生きる意味を考えてきたけど結局なんにも見つからなかった
もっと自分には生きる意味があって、何か特別なことをするために生まれてきたんだと思っていた節がありましたが、どうやらもうそういう年でもなくなった今、感じること、それはただの思い上がりで、特別な意味などはなかったと思います。私はサラリーマンをして平凡な家庭を築くために生まれてきたようです。
でも、意外と、といってはおこがましいですが、それはそれで幸せなんじゃないかと最近は思うようになってきました。普通の生活、いや、厳密には普通に見せてムリしているような状況ですけど、結局そんなもんじゃないかって。
生きる意味なんていうのも、結局、色々と天から与えられた使命的な何かを感じ取ってそれを体現しようとしてきましたけど、そんなもんていうのはあっさりと気が付けば与えられているもののようで、それは幸せというものと同様に、どうやらくっきりと目に見えるものではないようです。
だから、なんとも言えませんがきっと私は今、幸せで、この凡庸でいてちょっと努力して人よりできるようになったことをリップサービスで褒められていい気になれるというような、そんなプチリッチな日々を、、
たぶん、 謳歌しているんでしょう。
どこか平凡であることを見下してきてきた私ですが、どうやらこれという非凡な才もなくオジサンになった今、自身を振り返るのです。
でも、それはそれで使命ではないか。
脇役がいるからこそ主役は引き立つわけですから。 やはりその、替えの効く人材に生まれようとも、誰かのアクセサリーとしての担ぎ役は必要なわけですから。
少し感傷的になってはいる私ですが、 でも今、自分が何のために生まれてきて何をするべきなのかが明確になった今、意識はクリアです。今までの漠然とした妄想は立ち消えて、むしろ迷いなく、 人生を歩めそうな岐路に、
立っています。