人と喋らない、というインドの「サドゥ」が実践している修行があるがコミュ障なら簡単に務まるんじゃね?
こんにちは。 先日、このコミュ障な私が、飲み会で乾杯の発声をやらされました。 スピーチは事前に案内があればなんとかやれるのですが、それでも緊張しますね。 いくら場数を踏んでもこの緊張感はハンパありません。 ただ、事前に一人でリハーサルさえしておけばむしろ話し上手な感じで喋れます。かのアップルの創業者のスティーブジョブスもスピーチやプレゼンの天才だと言われておりましたが、実は裏ですごく練習していたそうです。
前置きが長くなりました。
本日はコミュ障であることが悟りを開くキッカケになるかもしれない!? というお話です。
誰とも話さない修行
インドの修行者でサドゥと呼ばれる方たちがいます。 修行、といっても過酷な苦行を積むタイプのもので例えば土に埋もれたり、はたまた右手をずっと上げ続けたりする、もう傍から見るととうてい理解の及ばない人達です。 家庭も仕事も持たず、ただひたすら自らが選んだ修行に励む、、とはいっても昼間っからお茶をすすったり、大麻を吸ったりと、それなりに享楽的な一面もあるようですが。。
そんなサドゥが実践する苦行の一つに
ひたすら誰とも喋らない
というコミュ障的な苦行があるそうです。
修行もいろいろあるらしいけど 彼の場合は「何年も喋らない」を選んでいた。 喋らない修行の人は案外多い。 誰とも会話をしないし、独り言も言わない。 引用:インドのハンピHampi-3|すみその「かろかろあそび」
この人と話さない修行を選んだサドゥは何年もひたすら黙りまくるのですが、他人と意思を通わせること自体は禁止されておらず、喋らなければ他人とコンタクトをとってもいいようではありますね。
・・・、何が言いたいかというと、
これはむしろコミュ障にとってはそれほど苦行ではないということですね。
もう周囲との社会的生活に消耗しきってマジで世の中が嫌になったコミュ障の方は、思い切ってこういう修行をしているんだと思い込んでもいいかもしれません。
、、、
なんて妄想がよぎるくらい、この無口な自分に絶望することがあります。