美人の(カワイイ)店員に緊張する,一目ぼれする
こ、こんにちは。世界の国からコミュ障やっていますか?
さてと、今日は大した話題ではありませんが、いやいつも下らない話ばかりですが、
美人の店員さんに緊張してしまう、という事件について触れたいと思います。
いや、これ厳密に言えばコミュ障でなくとも、緊張するのでしょうけども。
コンビニとか携帯ショップとかのお店に行くとたまにいますよね、超絶美人の店員さん。
例えばコンビニとかだと、どうしてこんな美人さんがコンビニで働いているの??(もっとその美貌を活かした仕事が他にあるのでは?)と思うほど美人の店員さんに巡り合うことがあります。もう驚きまくりなのです。
まずふっと、お店に入ってフラフラと買い物してレジに向かってフッと顔を見上げると、
ギョッ!天使がいるッ!何かの間違いだっ
と一瞬クラクラとしてそのまばゆい光に面食らわされるのです。
もう、女神様と乞食なのです。
もはやこの身分の差は、月とスッポン、いや太陽と亀くらいの差でとても顔向けができないのです。 というより、こちらが客にも関わらず申し訳ない気持ちでいっぱいになるのです。
まず、レジに向かう時にチラッとレジにその美人店員がいることを確認するとドギマギして居たたまれなく逃げ出したいような気持ちになる半面、やはり色めいたドキドキ感が自分の中にあり、ぜひ一目近くでどんなお顔をしているのか確かめたくなるのです。
いわば、恋、でもあります。 というか認めていないと思いますけど一目惚れ状態なのです。好きだから照れる、好きだけど恥ずかしい、なんというか思春期のそれであり、まさにコミュ障だからこそまだ心が大人になれていなくて、好きな人とはますます喋れないどころかむしろ冷たい態度をとってしまうあの感覚になるのです。
「200円が一点、100円が一点、合計で、、」
とレジでその美人店員さんが読み上げているとき、どうか目が合いませんようにと、タイミングを見計らいながらチラッチラッと、その店員さんのお顔を眺め、どこかあらさがしをするのです。
あ、でも肌が汚いぞ、化粧塗りたくってるじゃないか、胸小さいじゃないか、とか必死で目の前のこの人は美人じゃないんだと自分に言い聞かせるのです。
これは心理学効果でいうと、すっぱいブドウ効果です。(ウィキペディアより引用:手に入れたくてたまらないのに、人・物・地位・階級など、努力しても手が届かない対象がある場合、その対象を「価値がない・低級で自分にふさわしくない」ものとみてあきらめ、心の平安を得る。フロイトの心理学では防衛機制・合理化の例とする。また、英語圏で「Sour Grapes」は「負け惜しみ」を意味する熟語である。)
そう、必死で美人じゃないんだぞ、と思い込もうとあがくそのアラさがしはまさにこれです。一目惚れしているのに。
で、これ、コンビニとかのサクサクと取引が終わるタイプの接客店舗ならいいのですけれど、例えば、携帯ショップなどの、手続きが長時間に渡るようなタイプの接客スタイルの店で美人の店員さんがいるともうどうしていいか分かりません。
私の場合は、ひたすらクールに紳士モードで振る舞います。
まずもって、こんなブサイクで申し訳ないという気持ちが働き負い目があるので、とてもウハウハとしている余裕がないのです。また一目惚れ状態なので目は合わせられないし、また、話もろくに耳に入ってこないので、もう機械的に「はい、はい、それでいいです」となるのです。
で、帰りながら、そして帰って、自分を慰めるのです。
決してその店員さんが美人だからといって自分からプライベートな話しを吹っ掛ける勇気なんてない、でもできればいろんなお話はしたい、と思いながらも、叶わぬ恋に、ひたすら、
「あのブドウは酸っぱいんだ」
と自分に言い聞かせるのです。
これがリア充やDQNだと「へへーぃ!お姉さん、キャワイィねえ、カワイイねぇ、ちょっと連絡先教えてくれない?」とハジケてGoodな感じなのですが、まぁ、これはとてもコミュ障にはできない芸当わけでございます。