脳は25W(ワット)しか使えないから、余力を残しておかないと働きが悪くなる
こ、こんにちは、コミュ障やってますか?
今日、TV[ホンマでっかTV]を見ていると、気になるネタが取り上げられていたのでシェアします。ワタシも以前から気になっていた、というか、そりゃ当り前だと思っていたことなのですが、
実は脳のメモリみたいなものはやはり決まっていて、ある程度余裕を持たせておかないとその能力を発揮しきれないそうです。 なんでも脳はは25Wだかそれぐらいの出力が脳科学的な限界で、心理学的にみても何に注視するかによってそのとき起きている現象の捉え方が違ってくるとのことでした。
まあ簡単に言いますと、何かに気を取られている間は集中できておらずその認知能力を発揮できないという、経験上は当り前のことではあります。
で何がいいたいかと言いますと、
ーここからはワタシの仮説ですが、
コミュ障はコミュ障らしい認知特性があるのではないかということです。 これはこのブログでも何度も言っていることなのですが、
コミュ障はとにかく、ここでは人見知りタイプで内気なコミュ障ということに限っていいますが、
人と話しているときに、例えば
「この人はいま私のことをどう思っているのだろうか」
「今の言い回しでよかったかな」
「なんか悪いこと言ったかな」
「次に何の話をしようか」
とかこういう、会話中に小さい後悔をしたり、先々を読みすぎて頭の中で会話のリハーサルをするとか、こういったことに気を取られて、
肝心の「今」をおろそかにしてしまっていないか?ということです。
やはり、会話において相手の情報を読み取るという作業はハードで負担のかかることです。人の話を聞くって、大変なことですよね? でなければ学校の授業があんなにつらいはずはなかったと思うのです。 また、会話においても相手が3文くらいの長さを話すともうそれだけで途中からボーっとしてしまいますよね。
やはり、いつも何気なくやっているだけあってあまり意識はしていませんが、人と話をするという行為はそれだけ集中を要するものだし、また負荷のかかる作業でもあるということです。
で、コミュ障コミュ障と世の中はあまり喋らない人をそう表現しますが、
これは裏を返せばただ単に、人と必要最低限以上の会話をする(=楽しむための会話)ことより、もっと他に考えることがあったり、はたまた相手に気を配りすぎたり、自意識が過剰であったりと、とにかく普通のコミュ障でない人達がメモリを割く「会話モードの脳」に裂くリソースが、別のことで埋まっているから、結果、雑談が弾まない、
こういうメカニズムなのではないかと思うのです。
だから、そう考えると、いかに一般の人が好き好む大衆文化に身を染めるかが、いいトレーニングになるのではないでしょうか。要は高尚な趣味趣向を持たず、低俗というかごくごくフツーの、誰でも好んでやるような趣向を自分もやるのです。
例えば私なんかはTSUTAYAやBOOKOFFとかに本を見に行っても、自己啓発本とか小説とかそういう棚ばかりに立ち寄って気が付けば一時間、という具合なのですが、 これは一般的ではないんですよね。 やっぱり雑誌コーナーとか、マンガが立ち読みできるところではそのあたりの方がお客さんの立ち寄り率が高く、そういったところに自分も染まるほうがやはり、より普通の認知特性に近づくのではないかということです。
つまり、ムリヤリ自分を変えるのではなくて、周囲の大衆の動きと同じ動きをする、真似をする、ということです。
流行っているマンガを読み、流行っている芸人のネタでジョークをいう、ホットなニュースを話題にする、など俗な情報に染まり、それを楽しむ、
たくさんの人と会話を楽しみたいなら、こういう普通感が大事なのではないかと思います。
なんか論点がすり替わった感じもありますが、今日はこんなところで。