コミュ障が一定の確率で存在する理由
こ、こんにちは、ゴクリ、、管理人で安倍でございます。 ちょっと飲みすぎて酔っているので乱文度がすごいかと思いますがお許しください。 まぁ酔ってなくてもヘタクソな文章なんですがね。
さて今日はなぜコミュ障がこの世に存在するかです。 過去にも【コミュ障の存在意義】豊かな文明の副産物なのか、オリジナルな才能を持つからなのか。という幣ブログの駄エントリーで書いているのですが、改めて考えを巡らせていると思い立ったことがあったので、記しておきます。 これは男性向けの内容になりますので女子はスルーして結構です。
コミュ障、
それは人とのコミュニケーションがとれないわけではないけれども、
気を遣いすぎて重たい時間となってしまう、いわば人見知りがいつまでも抜けず周囲に馴染めないひとと定義した場合、
コミュ障の男子がなぜこの日本で一定の確率で存在するか(もちろん世界的にも)が問題となります。
また、どうしてコミュ障の人口が増加傾向にあるとのニュースがここのところピックアップされるかが気になりますね。
生物学的にみて、弱い遺伝子は淘汰され、変化に強くたくましい遺伝子こそが後世に引き継がれていくことを考えると、とてもこんな生命力のないコミュ障遺伝子が現世に残るなどというのは合点がいかないことです。
でもこれだけ増加しているというのには何か理由があるはず。
これはズバリ!
遺伝子に刻まれた全体最適の働きです。
遺伝子は危機的状況にあり、絶滅しそうになるとその生殖能力を高めたり、はたまた逆に増えすぎて息苦しくなるほどになると種を減らそうとする本能が働くとかという話しがありますが、まさにそれをソースに考えると次のような理論が思い浮かびます。
これだけ社会(日本)が充足してくると、いよいよ減少化へ向かうべき過渡期になったと、日本人類の本能が働くようになります。 現在一億2500万人の人口が日本にいるわけですが、これってやっぱり多いのでしょう。 狭い国土にこれだけの人数がぎっしりと詰まっている。(参考でいうと現在から300年前は3000万人程度しかいなかった)
こうなるとハッキリ言って多すぎなのです。 この国土に寿司詰めなのです。
逆にいうと、多いからこそこれだけ世界の中でも日本は生活が充足しているほうになるんですよね、つまりは働く人がそれだけ多いから、いろんな産業ができ、それが生活の充足に役立つということです。 また日本人は勤勉なのでなおさらです。
だけどもだっけっど!
話しはそんなに簡単ではありません。
胃袋に限界があるように、人が何か(娯楽やより高級な生活)を求めることにも限界があります。 時間というものが有限だからですね。
つまり一人当たりの欲望(=経済学的な表現でいうとニーズ)に対し、サービスがあまる状況になってしまうのです。
となると?
職にあぶれ食えない人たちが出てくるということで、この世(成熟社会の日本を想定)は数少ない仕事を大人数で奪い合う世界になってしまいます。
それに対処するために、遺伝子の反応として、
経済を最適化するために人類は人減らしに脳が向き始めるのではないかと思うのです。
つまりこれからはより有能な遺伝子が残ることになるのです。
だとすると、メスとの関わり合いが持てないコミュ障はなるほど次への遺伝子が残せないかもしれません。
ここにポイントがあります。
メスと関わり合いが持てない、といいましたがコミュ障が全て女性に興味がないわけではありません。 しかし、コミュ障は面倒くさい付き合いするくらいなら一人でいいと考えるのです。
これがもしリア充の社交性MAXな人種ばかりがこの世を埋め尽くしていたらどうでしょう。人間の本能としては、異性と話せば話すほど情が芽生えるものでいつ過ち(妻帯者なのに他の女子を誘惑する)を犯してもおかしくはありません。
リア充だから浮気性というつもりはありません。 ただ、確率論でいうと浮気するのは、その接点の関係からいってリア充なのです。 コミュ障は浮気したくても異性と接点を多大に持ちにくいのでそれができないのです。
そう、だからこそ成熟社会にあっては、これは神によるリストラともいうべき現象が起きる、それはコミュ障の増加ということなのではないかということです。
不公平に思うでしょうか。
でも仏教の考えを借りると、人は因果応報で輪廻転生。 時間を魂の生死で区切らずに考えて見るとそこは公平、つまりは、今コミュ障で苦しんでいるということは、過去の報いであり、また逆に今苦しんでいるこのハンデを真摯に受け止めしっかり生き抜くことで次に報われることがあるということでしょう。
まぁそれでも、このコミュ障ってツラすぎなんですけどね。。orz,,