レストランとかの外食でリア充連中見るとなぜあんな芸当をと思う。
ハロー、コミュ障の安倍でございます。 もう人生自暴自棄ですが子供もいるのでそこそこ頑張って生きています。 でも常に土俵際のこのいっぱいいっぱい感、共感してもらえますでしょうか汗。
さて、今日は昼休みにうどん屋に食べに行ったのですが、そこにゾロゾロと大学生とおぼしき男女8人組が入ってきました。 サークルか何か分かりませんが、男3名女5名といった感じでしたね。
そこで、ひたすら他愛のない会話で盛り上がっているのですよ。
人の身体的コンプレックスをいじったり、どっかに遊びに行った話とかだったりもうリア充の会話です。
まあそれはいいのです。 いいのです。 そもそも会話というのは暇をつぶすための大人というか物心ついた人間の遊びでもあるからです。 そりゃそうだ、話すことは交流に他ならない、何が悪いことがあろうか。
でもコミュ障はそういうのにヤキモチというか、疎外感というか、
どうしてあんな芸当ができるのだろうか?
彼や彼女たちは、ああやって会話という名のトレーニングをしてるのだろうか?
とか考えてしまうんですね。
うん、確かに人とものを喋るっていうタスク、とくに目的のない会話っていうのはすごく負荷がかかることであり、なるほど体力も精神力も使う、これはトレーニング的だぞ、そうか、きっとこの人達は自己啓発でこういうことをやっているんだなと考えますよね。
でも、違う。
彼、彼女らは傍からみていて明らかにそれで充電されているような感じなのです。 仲間と喋って元気をもらっている、そういう場になっているのです。
コミュ障からすると、眩しくて吐き気がしそうなあの地獄の釜に並ばされているような場面もリア充にはまた涼しの世界なのでしょう、とても芸当にしか思えません。
・・・、はい、それだけです。
やっぱりこの世とは我々コミュ障には絶えず隔世の感のある世界でございます。 実はワタシもアナタもすでに死んでしまった過去の魂がたまたま現世を旅しているだけなのかもしれません、よ?
でもそれならそれで、それに気づけたアナタはきっと運命を変えられると思います。ともに励みましょう。