いまだかつて、敵をつくったことのない人間は、決して友を持つことはない
こ、こんにちは。人生にびびっている管理人でございます。
さて今回の話は名言です。 イギリスの詩人、アルフレッド・テニスン(1809年8月6日 - 1892年10月6日)が国王放歌で謳った名言です。
いまだかつて、敵をつくったことのない人間は、決して友を持つことはない
つまり、八方美人であることは誰にも相手にされないということでしょう。
ギョ!それはワタシなり!
ワタシには今まで、敵対する人間関係がありませんでした。
敵対しない、というのは、つまり相手の意見を受け入れすぎてそもそも反発し合わないのです。
ワタシがAさんとBさんに挟まれた立場にあるとして、
AとBの背反する意見があっても、Aの言い分を聞いては納得し、Bの言うことを聞けばなるほどと頷き、両方の意見を同時に聞いてもどちらの言い分も真っ当だと思って判断がつかない。少しの偏りでAの方が正しいかな?と思っても圧倒的な印象を受けず、答えを口にせず傍観者でしかいられない、という。
悪気はないのだけれども、変に共感してしまい両方の意見を立てようとしてしまいます。
それゆえに敵はできない。
それゆえに味方にもなってくれない。
ちゅうぶらりんの存在になります。
また、自分では悪いと思っていないことでも食ってかかられるとすぐに謝るといいますか、反抗しませんので、ナメられっぱなしです。ですから、いいように使われるのです。結果、お互いの意見を言って理解しあえる関係の人がおらず、つまりは友達と呼べる人がいない、という状態になってしまっています。
決して嫌われて友達がいないのではない、ただ疎遠で近寄りがたく本心を見せないから打ち解けにくい、と思われて人が寄ってこないんだと、そう思います。
でも、問題は友を自分が欲しいと思ってできないのか?ということです。
ワタシにとっては友、という存在は率先して欲するものではありません。
友というのは与えてくれる分、こちらもまた与え続けないといけないものであり、とてもメンテナンスに手間暇のかかるものです。ある時、何にもないのにふと気まずく感じるような瞬間もあったりで。
というより、過去、ワタシも親しい人がいたのですが、全部、だんだんと気を遣いすぎるようになり、相手の名前をどう呼んでいいか分からなくなり(呼び捨てで呼んでいたけど疎遠になるにつれて敬称をつけて読んだ方がしっくりくるんだけど水臭いようでできない)、だんだんと関係が切れていき今にいたります。
それほど友達関係を維持するのは難しいということなのでしょう。
だから、これはこれでいいと思っています。楽だから。