こんにちは。コミュ障でINFPの田中です。これを書いている今35歳です。
昨晩、飲み会に参加して帰宅後、酔った勢いでブログを書きました。今朝、その内容を読み返してみると、悲哀感漂う支離滅裂な文章が並んでおり、思わず笑ってしまいました。でも、その文章には確かに、私が日々抱えている苦しさや葛藤が詰まっていました。
コミュ障が飲み会に挑む日
飲み会は、コミュ障にとって鬼門です。それでも参加するのは、社会人としての付き合いや仕事上の義務感から逃れられないから。昨夜も、会社の飲み会に列席し、必死に場の空気を読みつつ帰宅後に泥酔状態でブログを書きました。
そのうえ、今日は家族サービスで長距離運転が待っています。この日々のループには、自由が見えません。結婚して家庭を築き、子どもが生まれる──確かに幸せな瞬間はたくさんあります。しかし、その幸せと引き換えに、多くの制約が生まれることも事実です。
結婚生活や家庭を持つことの幸福度をトータルで考えると、結局はプラスマイナスゼロ。これが私の正直な実感です。
後輩に甘える自分の情けなさ
昨夜、飲み会の一次会で帰る予定だった私ですが、付き合いを考えて二次会に参加しました。しかし、持っていたお金が足りず、後輩に立て替えを頼む羽目に。これまで上司や先輩に甘えて何とかやり過ごしてきましたが、35歳にもなるとそういう甘えも通じにくくなります。
後輩に「今日は立て替えを頼みます」と頭を下げる帰り道、自分の情けなさに打ちひしがれました。妻が渡してくれる限られた小遣いに対する不満よりも、そういう環境を作れていない自分自身への怒りと情けなさが湧いてきたのです。
業の深さに飲み込まれる夜
私はいつもブログを書くことで、何とか自分を保とうとしています。しかし、昨夜のように酔った状態では、その感情が制御不能になり、ひたすら「コミュ障、コミュ障」と繰り返すような文章になってしまいました。
家族のために頑張らなければならない一方で、どうしようもない自分がいる。この葛藤に飲み込まれるたび、自分の存在を無力に感じます。
罪深い愛と子どもたちへの思い
それでも、私には6歳になる娘と、生後半年の息子がいます。どちらも本当に可愛くて愛おしい存在です。でも、その可愛さが逆に胸を締め付けるのです。この世が厳しく辛い場所であると知りながら、彼らを産み落とした罪深さを感じずにはいられません。
この世は生きることそのものが試練であり、苦しみが付きまとう場所です。それでも、新しい命を作り出すという選択をした私は、「自分自身の業の深さ」によってさらに苦しむことになっています。
自分を受け入れるために
昨夜のブログを読み返し、笑ったあとで改めて思ったことがあります。それは、こんなにも弱い自分を否定せずに受け入れる努力をしなければ、前に進むことはできないということです。
コミュ障であることも、情けない自分も、そして家庭を持つ喜びと苦しみも、すべてが私という人間を形作っています。それを受け入れることで、少しずつでも明日に向かって歩き続けるしかないのです。
まとめ:泥酔の夜が教えてくれたこと
飲み会後の泥酔状態で書いたブログを通じて、私自身の苦しみや葛藤、そして愛する家族への思いを再確認することができました。誰しもが完全な人間ではありません。時に失敗し、情けない姿をさらすこともあります。でも、それでも生きていくのです。
「コミュ障だからこそ、見える世界がある。」その言葉を胸に、今日も一歩を踏み出します。