コミュ力を上げるために場数を踏めばいいというけど、そんな単純な話ではない
こ、こんにちは、コミュ障やっていますか?
さてコミュ障改善のための方法としてよくあげられるのが、場数ということであります。
とにかく経験、いかに方法論を学んでも実践しなければ上達しないスポーツに例えられます。
当ブログでもかつてはその場数論を平気で陳述しておりました。それぐらい大事だと思っていたからです。 やっぱり何はともあれ経験だと。
でも、だんだんと年を重ねてきて分かったことがあります。
場数ではないと。
ワタシなんて、10年営業をやって、社会人のスポーツサークルとかもやって、結婚もして、子どももいますが、いまだに対人オンチです。
ん? そんな対人場面が多いような最前線で張っているお前はコミュ障じゃないって?
いやいや、
コミュ障の人からすると、こういった経験は十分に眩しく感じる、異質の人間じゃないか、と思うでしょう、それにそれをやりこなせているオマエはただのコミュ障気取りだと思うでしょう。
でも、実際に年賀状が業者関係以外一枚も来ない私がリア充だとは言えませんし、毎朝絶望的な気分で起きて必死で体と心に鞭打って会社に行ってますし、何より決定的なのは、やはりプライベートで参加している社会人サークルで、他の人と比べてワタシのコミュ力が圧倒的に低いことです、素が出るとやはりボッチになっているのです。 こういう場ではフラットな対人スキルが出るのではないかと思うのですが、もうワタシはカチンコチンの地蔵でただそこにいるだけなのです。
つまり、
巷のコミュ力改善のためには、場数を踏む、例えばよくある人見知り改善術として、往来で人に道を聞くとか、店員さんに話しかけるとかありますが、そんなの、ハッキリ言って意味ないです。 その場限りで終わるようなコミュニケーションなんて、意味ないんです。この社会はいかに人と長く付き合えるのかが大事であり、道端で見知らぬ人に声を掛けるとか、そんなことをいくら繰り返しても身に就くスキルは、道端で見知らぬ人に声を掛けるスキルしか身につきません。 当然ですが、こういうことは人間、本当に困ったら誰でもやれるものです。火事場の糞力とか窮鼠猫を噛む、こういう力が働くからです。
この世を生きるために本当に必要な力は、いかに人と永続的な信頼関係を築くことができるか、であります。
これが難しいのです。
これは場数ありきではありません。センスなのです。
いや、【センス】×【社会常識力】×【行動力】です。
これは、上辺だけのテクニックでは磨けません。 いくら知らない人に声を掛けようとも磨けるものではないのです。 別にやろうと思えば道端で一人で声を掛けて異性の一人と一緒に遊びに行くくらいのことは腹を決めればある程度の人にはできること(ただし酒の力を借り、尚且つその日だけ)、でもそういうコミュニケーションと本当に人生を豊かにする人間関係を築いていくコミュニケーションは全くの、全くの別物なのです。
それだけコミュニケーションスキルを上げるということは難しいのです。 だから、あるラインまで努力して、ダメだったらもうそんな努力やめましょう。
それよりももっと自分がすべきことというのが、きっと何かあるのです。 自分にはないって? いや、あるのです。 この世はそういう場だからです、きっと。