年々と(年を取るごとに)コミュ障になる理由
これを書いている現在、2014年、30歳半ばの私ですが、先日幼稚園から中学校までの幼馴染みからふと連絡があり、久しぶりに会食をすることになりました。
なんでも近日中に結婚するからということで一緒に飲みに行くことになったのです。
おお!コミュ障の彼が!という感じでしたが、そこはコミュ障でも結婚できる理論(コミュニケーション下手でもそれがいいという異性はいる)で説明できること。
彼もまたコミュ障タイプ(人見知りで話術というものを持ち合わせていない)の人間で、自他ともに認める対人苦手タイプです。
久しぶりに会い、改めてコミュ障タイプだなと思いました、、(私含めて)お互いに。
そう、コミュ障同士だと波長も合うのでそんなドギマギしなくてもいいというのはあります。
すみません、前置きが長くなりました。
自分がコミュ障だと感じてしまう理由
コミュ障の私はいつからか「あ、自分ってコミュ障なんだ」と気づく時期というものがありました。
幼稚園や小学生の時代は、なんとなく周囲にも溶け込んでいる、というか漫然と時間がすぎていく感じで、そこまで思い悩むこともありませんでした。
しかし思春期を迎え、大人になっていく段階でだんだんと対人関係が苦手なのだと自覚するようになっていきました。
そして、人を極端に避けるようになる。
自ずと周囲とコミュ力の差が生まれてくる。
厳密にはコミュ力というか、人と絡んで生活するという社会性において差が出てくるといったほうがよいでしょうか。
最低限必要なことは喋れるわけですから(吃りながらでも)。
コミュ障は年を取るごとに下がるわけではない
そしていつしか周囲は会話経験を重ねた人たちだらけになり、コミュ障の自分はギャップを感じるようになっていきます。
年をとるごとに自分がコミュ障になっていっていく、というよりも周囲が普通の人生経験の中でコミュニケーション能力を上げていくのです。
つまり、コミュニケーションスキルが下がるというよりも、経験を積まないので、上がらない、という表現が適切なのかもしれません。
自分の身の丈に合ったコミュニティに身を置けば幸せ
この記事の冒頭で、私の幼馴染との久しぶりの飲み会の話を出しましたが、
この場合はワタシもその幼馴染と同じコミュ障だからレベルが合い、間が持つというわけです。
つまり、自分はコミュ障だなと傷つくことが多い人は、おそらくコミュ力 の高いコミュニティにいるからというのもあるでしょう。
コミュ力 が低くテンションがおとなしいコミュティにいればそこまで自分のコミュ障について悩むことはないと思います ジメーーッとした雰囲気をまとっている人達の集まるところです。 落ち着きますよね。
ただ、この現世において、そういう夢のようなコミュニティを探し出すのが難しいというのはあるでしょう。 でもあきらめずに探していきたいです。
そこさえ掘り当てることができればコミュ障でも幸せに生きていけるはずなのですから。。