コミュ障は年を重ねるごとに深まる?自分らしいコミュニティの見つけ方
こんにちは、コミュ障、INFPな管理人です。これを書いている現在、私は現在30代半ば。先日、幼稚園から中学校までの幼馴染みから久しぶりに連絡があり、その近況報告も兼ねて一緒に飲みに行くことになりました。なんでも、近々結婚するそうで、驚きとともに「コミュ障な彼でも結婚できるんだ!」と感慨深いものがありました。
彼も私と同じく人見知りで対人関係が苦手なタイプですが、そんな「話下手でも受け入れてくれる人と出会えた」というのは一つの希望のような気がします。今回は、そんな私が感じた「年齢と共に感じるコミュ障の自覚」や、「自分に合ったコミュニティ」の大切さについて考えてみたいと思います。
なぜ大人になると「コミュ障だ」と感じるのか?
私自身、幼い頃はそこまで自分がコミュ障だと感じたことはありませんでした。小学生までは特に意識せず、毎日を楽しみながら友達と無邪気に遊んでいました。しかし、思春期を迎えたあたりから次第に「人と話すのが苦手かもしれない」「どうしてこんなに緊張してしまうのか」と感じ始めました。友達と何気なく話せていた子供の頃とは違い、年を重ねるごとに「対人関係での違和感」を覚えるようになったのです。
思春期や大人になってから、だんだんと対人スキルが必要とされる場面が増えていきます。そして、そんな場面で人との違いを感じると、「あ、自分はコミュ障かも」と感じ始めてしまうのかもしれません。
コミュ力が「上がらない」という現象
大人になるにつれ、周りの人たちは社会経験を通じて次第にコミュニケーション力が高まっていきます。対人スキルが鍛えられ、言葉を交わすことに慣れ、会話の中で自然に自分を出せるようになる人が多い中、コミュ障の人はそうした場数を踏む機会が少ないこともあり、コミュニケーションの経験値が上がりにくいのです。
つまり、年をとるごとに「コミュ力が下がる」というより、周囲とのコミュ力の差が生まれることによって「自分だけ取り残されている」と感じやすくなっていくわけです。周囲が「普通」に積み重ねている会話経験に追いつけない分、ギャップが広がっていくのです。
コミュ障でも安心して過ごせる「居心地の良い場所」を見つける
冒頭でお話ししたように、私は久しぶりに幼馴染みと飲みに行きましたが、同じコミュ障タイプの彼とはお互いの波長が合っているため、緊張することもなく自然に話すことができました。つまり、「似たような性格を持つ人といると、自分も楽になれる」ということです。
多くのコミュ障の方が、自分が周囲に比べて劣っているように感じたり、人との接し方が分からず戸惑ったりするのは、自分とタイプの違うコミュニティにいることが一因かもしれません。たとえば、活発なタイプが集まる職場やグループにいると、自分のテンションの低さや無口さが目立ってしまい、「自分はおかしいのでは」と感じてしまうのです。
一方で、同じようにおとなしい性格の人や話すことが得意でない人の多いコミュニティであれば、無理して話す必要がなく、お互いのペースで会話ができるため「居心地の良さ」を感じられます。ですから、自分と似た性格や価値観を持つコミュニティに身を置くことで、自然体でいられる時間が増えるのです。
コミュ障の方にとっての「夢のようなコミュニティ」を探し続ける
ただ、「自分と合うコミュニティを見つけるのは難しい」と感じる方も多いでしょう。確かに、似たような性格の人が集まる環境に巡り合うのは簡単ではありません。それでも、落ち着ける場所が見つかれば、コミュ障でも安心して生活できる可能性がぐっと高まります。
今の社会では、特定の価値観や個性を持ったグループも増えていますし、インターネットを通じて同じ興味を持つ人たちと出会うこともできる時代です。オンラインでの交流も、自分と波長の合う仲間を探す方法の一つです。
自分に合ったコミュニティを見つけることで幸せな生活が広がる
結局のところ、コミュ障の方が幸せに生活していくには「自分に合ったコミュニティを見つける」ことが一つの大きなカギです。自分と似たようなテンションや会話ペースの人が集まる環境に身を置くことで、無理なく自然体で過ごせる時間が増えます。
人は必ずしも「明るく元気な人」と過ごさなければいけないわけではありません。無理に盛り上がる必要のない場でも十分に楽しめる人はたくさんいます。自分が楽に話せる環境、自分らしくいられる場所を探し、そこに少しずつ居場所を作っていくことで、コミュ障であっても落ち着いて生活できるのです。
コミュ障は「改善すべき短所」と感じられるかもしれませんが、環境次第では必ずしもそうとは限りません。自分が安心できるコミュニティを見つけられたとき、きっと居心地の良い生活が手に入るでしょう。