コミュ障を改善するには演技力しかない
こんにちは、コミュってますか?
世の中にはコミュ障だけではなくリア充も含めて、場面に応じてさまざまな自分を使い分けているものです。
分かりやすく例えると、先輩上司に対する態度と部下後輩に対する態度は違いますよね? すべての人にまったく同じスタンスで接する人はいません。 たしかに使い分けているというよりは、反射的に自分の立場をわきまえて態度を変えるというのが普通ってもの、でしょう。
みんな嘘つきであり、演技をして生きている
対面する人に対して態度を変える性質が人間にある以上(とくに日本はタメ語と敬語の使い分けがあり顕著)、それはすべてが本音であるわけがなく、自分の気持ちにウソをついて接するという本能があるということです。
それこそ、演技といえるのではないでしょうか。
自分にとって都合のよくない、居心地の悪いような人に向き合う時は誰しも緊張するものですが、
なぜそうなるのかという理由、
それは本音を隠した言動をとらなくてはならないからですね。
本音を偽りお世辞をいう、実力以上によく思われたくて(認められたくて)誇張する、嫌われないために建前上同調する、こういうことはすべて演技といいかえてもおかしくありません。
で、この演技というのはなんたるやですが、シンプルな話、「それらしく見せる」ことでしょう。 自分の気持ちに関係なく相手に対してこう思ってもらいたい、こう伝えたいというのを体現するものとでも定義できましょうか。
これって世の中みんながやっていることです。
そう、世の中、人とともに生きていくということ、これは妥協の連続であり、つまりは構成員たるわれわれの本音と建て前のバランスをいかにとるかが社交のポイントとなるわけです。
演技力は世渡り力
50%、普通の人がこの世の中を渡り歩くとき、何らかのルールに従って生きていくわけですが、だいたいはあることを我慢し、あることを楽しむものです。 それが50%としましょう。
合コンする・友人とバーベキューする・みんなで旅行にいく・などといった楽しみはだいたいの人は楽しいと感じ、
得意先を接待する、上司や先生と面談する、大勢の人前で発表するといったことは苦痛に思う事でしょう。
これは誰しもだいたいあてはまると思います。 ではコミュ障はどうか。
コミュ障の場合は、人と関わることは全部ダメです。 ネット上のSNSですらつながろうとしません。いやできないといったほうが適切でしょうか。
つまりコミュ障、これはもう、ほとんどの場面において対人関係が消耗するものでしかないのです。
もう、誰と逢っていてもヘトヘトになるのです。 親や親族ですらも言い知れぬ無言の空気の重さを感じる始末なのです。
となると、どうすればよいのか。
そう、演技です。前段で説明した通り演技です。
人間は誰しも演じる場面はあると先に書きました。 普通の人でも演じなくてはならない、それこそが社会なのです。
でもコミュ障にとっては社会そのものに自分の素を出せる場面がなく、もう演じ切るしかないんですよね。
となると、結論は一つ。
演者になれ、と。
コミュ障は関係ない。演技力は身に着けることができる
そう、本音でぶつかるとかどうでもいいのです。
こういうときはこうリアクションするという公式を身に着けるのです。ひとつひとつの社交において、パターンを学習するのです。
もちろん、演技するというのは疲れます。 でも考えてみてください。 コミュ障は素の自分でいても消耗するのです、それだったらコミュ障ではないフリしている方がいいのではないでしょうか。
トレーニング。
ひたすら真似るのです。 こういう場面ではこうリアクションするといいんだな、と勉強していくことです。
この世は舞台、自分は演者。
普通の人が50%のときで演じているとすると、コミュ障は99%の場面で演じる負荷がかかるかもしれません。でもそれは考えようです。
人間というのはトレーニングに応じて実力が身についてくるものです。
今、自分は社交の練習をしているのではなくて、演技の腕を磨いてるのだと思って挑むのです。そうすると勇気も沸いてきます。
コミュ障の場合は思い切る度胸がない、と尻込みしがちですが、それは素で勝負するから尻込みするのです。 演技だから、と割り切ってみてください、何か開けるものがあると思います。