INFP型・HSPのブログ

MBTi診断INFP型でHSP、40代家庭持ち営業マンの日記

カーディーラーのタメ口がむかつく

カーディーラーの営業さんのタメ口がむかついてたまりません。

もう20年くらい付き合っており、最近になってタメ口になってきて腹が立っています。年齢は向こうが2つ年上なので、タメ口を使われても仕方ないのかもしれませんが、こっちは客の立場で敬語で喋っているのだから、相手も敬語で接してほしいというのが本音です。もちろん、客である自分が偉い、というような見解でいっているわけではありません。ただ、それほどえげつない駆け引きを要求するわけでもなく(というかできない性格)、車検のあとすぐ故障してもクレームをいうわけでもない。もう20年も付き合っているがゆえに、大事にしてほしい、という願望があるだけです。

 

対応も雑になってきました。

車検の前に連絡はよこさないし、ほったらかし。

 

横柄なタメ口ではないのですが、馴れ馴れしい、という印象がぬぐえません。

 

でもナメられているのがいけないのですかね、悲しい限りです。。

ただ、こちらが使うように敬語を使ってほしいだけなのですが。

それとも私の器量が小さいだけなのでしょうか。

 

上司が誕生日をアピールし、プレゼントを強要してくる

私の上司がENTJ型な暴れん坊で、誕生日が近くなるとそれをアピールしてきます。さらに怖いのがその上司は課のメンバーの誕生日を憶えているのです。なので、とても誕生日に対して執着が強い人ということになります。

それはそれでよいとは思います。誕生日を憶えてくれている上司、私の誕生日に、誕生日だね!と声をかけてくれる、、だから私も上司の誕生日には「おめでとうございます」と声をかけるようにしました。

とはいっても、積極的にそうしているわけではなく、お誕生日おめでとうございます、と相手にしてあげないと、わめいて拗ねるからです。罰として「仕事を増やす」などと半ば本気につらつらと公然的に恨み節がとまらなくなるのです。

もう、40歳のおじさんです。

30歳も後半になってくると自分の誕生日が近くなっても一瞬忘れてしまうくらいコダワリがなくなってきた私からするとまるで理解の範囲の外です。

 

誕生日の前日に事務所で猛アピールしてくる上司

その上司、誕生日の前日の夕方、懸命に事務所で声を張り上げて、

「明日は俺の誕生日、俺のデスクにスペース作っておくから、プレゼント持って来いよ!」と何度もアピールしておりました。冗談もすぎれば真実になると信じているかのような執拗さでしきりに、アピってました。

恰好のいじられキャラである私のもとにきては、そっと、

「明日俺に誕生日プレゼントなかったらどうなるか分かっているよな?」

と詰めてきました。本当にこういう人種は存在するのです!嘘みたいですけど、本当にいるんです、もっとも私が40年生きてきた中で初めてあった人種なので珍しいのでしょうけれども。どこか冗談めいていながら本気を匂わせている、、ああ、仕事はできるのに、こんなひん曲がった人格であることが残念でなりません。

私はこの上司の誕生日を祝ってほしいアピールを否定しているわけではありません。もし、私の誕生日にプレゼントを贈ってくれたなら、それが有難迷惑であっても、私はお返しのプレゼントを進んでやります。しかし、この上司はテイク!テイク!テイク!なのです。今までお金も貸したし、そのうち一部返ってこなかったこともあります。

そういう人だから、私はお祝いしてあげたい気持ちになれない、それだけのことです。

また、その上司は、社内の女子社員による男性社員へのバレンタイン行事(義理チョコを配る)を、一方的な好意の押し付けであると断じ、ホワイトデーのお返しの際に男性社員が共同出資してのお返しの際にお金を出さなかったという経緯もあります。また最終的に、悪しき習慣であると、そのバレンタイン行事すらとりやめさせたという。

それはそれでいい、と思いますが、自分のときはそれを棚上げして、贈り物を強要しているという。なんとも悲しい。。

 

抜け駆けしてプレゼントした社員

その上司が帰ったあと、みんなで「プレゼント贈らないよね?」と申し合わせました。

当日の朝、誰からもプレゼントのなかった上司は、「俺の誕生日だぞ!」とか吠えていましたが、やはり途中から目が覚めた様子ではありました。やっぱりそうだよな、という納得感も持っていたような印象でした。

