地頭が悪い
こ、コケコッコ―、いや、こんにちは、どうでしょうかコミュ障の調子は。 ワタシはGW明けの出勤で死にそうでしたよ、長期休暇引きこもりがちだとどうしてもその反動が出て、ただでさえ鈍重なのにさらに鈍くなるというこの様子はとてもつらいものです。 もう、ゾウや亀をスローモーションで再生しながら、その上、事故寸前のあのスローモーショナルな再生をしつつ世の中のスピードについていけないという、、、
そう!
コミュ障を知る一つの手が掛かりとして挙げられること、それは頭の回転の速さであります。逆にいうと頭の回転の遅さ鈍さです。
回転が速ければコミュ障ではないといえば、そうではないのですけれど、やっぱり総じて頭の回転のいい人はだいたい対人関係もスマートにこなすし、少なくとも浮いてはいません。黙っていてもポイントポイントをついてくるので違和感のない存在でいられるんですよね。
ーーーーーに、対しぃぃぃい、コミュ障はといえば、頭が悪いものですから、ここでいう頭の悪さとは勉強ができるできないではなくて、そもそもの常識力や社会性のことです。ざっくりいうと気が利くかどうかというところです。
で、こういう、気が利く利かないは日常の何気ないしぐさに現れます。
まぁ、真理をいうと、気を利かそうとした結果、相手にとって有難迷惑なことになる人は気が利かないセンスをお持ちであり、まぁそれは私のことなのですけれども、
簡単にいうと天然ボケな感じになるのです。 早合点して「ああ、いやいや、ああ」と無駄なやりとりを相手方とするようなタチです。
で、こういうタイプはつまり人の真意を汲み取れているつもりでいてそうではないので、コミュ障になってしまうのです。
これ悲しいですよね。
自分の知らない世界で判断されてしまうというのはツラいことです。
例えば自分の言いたいことをいって人と対立してしまった、ああ自分は嫌なヤツになったな、と客観的に判断できるタイプはつまり気が利くタイプです。 なぜかというと自分の行動の結果が良かれ悪かれそれを自分で理解できているからです。
だからこういうタイプはワガママ言っても客観的に自分を見つめられているからいいのです。友達もできる。
つまりは、地頭がいいのです。 気が利く、その反面、自分を前に出していくので人とも対立する、けど、頭の回転がいいので、結果、周囲と打ち解けられるのです。
でも、
地頭が悪いとどうでしょう。
まぁそれは私のことですが、ワタシは努力家なので地頭の悪さを習慣でカバーできる、そのためにテスト勉強なんかは得意なタチです。だからコミュ障でありながらも用意されたプレゼンなんかはすらすらと喋れるのです、人一倍練習するから。
でも頭が悪いために会話が噛み合わないとか、そういうことがあるんですよね。そして、気が弱いものですから、理解しにくい・聞き取れない場面とかでもそのまま流して進めようとするものですからもうどうしようもない断絶の空気が生まれるのです。 もうこの感じだとガチで喋ることないぜ?みたいな空気がお互いに流れてしまうのです。
では、その地頭の悪さがどれだけのものか、最後にお示ししましょう。
この間、家族でドライブに出かけているとき、とある高速のサービスエリア(休憩所)の駐車場にとまったのです。
で、休憩から戻って車に帰ると
「あれ、鍵がない!」
ということになったのです。車が開かないぞ、と。
で、誰も車のキーを持っていない。
で、ワタシは変に頭を働かせ、
「いや、この休憩所じゃなくてそれ以前に無くしていたんじゃないか?」
とその時の直観で答えたのです。
すると嫁が、
「バカ?だったらどうしてこの車のカギが締まったままになっているのよ!!」と、
・・・うん、
確かに、鍵がないとこの車は締まらないわけで、そのためには今のこの場所でいったん締めたことになる、
こういうことは自明なのです。
でもワタシはそうは思わなかった。
直感で判断したのです。バカです。
こういうのが、
おそらく対人関係でもモノを言うのでしょう。 やっぱり会話というのは理解の積上げに他なりませんから、こういう天然ボケでは話にならないのです。
本当に哀しいことです。
だったら直せよ、心掛け次第だろ?と思う方もいるかもしれませんが、いやいや、このクセは条件反射レベルで出現するため意識が及ばないところで出るものなのです。
だからこそ、つらいのです。体が勝手に動くわけですからね。。