ゴキブリは殺してしまうのにクモとかだと逃がしてしまう自分が嫌
ゴキブリなどの害虫が出るシーズンになってきました。これを書いている2017年の5月は暑くて、まるでプチ7月とでも表現したい季節になっています。こうやって季節も、その、らしさ、みたいなものを少しずつ変容していくのでしょう。そういえば私もまた二十歳くらいの時とは感受性とかこうありたいといった理想がまた変わっております。自分とは不変のものであると思いながら、少しずつカタチを変えていくものなのでしょう。でもそれはもしかすると理想が理想であると知り、現実に折り合いをつけていく作業なのかもしれません。
ところで話は変わって、ー今は少し疲れていてこんなことをふと思い付いたのですがー、そういえば私は、冒頭にふれたゴキブリという、あの自信に満ち溢れた、それでいて臆病な存在がとても苦手です。
視界の片隅に彼らしき妖しい黒光をとらえてしまうと、一呼吸おいて、まるで背後から銃をつきつけられたような鈍い緊迫感でじろりと瞳孔をそちらに向けてしまうのです。
するとやはりそこに彼はいるのです。
ゴキブリが。
それを見ると私は無慈悲な暴君、はたまた冷徹なヒットマン、無情な処刑執行人と化します。
ただ、とても繊細な心をもって。
殺意を持ちながらも、彼らのように堂々たる存在に怯えてしまう性癖がここで脳裏に現れてくるのです。
怖い。
そういえば、周囲を見渡せばこんなふうに堂々として明るく力強い存在が私を威圧し、どの私の人生アーカイブにおいても、そういう存在に圧倒され支配されてきたのでした。
それとこれとを同一視するのは甚だ倫理にもとる思惑でしょう。そうするつもりはありません。
ただ、強きに圧倒されるこの綿のような精神が倒錯を生み出すのだと思います。
彼を始末する。
それは及び腰の私にはとても勇気のいることです。
でも神が、その権限をもって時に不条理な怒りをこの人間界にぶちまくように、
私もまたその堂々たる、けれどもそのどこか媚びるような矮小な存在の彼(ゴキブリ)に雷を落とすのです。おっかなびっくりで、新聞まるめてソフトにパカンと打つこともあれば、掃除機で暗闇に吸い込むこともあります(ただ、その後仕返しが怖くてガムテープでふさぎます)。
こんな邪悪な心で退治してしまいます。退治? まるでそれでは彼が悪者であるかのような表現です。きっとこの地球上の歴史の中では彼らの方が先達であったであろうに。
ここまでは、告白でした。
問題はこれからです。
私はゴキブリに対しては、まるで衣服についた埃を払うような気分で始末するのに(もっとも心の奥底では申し訳ない気持ちでいっぱいです)、
クモなどに関しては、できるだけ外に逃がすようなオペレーションをとってしまうのです。
同じ生命なのに、同じような虫なのに、こうやって差をつけてしまう自分に、
心に住まう悪魔の存在を感ぜずにはいられないのです。