本当の自分を知る方法(20答法・文章完成法)
こ、こんにちは。コミュ障研究家の安倍でございます。コミュ障やっていますか?
さてさて、そんなコミュ障たちですが、否が応でも哲学家にならざるを得ません。なぜか。それは社会からはぐれて何のために生きているのか自問する時間がリア充に比べて多くなるからですね。
何のために生まれているかなんて命題ははっきりいって解決できるものではありません。一生をかけて見つける、もしくはごまかしながら、そして十人十色の答えが出ればそれで済む話だからです。答えがないのですね。 唯一、乱暴に答えを出すとしたら「幸せになるために生きている」ということだけは間違いないと思います。
そう、で、コミュ障はこの幸せタイムが極端に少なくなるものですから自ずと人生に疑問を抱く時間が増えるわけです。だってリア充たちは飲み会とかイベントとかもう楽しみで仕方ないのです、それに比べコミュ障はひたすら耐えている、消耗しているという具合です。
いや、もちろん訓練すればリア充のように振る舞うことはできるようになるのです。しかーし、根は変わらない、だから消耗するのです。
ここは大きな違いです。
リア充は、人とワイワイやっている間に気力を充電しているのに対し、
コミュ障は、消耗している。
ここに大きな差があるのです。
はい、そんなわけで哲学的・宗教的な感じになってきましたが、コミュ障には努力家も多く、必死でリア充みたいに明るくなろうとする中で、
「本当の自分って何なのだろう」
と知りたくなるというか、自問自答したくなる瞬間があります。
そうなんです。
本当の自分。 そんなものねぇ! 今ある自分が全てだっ!
っと言ってしまえばそれまでですが、ここは一つ、科学的アプローチのノウハウを伝授しましょう。
20答法(文章完成法)で深層心理を知ることができる
アメリカの心理学者、クーニとマックパーランドが発明した方法なのですが、「私は〜である」という文章を5分以内に紙に20回書き出すことで後半になるにつれ、自分の本当の姿、深層心理が見えてくるものだそうです。 20答法や文章完成法といわれています。
試しにやってみました。今日は酔っているのでなんとも支離滅裂ですがやはり制限時間5分の中で頭をフル回転させながらひたすら「自分とは何なのか」について書き出すという作業はけっこう追い込まれます。 始めの7,8回くらいはなんとなくダダダーっと出てくるのですがあとはもう無理矢理ひねりだす、便秘のときに踏ん張るようなそんな感じです。 それであるがゆえに反射的に出てくる言葉というものがあります。 おそらくこの状態こそがこの試験方法の狙いなのでしょう。
1、「私は顔デカである」
2、「私はコミュ障である」
3、「私はネガティブである」
4、「私は尊大である」
5、「私は本当はできる男である」
6、「私はけっこう寂しがりやである」
7、「私はもっと明るくなりたいのである」
8、「私は神である」
9、「私は自己実現したいのである」
10、「私は猫である」
11、「私は酒飲みである」
12、「私は不安だらけである」
13、「私は性欲旺盛である」
14、「私はコンプレックスの塊である」
15、「私は何かに怯えているのである」
16、「私は普通の人間になりたいのである」
17、「私は天才にもなりたいのである」
18、「私は愛を求めているのである」
19、「私は本当の自分を知りたくないのである」
20、「私は何も思い浮かばないのである」
これで見ると、私の場合は16〜20辺りにヒントがありそうです。
そうか、人より秀でていたい、つまり人と同じことはしたくない反面、やはり寂しいのかもしれません。 でもそれを認めたくない、そんな感じなのでしょうか。
でもまぁ、この方法侮るなかれ、なんかハッと気づきを与えられます。
ただ、その気づきを次に生かしましょう。
アナタはコミュ障だからこんなブログを読んでいるのだと思うのですが、だから将来こうする!というビジョンを持てるようにならなくてはいけないのです。 コミュ障を究めひたすら人と接さない仕事のプロフェッショナルを目指すとか、とにかく将来の一歩につながるアクションのきっかけを掴まなくてはいけません。
なぜか。
それをやってこなかったワタシが今後悔しているからです。
やはりもっと若い頃に自分を見極めて自分の本質に合った仕事を選ぶべきだったと感じているからです。
でも若い頃って自分に合った仕事って分からないですよね。かの往年の偉大な経営学者ドラッガー氏も主張していたと思うのですが、一発目の仕事選びっていうのはクジを選ぶようなもので運なんだと。だから当てにならない。
でも、一つ名言です。
これはワタシがただ生活の糧として職を得ていた時代に、人生に疲れた先輩が言っていた一言です。
「色々転職して分かることなんだけど、一発目に選んだ仕事が一番自分の性に合っている」
これはこれで考慮すべき言葉だと思います。