父親がコミュ障ならその遺伝を引き継ぐ可能性大
私は、いわゆる口下手で人見知りでシャイで引っ込み思案な性格です。よく言えば奥ゆかしい、ですが総じて社会的には消極的といえるでしょう。
そして、この症状、これはひとえに、遺伝と考えています。
とくに私は男で、それで父親と爺ちゃんがコミュ障族だったのでとくにそう思うのです。あ、これって世代間またいでいるよな、DNAが受け継がれているなと。
また親族を見回しても、男親の方が寡黙なタイプの子どもは寡黙でコミュニケーション下手、しかし男親がコミュ障でないイトコはやはりコミュ障ではありません。
ということは、思うに男親のコミュ障遺伝子は息子には遺伝する、ということです。
逆に男親の社交的なDNAは子どもにも引き継がれる傾向にあるように思います。
ここでひとつ、私が過去みた映画で印象深いのがあるのですが、福山雅治さん主演の『そして父になる 』の話です。 ※この映画は2013年のもので、テーマとしては、いわば絆か血か?を問うものです。子どもの取り違えが後になって発覚し、その後、今育てている子と実の子、どちらをとるのか?という葛藤を描きながら人間の愛とか情を明かしていく名作です。
その中の一セリフに、
「血は争えない、例え教育によって導こうとしても」
みたいなニュアンスの至言が出てくるのです。 いくら鍛え上げようともカエルの子はカエル、最後は遺伝だよ、親がダメなら子もどこかでそのダメさを露呈するようになる、というような言及を示す場面があるのです。
フィクションの世界だけの話ではなく、これはまさにこの世の道理だと思います。
私は父親がコミュ障で、それを見ていてそうはなるまいと必死に明るい時分を振る舞っていた時代もありましたが、やはり、気が付けば父親の、あの暗い佇まいを自分に備えているのにふと気が付いてしまうのです。
年齢を重ねれば重ねるほど思うように口が動かず、人から冗談を振られても気の利いた言葉が思い浮かばず固まってしまう始末で、いまや、暗かった父親の喋り方そのまま、そして、人生に対し塞ぎこむようなあの態度はまさに今、決してなりたくはなくて努力していたにも関わらず、濁流に呑まれる雑木のように押し迫る流れに抵抗できずただ身を任せるしかなすすべがないような自然の摂理を感ぜずにはいられないのです。
※あとの人生談:ある程度の経験で克服できます。