しかし、その中の一人が、(新入りということもありどうしても警戒してしまったのか)プレゼントを持ってきてしまいました。

すると上司は、

くすぶっていた不満を燃え滾らせ、

「どうしてアイツはやってんのに、キミたちは俺に何もないんだ?」と詰めてきました。

とくにいじられキャラの私は、

「明日から今まで通りの会社生活が送れると思うなよ」

とまで言われました。

どうやら、他の社員も、個別にLINEなどでおめでとうメールを送っていたり、それなりのアピールをしており、何もしていなかった私に対して矛先が向いたのだと思います(もちろん、朝の挨拶の開口一番は、お誕生日おめでとうございます。とは伝えています)。

 

妻に愚痴ったところ、私が悪いと言われました。

ここは気を利かせて、缶コーヒーでもおごってやればよかったのだと責められました。

アナタは気が利かなすぎる、いくら自分が何もしてもらってないからといって、相手がそうやって求めているんだったら、それぐらいのことはやってあげればよかったといわれました。普段、人の恩に対して感謝の念がないから、そうやって責められるのだと、云われてしまいました。

 

そうか、私のせいだったのか、

と納得はできないながらも、職場でも家でもそういわれるということは、私が反省をする必要がありそうです。

そういえば、そのパワハラ上司も、私のことを思ってかばってくれたりしたこともありますし、守ってくれたこともあります。それを私が普段奴隷のように扱われており不遇だと恨んでばかりいるのが(もちろん表面上はにこにこして上司を立てています)、ダメなのかもしれません。

長々と愚痴りながらも、これは魂の修行なのだ、また心を入れ替えて明日から仕事に臨もうと、思いを新たにした次第でございます。感謝、ありがとう、この気持ちが大事なのでしょう。

 

家事を手伝うほどに求められる要求レベルがあがり評価が下がる

これは悲劇なのですが、最近の我が恐妻が無我の境地(何もしなくても生きていけるように)に至るべく、私に家事を強要してまいります。

毎日、20時になればエアコンを切れ、とか、食べた食器は下げろ、とかです。専業主婦なのに、です。こどもも自分のことを自分でやれることも多くなってきているのに、です。

しかし、求められるので答えてやろうとするのですが、やはりやればやるほどに成果を求められる、まるで会社です。

ひとつのことが出来たしたら次はコレ、コレの品質を求められるようになり、コレが満足水準になれば今度はアレ、というようにステップアップ。つまり絶えず目標は高く、終わりなき前年比との闘い。

最近、私はご飯を食べたあと、台所のシンクに食器を持っていく、まではやるようになりました。以前は食べたらそのままでした。

まず食器をさげる、これができるようになると、文句を言われなくなりました。

しかし、それが習慣として定着すると、やがてそれでは物足りなくなり、今度は、水につけろ、とかそういうディティールにこだわった要求をしてきます。怒鳴りながら。その怒鳴る姿を子どもがまねするようになるのに、子どもが兄弟喧嘩などで怒鳴るところを目の当たりにすると、なんという言葉遣いなの!!と怒鳴るのですが、いやそれアナタの喋り方そのままだから、真似してるんだから、と。

もちろん、それを指摘しても、返り討ちに遭うだけです。それはそれ、これはこれ、と。

ああ、悲しい。

 

妻が専業主婦でないならば、私は妻の主張が分かります。お互い同じように働いているならば家事は分担すべきだと思います。

でも、妻は、もし私に何かあった時に、と私に家事を強要します。

 

ならば逆に私に何かあったときのために君は働くスキルを身に着ける努力をしているのですか?と問いたい。

こうやって搾取され続ける人生なのでしょうか、どこかで、言い返してやらないとこの蹂躙は続くのでしょう。

でも、今の私にその元気がない、

ああ、こうやって中高年は疲れていくのだと、そうしみじみと思った次第でありました。

がんばろう、今日はまだ水曜日だ。。

 

冗談が通じなかった自分が、情けなく恥ずかしい

INFPでHSPの田中です。

冗談が通じない、分からないという自覚はなかったのですが、時折、冗談を真に受けて、場をしらけさせてしまうことがあります。幸い、それでも私の場合は良くも悪くもイジられキャラが奏功してツッコんでもらえることが唯一の救いです。しかし、もしかすると、そういうツッコミ役の人がその場にいない時に、自分で気が付かないうちに、空気が読めない言動をしている(しっぱなしになっている)可能性がある、ということをふと気に掛けました。

私は知らず知らずのうちに、冗談が通じない、空気の読めない罪をやらかしているかもしれません。

 

先日もありました。

仕事でのことです。

何人かでA組とB組に分かれて目的地に待ち合わせ。

車を2台に分かれて時間差でいったのですが、その中で最初に出発したY氏が忘れ物をしていることに、後発(私も後発組)の中の一人が気づきました。そこで、気を利かせてその忘れ物を持っていってあげたのです。

 

