家族に対しても、よそよそしい
私は遠慮がちな人間です。誰に対しても失礼のないように一線を置こうとします。どれだけ仲良くなろうとも、ある一定のライン以上踏み込むことをせず、そしてそのラインは距離の離れた、安全に万全を期したラインです。
それゆえに、はじめのうちはよくても打ち解けてきた頃にはどこかよそよそしい、水くさい印象になるのでしょう。
もっと厚かましくいったほうが相手も気を使わなくてすんで楽なのに、いつまでたっても他人行儀的であるので、距離を縮めにくいと思われるのではないでしょうか。
そうすることがベストであることは知っています。心理学的にも相手にお願い事をすると距離が縮まり親しくなれやすい、といわれています。
でも、やはり相手の気分を害してはいけないと思う私にはそれが容易にできません。
そして、とかく、関係の育成をしくじり、このいつまでも埋まらない溝は不発弾となって私の心の奥底に沈澱してゆき、いつ爆発するか予期できない怪しいガスを発するようになります。それは、気まずさとなって現れます。
人間関係とは会うたびに親しみを増すという成長曲線を外し、早い段階で停滞を迎えると、居心地の悪い関係になってしまうのでしょう。決して仲が悪いというのでなくて一緒にいて気疲れしてしまう関係になってしまうようです。発する言葉の一つ一つが消耗品となり削られていくエネルギーの枯渇感を免れないのです。
この私の性向は筋金入りで、家族に対してもその能力を遺憾なく発揮するようです。
家族に対してもよそよそしい、
私は私の生まれ育った親兄妹からもそう言われているようです。一緒にいるとき、ぎこちない言動が空間を包むそうです。 私はあくまで自然でいるつもりでも、どうやら無意識のうちに、結界が構築されてしまう妖力があるようです。