INFP人生記

著者:MBTI診断INFP-T/男/家庭持ち/1980年生/吃音/HSP/営業職

コミュ障が営業10年やってみた結果www:話せるけど話を楽しめない事実

すみません、のっけから2ch風に釣ってみました。INFPでコミュ障な田中です。今日も元気に(?)コミュ障やってますか?

「コミュ障を治したい」なんて思って営業やってみたけど…

私はもともと、小・中学校時代は割と社交的でした。ところが思春期の頃から徐々に「コミュ障」が顔を出し、高校生の頃には「人付き合いが苦手」になってしまいました。たぶん、本来の内向的な性格がだんだん表に出てきたのだと思います。

でも、20歳前後の頃に「コミュ障を克服しなければ…」という思いが芽生えたのです。友人や世間から「もっと活発に遊びなよ」「楽しそうに振る舞うべきだ」と言われるたびに、内気な自分が恥ずかしく感じられて、「手っ取り早くコミュ力がつく仕事ってなんだ?」と考え、営業職に挑戦しました。

ですが、初めの頃はもう毎日が地獄! 朝になるたびに「会社行きたくねぇぇえぇええ!」「引きこもりたいぃぃぃ…」と心の中で叫んでました。2chの『内向的なのに営業』スレを見ては共感して泣きそうになり、辞めたいけど「辞めます…」とすら言えない。人生まで辞めたくなりながらも、気がつけば10年…。

コミュ力は上がった…けど、本心は全然楽しんでない

こうして10年、営業の仕事を続けてきましたが、さすがにコミュ力は上がりました。人前でスピーチするのもなんとかこなせるし、以前の知人からは「性格変わったね!」「イキイキしてるじゃん!」と言われるほど話せるようになったのです。

しかし、実際のところは全くそんなことありません。確かに言葉が出てくるようになったし、人付き合いも無難にこなせるようにはなったけど、心の奥底では今も「早くこの場から逃げたい…」と思っているのです。つまり、話せるけれども、それを「楽しむ」という境地には程遠い。

会話が「義務」に感じるなら、それは心が楽しいと思っていない証拠

実感として、会話を続けることには慣れました。けれども、どこか無理をしている自分がいて、本当の意味で楽しめているわけではありません。「場を盛り上げなければ」とか「社交的に見せなければ」という義務感だけが先行し、内心はいつも「やり過ごし」の感覚です。

これって、ゲームでいうとまさに「魔法を使うとMPが減る」ような感覚です。本来、会話はバイタリティを回復する手段のはずですが、私にとっては消耗するだけ。つまり、コミュニケーションスキルは上達しても、会話を楽しむ気持ちは育たない、これが現実なんですよね。

じゃあ「コミュ障は治らない」ってこと?

よく「コミュ障は治る、治らない」という議論がありますが、私が10年営業を経験して出した結論はこうです:

話すスキルは磨かれるけれど、「楽しむ力」は生まれない

つまり、会話力を鍛えても、心の中でそれを「楽しい!」と思えない限り、コミュ障的なメンタリティは変わりません。話せるようにはなっても、その本質的な「楽しさ」を感じられないままなんです。

でも「自分に合ったコミュニティ」なら、自然と楽しめる

とはいえ、悲観する必要はありません。人間というのは、自分に合ったコミュニティにいると、自然とリラックスできるものです。外向的な社交家がどんな場所でも社交を楽しめるのに対し、私たちコミュ障は「特定のコアなコミュニティ」でこそ、自然体でいられるのです。

そのコミュニティとは何か?

それは、外向的で社交的な人が逆に馴染みにくい「マニアックな趣味の世界」。一般的な社交場ではなく、特定の趣味や深い話題でつながる場では、私たちコミュ障が本領を発揮できるのです。自分を無理に飾らず、共通の興味を持つ仲間と自然に会話ができる空間。ここでは、内向的コミュ障の私たちが「楽しむこと」を実感できるのです。

まとめ:無理して頑張らず、自分が活きる場所を見つけよう

コミュ障はどれだけ鍛えても「会話を楽しむ力」を育むことはできません。だからこそ、無理に万人受けを狙う必要はありません。自分が「自然体」でいられる場所を探し、そこで生きることに意味があるのです。

あなたが輝ける場所が見つかれば、人生は一気に楽しくなるでしょう。それが難しいこともあるけれど、自分に合ったコミュニティや仲間を見つけたとき、きっと本当の意味での「楽しさ」を感じられるはずです。

今日も無理せず、自分らしく過ごしていきましょう!