そのプロセスを説明すると、

B先輩がY氏の忘れ物に気づく(私はそもそもそういう気が利かないので気が付かない)→私が連絡役となり、Y氏に電話。忘れ物を持って行ってあげることになる、です。

 

目的地に到着。

後発組である私のC先輩に向かって、忘れ物をしたY氏が「あれ持ってきてくれた?」と聞く。

C先輩、

「あっ!!ゴメン!! 忘れちゃった!!あれって事務所に置きっぱなしだよね!?」とHさんに掛け合い、冗談をかましたのです。

私はその忘れ物を積み込む際に明らかに、C先輩も分かるような形でその忘れ物を車に積み込んだので、C先輩はつまり冗談を言っていることを周囲は悟ります。

しかし、私は、C先輩のその真剣な表情を見て、あ、これはマジでいっていると思い、

「あれは持ってきていますよ」

と口出し。

すると、

Z君が、

「ちがうちがう!なんでやねん!」

と私にツッコミをいれてきたのです。その時、瞬間的には分からなかったのですが、数秒遅れてハッとしました。

そうか、

冗談か、これは忘れ物をしたY氏に対する冷やかし的な、暗黙の冗談を、周囲で楽しんでいたんだ、と気が付いたのです。

私はその波に乗れなかったのです。周囲は分かっていたのに。

センシティブに表情を読めるはずの私、表情読み取り診断テストで高得点、FBIレベルと呼ばれる私も、そもそも、欠落した、至らない感性があるということでしょう。

天然。

分かりやすく言うとそういう表現になるのだと思います。

情けなくて、恥ずかしい限りです。

 

 

毎朝、目覚まし時計がなる前に目が覚める

INFPの田中です。HSPという繊細な性格のせいで毎日が緊張しています。

そのためなのか分かりませんが、転職して4年、いまだに職場に慣れたとは言えない状況です。毎日緊張を強いられています。

よくこれで心が壊れないものだと自分でも不思議でなりません。しかし、すでに警告ランプがついていることが分かりました。

平日の朝は、必ずといっていいほど、スマホの目覚ましのアラームの前に目が覚めます。 最近では6時10分に目覚ましをセットしていますが、5時50分くらいに目が覚めます。それ以前は5時30分にセットしたのですがやはり5時15分から20分くらいまでの間に目が覚めていました。

 

また、目が覚めた瞬間にだいたい誤差5分くらいで何時何分と分かってしまうのです。

体内時計が精密時計のように整っていて結構なことだと、そう思っていました。

ちなみにこれは平日のみの現象で、休日にはこれが発動しません。土日が休みですが、その時はアラームが鳴るまで起きないのです。(※ちなみに、休日のアラームで寝ぼけて、あ!仕事いかなくちゃ!、、、いや、今日は休みか、、と我に返り得した気分になりハッピー、という現象がありますが、これも実はいい状態ではありません。日頃、気持ちが追い込まれているからそうなるようです。)

 

普段、気持ちがリラックスできていない緊張状態にあると目覚ましアラーム前に目が覚めるらしい

どうやら、よくない症状のようです。

なんだかんだで自分は健康だと思っていましたが、心はやはり悲鳴を上げていたようです。

本来は人間は、目覚まし時計アラームと同時に起きるのが、リラックスした眠りにつけている証拠らしく、目覚まし時計前に起きてしまうのは、過緊張状態にあるからだそうです。

こんな生活、そういえば若いころはなかったな、そう振り返ります。

今は、毎日のように仕事で、あれができていない・これができていないと夢の中でも追われるような気持ちで、月曜日の朝はまるでこの世の終わりのような絶望感で体をひきづるようにして会社に向かいますが、それはつまり緊張しっぱなしで疲労が蓄積しているからでありましょう。

マインドフルネス? 何それおいしいの?

ネットではマインドフルネスを実践すればリラックスできるだなんていいます。ほかに入浴して体を温めるのもいいなんていいますが、結局、目の前の仕事の重圧、家庭を一人で支えるプレッシャー(嫁は働く気なし)の中、とてもじゃないですけど、気が楽にはなりません。

ただ、ひたすら、この異常な泥沼状態になれることこそが唯一の打開策、という印象です。でもこれは消耗戦。

ラソンです。

いつまでもつのか、私はそんなサバイバルな日々を送っています。

さぁ、今日は日曜の夜、明日からまた怒涛の一週間が始まる、、少し早く床について備えようと思います。

 

 

 

こどもに対して今日のオヤツはなし、というのはパワハラだと思う

子どもに対して、罰を与えるために、

 

「今日のおやつは無し」

「明日のおやつは無し」

 

と言いこめるのはパワハラだと思います。私の嫁がよく使う常套手段ですが、

これは立派な虐待だと思います。

 

