつれて社交が楽しいものとなりやっぱり人とつながっていたいよね、となるのです。

 

この境地、コミュ障はいくら鍛えても到達することはないと思います。

話しも合わせらる、何ならちょっとした人気者、でも心は仮面をかぶった演者

これ、多分死ぬまで治りません。

 

でも趣味仲間は別

しかし人間、コミュ力なくても心がつながる仲間みたいなもの、これは存在するのは事実です。

それは、趣味仲間です。

趣味があうというのは本当に心の根底でつながる何かがあります。 これは学校や仕事などでは得られません。 なぜか。 学校や仕事というのは必ずしも志が同一でないからです。 生活のためやただ漫然とといった様子で構成された集団なので、真の心のつながりが得られないのです。こういった場ではとてもコミュ力が必要になるわけです。

 

だからこそ趣味仲間。

これはなんでもいいと思うのです。

え、趣味なんてないよ、と言い張る方もたくさんいるでしょう。でも人間は暇を嫌う性質があり誰でも好きなことは持っているものです。 ただ単に他人に語れるほどのことがない(傍からみれば十分それ趣味だよねとういことであっても)だけのことなのです。

趣味仲間の場合は心でつながる波長があるので、なんかチグハグでもだんだん同化してきます。 コミュ力不要で自然と会話ができる、なんか自分がコミュ障なおったような感覚になることができるでしょう。