目を合わせられない悩み、でもそれにはメリットがあった!
こ、こんにちは。
さて今日のフジテレビホンマでっか!?TVでコミュ障のためのネタが特集されておりましたが、ご覧になりましたか?もう内気でシャイ、人見知りなコミュ障にとっては励まされる内容でしたよ。
とくにコミュ障なのに向上心が比較的上向きな人には願ったり叶ったりの内容でした。
さてコミュ障の中でもとりわけ悩み深いのは、当然ながら人との会話であり、ならば聞き上手ということで話しを聞く側に徹しようとしても、相手の話を聞く間の立ち居振る舞いが自意識過剰すぎてどうすればいいか分からず、なんというか納まりが悪い感じになりますよね。
「今の自分は相手の話をきちんと聞いている態度としてふさわしいだろうか」
とかですね。 そもそもその考え自体が自分に向いており、相手に心が向かっていないのでつまるところ会話がとぎれる、厳密には的確な相槌が打てない、もっというとその原因は結局、自分のことを意識しすぎるがあまり話の内容が頭に入っていないから話がつながらないだけなんですけども、まぁこの根本の原因はやっぱりコミュ障、その中でも人と接したくないという逃避欲求から来ているものですね。
そしてそのコミュ障における逃避癖のなかでも顕著に表れるのが、
視線を合わせられない
ということです。
まぁ深く考えなくても誰にでもあることです。立場が上の人と話す時、またヤマシイことがあるとき、嫌いな人であったりはたまた悩み事があって人と会話する気になれないときなど健常な人であっても人と目を合わすことが苦痛なシチュエーションというのは存在するものなのです。
でもしかし、コミュ障の場合はもっと顕著で、自分のコンディションがよいときでも、会話のとき視線を合わすことができないなんてことが日常茶飯事なわけです。 意識すればできるのですが、とにかく、気恥ずかしさがすごくて耐えられなくなるというのでしょうか、そういうプレッシャーがあるのです。
まぁそもそも日本人はお辞儀とか土下座とかあるように、視線を避ける文化ですのでもう総コミュ障なDNAなわけですが、それでもやっぱりコミュ障を自覚している人にとっては、目を合わせられないコンプレックスというのでしょうか、なんか悩んじゃうんですよね。
しかも、自閉症などの発達障害の症状としてそういうことがあるなどの指摘もあるのでなおさら頭を抱えるのです。
でも!
実は、その目を合わせられないというのは実は秘めた可能性を持っているのです。
3つありまして、
・・・すみません、お酒を飲みながらボーっとTVを見ていたため記憶が薄れているのですが、 記憶力がいいとか相手の感情を読めるとか、あと一つ忘れましたが、なんか割と優れたコミュニケーターに必要な資質みたいなものを能力として持っているという表れでもあるという印象でした。
だから、
もうざっくりいうと頭がいい証拠でもあるわけですから、あとは自分が心を開きさえすればきっと何かが開花して上手く話ができるようになるということでしょう。
いまや内向型の時代なんて欧米の方では言われている節もありますので、
とにかくコミュ障はコミュ障だからと落ち込まずに自分の特性を自覚する、あとはそれに自信を少し添えることができればきっとうまくいくのです。
今日、一つ、会話時に視線を避けてしまう自分は脳のスペックが高いということをアナタは知ることができました、ぜひそれを小さな自信としましょう。
ワタシはもう嬉しくてたまりません!長年の悩みが高スペックだったということが分かったわけですからね!
ちなみに、この視線を合わせるためのトレーニングとしては、睨めっこなんかが有効だそうです。
ただ、これってコミュ障の場合はやれる相手の友達がいないので参考になりませんね。。