話せば話すほどネタがつきて、ぎこちなくなる、気まずい現象
こんにちは、コミュってますか?周囲とお話、やっていますでしょうか。
それにしてもコミュ障を克服する系のネタをネットや本で見ていますと、まぁ簡単にあれこれとさもありなんと書いてありますよね。
読んでいて、「それができれば苦労しないよ」というようなノウハウが書かれまくっています。当ブログでもそういうノウハウ記事を書きますがやっぱり反響悪いんですよね、やっぱりそれだけ再現性がないということなのでしょう。まぁ続けますけどね。
で、
よくあるのが、
「コミュニケーション能力は経験、まずは人と話す機会を持とう」みたいなやつです。
はい、
もっともです。やはり人間というものはやったらやっただけそれが経験として積みあがるものですから、センスも大事ではありますが、なんだかんだで経験値こそがモノをいう、というのは分かります。 間違いではないのでしょう。
しかーし!
それだけで会話は上手くなれないのがコミュ障なのです。
コミュ障、ここでいうコミュ障は人見知りをこじらせたタイプのことと定義して話をすすめますが、まず第一に、
「人との接触の経験が積みあがらず、2回目3回目の方がぎこちなくなる」
という本質的な反比例の法則を持っています。 普通は、話せば話すほどその人と仲良くります。 もちろん、肌が合わないとか性格が嫌いとかいうのはありますが、その場合は「憎悪」の感情です。コミュ障の場合は「敬遠」の感情が生まれます。 愛情の反対は憎しみではなく無関心と言われますがまさに遠ざかっていくのです、接触回数が増えているのに。
なぜなのでしょう。
話せば話すほどに遠ざかるこの感じは。
本来は、話すほどに相手のことが分かり、より深い関係になっていくので話すことも自ずと広がっていくはずなのです。
なのに、
どんどんと遠ざかる。なんというか、
まるで石油を掘るように、相手と話すほどその貯蔵量が減っていくような感覚です。
一緒に道を歩かざるを得なくなって、沈黙が気まずくて、頭をフル回転させながらもネタが思い浮かばずドギマギしているとふと相手から助け舟の話題提供があっても、それに乗り切れず、乾いた受け答えになり、またブツッと会話がそこで切れ振り出しに戻る絶望感はまさに、地獄の鬼の所業としか思えないくらいなのです。 この世は地獄。
なんなのでしょうか、この会話のネタを、放流していくような感じは。
おそらく、その人と会話をしたくない、住む世界が違うという無意識のシャッターが効いているのでしょう。
だとすると、向こうも同じように悩んでいるのでしょうか。 いや、きっと、自分とは気まずくてもその人は他に喋りやすいであろう人がたくさんいるのです。 コミュ障の場合は気まずい人が多いのですが、それは逆から見てもそういうわけではないということです。
ああ、この絶望感よ。
こうなると、ただやることはひとつ。 尽きるネタを補充していく作業です。つまり興味のないことも必死で覚えて、眩しい世間に住む人達が興味を持つであろうことを日頃からチェックしてストックしていくことなのではないでしょうか。 苦行です。