INFP型・HSPのブログ

MBTi診断INFP型でHSP、40代家庭持ち営業マンの日記

会社に辞めると言ったら

やりました。会社に今月末で辞めます、お世話になりましたと言いました。事前に上司にアポをとりかしこまった雰囲気でお呼び立てし、別室に来てもらって近況の雑談を軽くした後に、

「実は、話というのは、、、、、、、、」

と切り出しました。

何度もイメージトレーニングとしていたので何をどういう順番で言葉にしていくかというのはすでに頭の中にあるどころか体で覚えており、次に続くお別れのメッセージを難なく発せられるはずでした。

しかし、口が次の言葉である、

「、、、、大変心苦しいのですが、、、、退職をさせて頂きたいというお話です」

を発するまでにとんでもなく躊躇っているのが自分で分かりました。自分の体でありながら自分ではないような第三者の体をコントロールしているような感覚になりました。

スカイダイビングで飛ぶときはきっとこんな感じなのだろうと思いました。覚悟を決めて飛行機に乗り込み、所定高度に達し開いた機体窓まで足を運ぶことができたのに、いざ飛ぶ段になって怖気づき、空を眺めて身動きとれずにいる、そういう状態です。蛇ににらまれた蛙。道路に飛び出してたじろぎ車と睨めっこし轢かれてしまう獣。

生き物というのは、重大な決断において一度、元の状態たる”無”と通信する性質があるのかもしれません。

私は瞳を閉じて沈黙し、やっとの覚悟で口に出すことができました。非情なあの言葉を。

この、瞳を閉じてぐっとタメを作って「退職」と切り出すシナリオは私の中にはなく、そういうリハーサルもしていなかったのですが、アカデミー賞を授与されそうなくらいの気迫の演出(演技するつもりもなく演技であったわけでもないですが結果的にドラマティカルな演出となってしまった)で、そう相成りました。

人間とはそういう打算が本能的にあるのかもしれません。どこかで自分をよく見せようとPRしごまかし、仮に自分に非があろうともそれを致し方ないという同情を相手に買ってもらおうというドス黒い商魂がDNAに刻まれているのではないのかと思ったのです。

私はすぐに自分の中に住む賤しい商人の才能を、自身の公正な裁判にかけました。しかし、しっかりと私の中にすむ裁判官も買収されていたのです。それのどこが悪いのか、と。

私はやがて自分は悪くないと腹を決め、以後、「退職をさせて頂きたいのです」という核爆弾を投下するやいなや、あとはキノコ雲が天に舞い上がるのを呆然と眺めるように、口が喉を震わし発する音を、まるで蓄音機(オーディオ)から聴き取るように視聴者の立場で傍聴していたのです。自分で発した言葉だというのに。

とても滑らかでした。多分彼(つまり私)は何度もリハーサルしていたのでしょう。このとても重苦しくその場のアドリブだけでは到底乗り切れない難所に備えて何度も練習を重ねていたのです。完璧に組まれた脚本が、上司との対話の中で巧みにアレンジされ、取捨選択のなか活きた言葉となり、その乾いた別室の空間に、この確固たる意思をもった言葉が響き吸収されていく様子が、手に取るようにわかったのです。

この爆弾は上司にもその衝撃波を与えていました。目は見開き口は一文字に横に引っ張られていました。あれは生きた人間の顔とは思えませんでした。もしかすると核に被爆することで人を死に至らしめるのは、放射能による破壊という化学反応ではなく、この絶体絶命たる絶望感という暗示なのではないか? 言葉にも放射能が宿っていて、否、人が自身のフィルタを五感を通してその内部に受け止めるとき、それが放射能という禍々しい作用体になるのではないかと感ぜずにはいられなかったのです。

間違いなく、上司の反応は、それが予期されていたか否かに関わらず、核、または末期ガンの告知であるという、そういう類のものでした。

思い返せば手を抜けない私は懸命に仕事に打ち込み、社畜の見本でした。もっとも社畜たる自分でいることで安心感を覚えるこの奉仕精神は、どこまでも会社を裏切らない存在であるはずでした。

それがこうしてキバを剥いたのです。

詐欺師。私は壮大な詐欺師だったのかもしれません。

十数年も羊の皮をかぶり、その内部ではいつか下剋上を成功してみせると願い苦く臭い肝を舐めながら好機を伺っていたオオカミ。

その羊がある日オオカミに。こうした人間を前に面食らわない人物はいないでしょう、上司もその一人であったわけです。そしてそういうキバを内部に持っていた自分にまた私も自身で罪悪感を持たずにいられなかったのです。

 

ーやがてこの話は唐突すぎて妥協点を見いだせず、保留となりました。

けれどもすべての事の運びが、予想通りでした。杞憂という言葉があります。思い過ごして取り越し苦労をすることです、案ずるがより産むがやすしという表現もそうですね。ただ、年も重ねてくると意外とこの思い煩いの精度が高まってきて、思った通りの苦労であったり案じた通りの産みの苦しさみたいな感じになってくるというのでしょうか、そう、苦悩なのです。

しかし後日、

話は収まりました。真摯に思いを伝えたことが功を奏し、応援する、という結果に相成りました。ただ、それは飽くまでも上司の反応です。やがて同期や後輩に周知されますが私がやめることで負担がかかります。なかなかに円満退社とは難しいものです。

しかし、つきすすむしかあるまい。これが最良だと、私の本能が叫んだ結果なのだから。まずは自分が幸せにならないと人を幸せにし続けられないのだから。