INFP型・HSPのブログ

MBTi診断INFP型でHSP、40代家庭持ち営業マンの日記

田舎育ちや同じ人間とばかり付き合ってきた人はコミュ障になる!?コミュニケーション能力は環境により変化する

こ、こんにちは。 コミュ障管理人です。毎日毎日必ず一回は言葉に詰まったり、どもったりしています。ある意味、どもり慣れているというか、変な意味で熟練したスキルを持っております。 あと、上手く言い回しが出来なかったとき、一人であとでブツブツと正しい言い回しの組立てなんかを考えたりそれを口に出してスムーズに言えるよう練習したりしますがなかなかそれでも難しいですね。 電話とかでもリハーサルなしにポンッとアドリブで的確な言葉で喋る人がいますが、あんな風になりたいものです。

でも私は、コミュ障ではありますが実は若い頃、子どもの頃はコミュ障じゃなかったと思っています。 でも大人になるとコミュ障を自覚するようになりました。

 

子どもの頃はコミュ障じゃなくても大人になってコミュ障になる場合がある

子どもの頃は何も考えずただ青い空を眺め、友達と無邪気に遊び、ただ毎日を全力を楽しむことだけに没頭していたから誰ともよく喋れた。・・・なんて記憶があるのにいつしか人に緊張するようになり、新しい人間関係が面倒くさくなり、人と接することが億劫になる。気が付けばドギマギして人と喋れなくなってしまった、という方は少なくないでしょう。

最初からコミュ障だった記憶しかない、という人もいますがそういう人でも例えば家族とか近所の子供の友達とかに対してはコミュ障じゃなかった時代があったと思います。

そう、人はコミュニケーションする生き物であり、そもそも話せて当り前の能力を持っているものなのです。もちろん病的である場合や発達障害を抱えて治療なしには解決できずどうしようもない苦しみの渦中にいる方もいますが、数でいうとやはりコミュ障というか人見知り、つまりシャイな気質が肥大化してしまった方が多いのが現状かとおもいます。

ではなぜ大人になるにつれコミュ障になるのか? ただ、ある時ふと「自分ってコミュ障だな」と悟るというよりやはりその前兆なりキッカケとなる時期があるはずなのです。

田舎育ちはコミュ障になるかも

これは誰しもに当てはまるわけではありませんが、ワタシがこの「田舎育ちによるコミュ障」の典型ですね。保育園・小学校・中学校と同じ顔触れで学年にクラスが一つしかなく15人くらいしかいない環境で育ってきましたので、はっきりいってみんな顔見知り、もちろん学校の全員の名前をいえるレベルでした。

そしてワタシはそんな環境下では、多少気が合わない人がいつつもほぼ誰にでも声が掛けられるし、また声もかけてもらえる環境にありました。

そしていつしか、そんな田舎を離れ、高校から一気に学年何百人もいるような環境に飛び込みましたので、ここからワタシのコミュ障生活が始まるわけです。 知らない人間だらけでどうやってコミュニケーションをとっていいか分からないわけですね。 また大勢の人間がいる分、ぼっちでいるところも見られたくないわけです。

廊下で会いたくないヤツが向こうから歩いてきていると思えば遠回りして避けたり、トイレにこもって時間を潰したり、昼ご飯を一人で食べているところを見られたくないから食べなかったりとかしていたわけです。 しかし、 実はワタシはこの段階ではまだ自分がコミュ障だと自覚していませんでした。周囲が下らん話で勝手に盛り上がっているだけ、面倒くせーとしか思っていなかったのですね。

 

そしてそんな高校も卒業して大学に入るわけですが、ちょっと自分を変えてみようと、コミュ障に見られないように明るく気取って色んな人に明るく話しかけまくった結果、明るい面白いヤツという評判をもらうようになりました。 無事に脱コミュ障を図れたと思いきや、それも束の間、だんだんとメッキは剥がれて、イエーイと毎日振る舞うのが苦痛になってきたのです。もうこんな日々が向こう何年も続くのかと思うと嫌気がさして学校をたった半年で辞めることになります。

