不良になりたい
こ、こんにちは。真面目、温厚なワタシでございます。こう見えて妻子持ちですが、ワタシから怒り散らすようなことはありません。嫁がワタシを挑発(先日も車運転してるのにケチつけてきてムカついていました。)してくるから怒るだけで、自発的に怒るようなことはありません。
というか、ワタシは本来人前で怒らないのです。超楽しかったオダヤカ。それゆえに嫌なことなんかを押し付けられても反抗できず、気がつけばそれをやることにも慣れてきて、はぁまたかとやってしまうこの奴隷根性。
真面目な自分が厭で若い頃はよく、不良に憧れました。不良になりたかったのです。そんなわけで、例えば、心酔した歌に、1980年代に一世を風靡した尾崎豊さんの「十五の夜」とか「卒業」とかがありました。
「十五の夜」は、サビの歌詞が、
盗んだバイクで走り出す行く先も分からぬまま
とか十五歳にして無免許、窃盗という不良っぷりなんですが、やり場のない思春期の葛藤を社会にぶつける反骨心がロックに表現されたカッコいい唄です。
くそ真面目な私はあこがれました。この唄を聴いているとまるで自分がそういうファンキーな人間になれた気がして勇気をもらっていたのです。がしかし、どうやってもワタシには、盗んでいない自転車で迷子にならない範囲で明るいうちに行動する、といった模範生の域を越えることができませんでした。
また、「卒業」という唄も不良が鬱屈とした毎日に抗いその末に迎えた解放感、それと少しの寂寥感を歌ったものですが、これもワルでカッコいいんです。
行儀よく真面目なんてできやしなかった 夜の校舎 窓ガラス壊して回った
ワタシなら行儀よく遅刻せず、いやたまに一分でも遅れようものなら顔を真っ青にしてペコペコ謝りながら恐る恐る席につく有様で、窓ガラスは掃除できちんと拭いた記憶しかありません。
逆らい続け あがき続けた
ワタシは先生の言いなりでした。
誰かの喧嘩の話にみんな熱くなり自分がどれだけ強いか知りたかった
喧嘩?どうやってするの? 血なまぐさい話を聞くとギョッとして住む世界が違うと感じていました。自分がどれだけ弱いかよく知っていました。
そんなわけで、不良とは対極的な生活をいて、いや、だからこそ不良に憧れてああいうふうにかっこよく生きられたら楽だろうし女子にもモテるんだろうなあと羨望の念を抱いていたのでしょう。実際、元ヤンキーとかで社会的に成功している人はたくさんいますもんね。不良っぽさはこの世を生きるエッセンスなのかもしれません。
ただ
今はもう、自分は不良には適性が全くないことを重々承知していて、相変わらず真面目にいきてます。