INFP型・HSPのブログ

MBTi診断INFP型でHSP、40代家庭持ち営業マンの日記

コミュ障なのに飲み会の幹事を指名されて、その企画の発起人が欠席な件

こ、こんにちは。コミュ障が幹事、どうだゲロ吐きそうでしょう。

さてワタシ、この度、飲み会の幹事を任されたわけです。

当然ながらコミュ障なワタシが幹事なんてもう地獄に他なりません。

コミュ障を殺すのに凶器はいりません。 ただひたすら眩しいリア充な世界へ連れ出すだけでいいのですから。

 

 

さて、そんなコミュ障幹事の俺氏、その使命を受けたのが去ること一か月くらい前でしょうか。 断る力のないワタシは、隠し通すことのできない引きつった表情筋の挙動を一瞬一瞬感じながらも、「分かりますた、いいっすね飲み会、」と引き受けてしまったのです。

 

人間には予期せぬ不幸が身に降りかかることがあります。

いとしい人の死、大切なものの消失、夢の挫折・・・etc。

 

 

しかし、コミュ障というハンデ、これはおよそ普通の人には想像しがたい所までに及ぶものです。 鳥からすると飛べない地上の動物たちがアホに見えるでしょう。 ライオンからするとノンキに草原で生活を営む動物たちがただの動くエサにしか見えないでしょう。

同じくしてフツーの人から見ると、コミュ障がこんなささいな取るに足らないことで猛烈に、内臓とくに胃や心臓あたりをスプーンでえぐりとられるような痛烈な衝撃を持っていることなんて、とうてい理解の及ばない現象なのでしょう。

「幹事、たのむ」

そのささいな一言により、コミュ障はレンガで背後から後頭部を殴られ、気を失っている隙に留めとして心臓を紐で縛られ、ハラワタを貪られるような夢を見るのです。

 

 

でも、そこで頑張るんですよね。

断れないので、もうハイと言った以上やるしかないのです。

 

全員の都合のいい日をスケジュールサイトとかで集約して、規模感をはかり、そして店選び。当然慣れていないので芋くさい所をチョイスし、気が利かない。 予約を入れる。ドモりながら、電話のこちら側ではまるで唐揚げでもできそうなくらいの油汗をかきながら、

「じ、じ、じ、、10名で予約を。。。あ、飲み放題で、、あ、じゃあそれも。。」

となるのです。

 

 

で、ここまではフツーのコミュ障が幹事をやった場合ですよね。

さて、

ワタシは来週、コミュ障には絶体絶命の事件となることが起きてしまいました。

 

、、、

ワタシに幹事を申付けたトップ(言いだしっぺ)の人がいないのです。

つまり実質の主催者がいないのです。

 

ということは?

 

そう、ワタスが主幹となり、まるでワタシが飲み会(あの、人のプライベートを踏みにじり、懇親という名の理解不能な、修養、しかもお金を払ってまでやらねばならない慣習)を企画して、コミュ障がああ、なんて生意気なことを、、と思われてもおかしくないくらいの事態へとなってしまったのです。

明らかに不自然でしょう。

コミュ障が、幹事。

「ああ、貧乏くじ引きやがったんだな」

ではないのです。

だってその組織のボス(ワタシに幹事を依頼した人)が欠席なのです。

 

飲み会は4日後。

折しも、忌まわしい数字の「死」です。

 

さて、ワタシの運命やいかに。 一旦ここで。

 

・・・、

 

※追記※

ワタシは無事、幹事をやりとげることができました。

 

でも一つだけ分かったことがあります。

よくもわるくも、やっぱり、人と仲良くなれる、リア充的スキルの持ち主にコミュ障は、かないません。

やっぱり、人には、ある役割を持たされる、―それが名誉か不名誉かに関わらず―

何かがあるように感じました。

リア充は、ひらりひらりと幹事のような面倒くさい労務を用事をつくろいかわします。

でも、

コミュ障には、そんな器用さがない。

だから結果的に、損な役回りとしてそういう面倒な感じ役を任されるのだと再認識しました。

やっぱり、

人に責任を転嫁するというのはすごくリア充の社会的スキルであり、小技の一つです。

これが、

社会的に成功している人が、実は裏では恨まれているゆえんなのだと、普段から思いうようになりつつも、都度都度の場面で再認識するようになりました。

人は、その素性としてとてもまっすぐであり、言い換えると真理を悟らない生き物であるがゆえに、ある権威ある人が下の立場のものに「お前に任せた」ということで自らへの評価を正当によそに逃がす術を持つもの、それも本能的にと思った次第です。

もう、コミュ障には、とてもじゃないですけあらゆる大人世界の営みは、泥まみれの、賽の河原で終りのない作業を続ける徒労を覚えるのでした。

 

やっぱり、背伸びして、スマートに飲み会をコーディネイトしたぞと思っても、何か不燃焼な燃えカスが自分の中に留まり、自分自身が、燃えて死ぬ勇気もないのだけれども舞台から薄っすらとフェードアウトするようにこの世を去りたいように思う次第なのでありました。

 

でも、世は因果応報、これもまたワタシがやってきた業が露わした結果に過ぎず、良くも悪くも、いや、すべてワタシが悪いのだと、そう実感しています。