会話は相手との共通項探し、たくさん知識を仕入れておく
これを書いている今は日曜日、明日は月曜、魔の月曜ですよ。 恐ろしく感じるあのオフィスの扉。 いや、でもみんなそんなものです。 喜んで会社に行く人の方が少数派なのです。
さて、人と話す。
それは何かといいますと、やっぱり共通項探しと共通性の確認です。
どんな雑談系の本を読んでも必ずといって触れているのは、この共通点を探して相手と会話を盛り上げよう、なのです。
そんなの分かってるよ、と聞こえてきそうです。
いや、もう本当にそんなの誰でも分かっていることなのです。
だって極端な話、言語が通じない外国人とはまず仲良くなれませんし、趣味趣向が合わない人と友達関係になることはありません。
やはり人間は同質であることが大事なのです。 SとMというふうにそれぞれ対極の性格の方が上手くいくとかいう理屈もありますが、やっぱり類は友を呼ぶで、基本的な趣味趣向つまりは共通点が相手との間にないと関係性は発展しないものです。
よく会話トレーニングの話に、場数を踏めとか進んで輪に入れとか指南することがありますがハッキリ言ってああいうのは、そのコミュニティの会話についていけることが前提で、
あとは口を挟む勇気が必要、というところのレベルに達していないとできないことなのです。すでに周囲が特定の話題で盛り上がっていて、その話題に関する知識がない中で話しに入っていくというのはただの空気が読めないヤツであり、邪魔者です。黙っていた方がいいのです。
あるコミュニティというのは必ずリーダー格というものが存在し、だいたいその人を中心に話題が展開されていくものです。 このリーダー格さえなれさえすれば話題提供者になるので、自分の知っていることだけで話を展開していくというやり方でいいのですが、まずコミュ障にはこのリーダー格は務まりません。
結果、いかについていくかに心を砕いたほうがいいのです。
もう雑学王になり、あらゆることを勉強し、クイズに答えるかのように対峙するのです。確かにこれだけではつまらないかもしれませんが、あらゆる話題を知っている、というだけで自信になるものですから、結果その自信はコミュニケーションする際の大きな武器になるのです。
でも、コミュ障っていうのは興味の幅が限定的です。
オタクに代表されるようにとにかく狭い。よくいうと深いわけですが、普通一般の人が興味を持つことに好奇心がないものですから、結果、周囲の会話についていけず、話しているネタがまるで外国語に聞こえるかのような感覚になってしまうのです。そして疎外感を覚え窮屈になるという。
ある意味、天才肌なのですが、でもやっぱり人間は根本に人とつながりたい欲があるものですからそれに悩む羽目になるのです。
トレーニング。
どんなに硬い体でも毎日ストレッチをしてると必ず一定までは柔らかくなります。同じように好奇心もストレッチ。 あ、これ興味ないや、というような雑学に触れたり見たりするのはとても大事です。 個人的には何でもいいので新聞をくまなく読むというのがいいと思います。やはり新聞は雑多なネタが載っており頭の体操にもなりますし、何より世間のトレンドを掴んでいるからです。