ここでだいたい自覚し始めました。自分はシャイなコミュ障なのかもしれないと。

 

コミュ障が多い職場、というかストイックな職人世界にいくとコミュ障になる

そして、学校をやめ社会生活に入るわけですが、幸い一発目に入った職場が和食料理の世界だったので、これまたコミュ障だらけ、といいますか無口で必要なことしか喋らない人達ばかりの世界でした。 おお!これはコミュ障向きではないか、と思うでしょう? そうではなかったのです。 毎日罵声の嵐、奴隷級の下働き、そして見えない将来。 まぁ仕事がきついこと自体はなんとかなったのですが、やはり毎日の周囲からの罵倒には耐えられず辞めることなります。 コミュ障はコミュ障でも、こういう人に介入してくるタイプのコミュ障、というかこれはコミュ障じゃないですね、つまり頑固な職人であり、コミュニケーションとかはもう超越してしまってひたすら技を追及する世界の人達であり、そもそもコミュ障の概念がない世界なのです。 言葉は必要なツールの一つにすぎない人たちなのです。

なんか脱線しましたが、こういう環境に身を置くと言葉を失う、というか何か言葉が口から出て来なくなります。コミュ障がさらにコミュ障になるのです。コミュ障力という言い方は変かもしれませんが、それに磨きがかかるというか。

もちろん職人世界といっても多様で、きちんとワークライフバランスのとれた職場で和気あいあいとした職場ならこうはならないと思いますが、やはりどちらかというと口を動かすより手を動かす世界なので言葉による表現力なんかは乏しくなるかと思います。

 

人間関係が固定的だとコミュ障になる

またワタシは工場で働いたりコンビニでアルバイトしたりしていました。 工場は黙々と作業するイメージがありますが、休憩時間が同じ休憩室で過ごすため割と濃い雑談タイムがあるのです。 コンビニは接客業ですし、また同じシフトに入っている従業員とのコミュニケーションがあります。

なんとなくコミュ力が鍛えられそうですが、実はこれらの仕事は人間関係が限定的です。 環境が変わるとガラッとコミュ障になる恐れがあるのです。

 

コミュニケーション能力を高めるには環境と経験しかない

コミュニケーションの本来の目的というのはやっぱり他者と意思を伝達し合うことですよね。 つまり同じ対人環境で話しをするというのはそれはすなわち家族ひいては自分と対話するような独り言のようなものなのです。 結果、同じ人同じ仲間ではしゃいでもコミュニケーション能力が高くなることはないってことです。

まぁ、コミュ障の当事者にとっては、その同じ仲間と呼べる人間関係の中にさえ入れないわけですが、もしコミュニケーション能力を高めたいと思っているなら、もう無理矢理にでもいろんな人と話す環境に身を置くことです。

始めはストレスで死にそうになりますが、人間の脳は適度なストレスには順応するもので、毎日人に会うような生活をしていれば始めはそれがストレスでも慣れてくるものなのです。

そして、こういう環境に身を置くことで経験がつまれ、脱コミュ障を図れるというわけです。

もっとも、コミュ障の人はいかに人を避けるかに主眼を置いて生きるものですから、なかなかここまで向上心をもって、経験を積もう!と考えている人はいないかもしれません。 しかしどうせ逃げることのできない社会生活、コミュニケーション能力はあればあるほど充実した人生を送れることは確かでしょう。 というかコミュ障だと苦痛なことが多すぎてマジ辛いのです。

激流に逆らい登る鮭や鯉のように、そういう環境に身を置くことも一つのコミュ障克服策です。

 

ちなみに、ワタシは営業の仕事をしてから、旧知り合いにパッとしたね、と言われるようになりました。自分ではそんな自覚もなくムリはしていない自然体でいても、そう言われるというのは、やはり環境と経験によるものなのだろうということです。

 

あと、ダラダラと長くなってしまいましたが、コミュ二ケーションがうまくいかない、これが第一歩で、この「どうして伝わらないんだろう、どうやったら伝わるのだろう」という経験を繰り返しすことがコミュ力アップのコツだそうです。