実際におやつを与えないことが虐待なのではなくて、そういう、現代において当たり前のように享受される機会を奪う苦しみをそそのかすことが、それに値するということです。

なんて贅沢な、と思うかもしれません。しかし水が汚れた国で綺麗な水を飲むのが贅沢であるように、贅沢という観念は相対的なものです。

現代の日本ではお菓子を食べるのはもはや三食プラス一食として、食生活に欠かせないと考えてもいいような気もします。(昔々は菓子は贅沢品で、与えなくても問題なかったと思いますが)

それをあっけなく奪うことをチラつかせるのは親としてどうかと覆うのです。

 

子どもを思うようにコントロールするためであったり、

はたまた日頃のストレスのハケグチとしての加虐行為。

 

直接殴る蹴るでは良心が傷みますし、暴言で責めるのもやましい、そんなときに、おやつは無し、というソフトな罰を与えることは倫理的にもギリギリセーフなのではないかと勘違いしてしまうのではないでしょうか。

 

おやつを与えない、という行為自体は何も問題はないかと思います。

しかし、さんざん親が自分で餌付けするかのようにおやつを与えてきただろうに(そうでない場合もあるでしょうけれども)、それを与えらえる機会を奪うことを交渉材料とするのは、もはや身勝手としかいえません。

 

でも、効くのでしょう。こどもに分かりやすく恐怖をあたえるには、そういう分かりやすいメッセージを出すのが。叩くよ!とか殺すよ?というのは実際に体罰を与えていないと、罰のメッセージとして体感的に響きません。

ムチをちらつかせるのではなくて、アメを奪うことを罰とする、

これこそが、なんだかんだで豊和な時代の、残酷な罰です。

パワハラです。力で抑えつけています。

そしてそれはまた連鎖を生みかねません。そういう罰を受けてきた子どもはまた親になると同じように子どもを叱るようになる可能性が高いからです。(パワハラを受けてきた人が出世するとその人もまたパワハラをするようになることが多いといわれるように)

 

とても悲しいことです。

 

でも世の中、攻撃的な人ばかりで、なぜかこういうソフトな加虐行為は、逆に「たったそれぐらいで傷ついてしまうほうが悪い」という風潮があります。人間は、私のように、一見図太そうに見えて、実はたった一言で、背後から不意に頭を鈍器で殴られたような脆さを持つというのに、です。

 

この妻は、

私に対しても、何を奪うことをチラつかせることで優位に立とうとします。とにかくその時ハマっている楽しみとか趣味の機会を奪うことを主張してくるのです。

 

 

 

 

年下の上司に怒られて、皆の前で怒鳴られて、情けなくて仕事を辞めたい

私は21年現在41歳の厄年真っ只中の身分です。

日々、年下上司のパワハラで気分が鬱で滅入っている中年の親父です。

ストレスでハゲそう、というよりハゲできた。つむじの方から砂漠化が進んできてハゲになりそう。元々見た目だけは若いのが取り得だったのに、年下の上司に怒鳴られてほんろうされる日々に辟易しています。

私は人様に対して、あまり、●んだらいいのになどと思う方ではないのですが、痛い目に遭えばいいのにと憎しみを抱いて憤死しそうなくらいです。(でも家族のため、仕事をおいそれと辞めるわけにもいかず、毎日耐えています。人間、苦痛に耐えるために生まれて来たのだろうかと気に病む日々です)憤死というと、世界史でよく見かける言葉です。学生の頃、いくらなんでも憤慨してそれが原因で死ぬなんてそんなアホなと思っていましたが、そんなことはない、人間、辱めを受けてそれが死に至る精神的なストレスとなると死因につながる、十分にあり得ると、人生も中盤に差し掛かれば理解できるようになったくらいです。それだけ憎い、憎くて、そのストレスで自分が壊れて死にそう、という感じです。

その年下の上司はマウンティングがひどい

とにかくわたしの上司はマウンティングが酷く、自分の意見を曲げない、譲らない、タイプです。場所を選ばずどこがダメ、何ができていない、などとまるで子供を叱りつけるように説教を垂れてきます。

その言い方がなんともプライドを傷つけるような言い方なのです。頭使えよ、というような、上から目線でバカにしたような言い方を公然とするものですから、なんともやる気が削がれるのです。

私はその上司が私より年下のくせに、、ということでいっているのではありません。仕事ではその人の方が先輩ですし、また実際に仕事もできるので尊敬する面はあります。仕事に人情を持ち込まず、成果を一心不乱に取りに行く姿はたくましく頼もしくあります。 しかしそれゆえに、弱い立場の人の気持ちが分からない、いや、分からないことはないのでしょうけれども、とにかくコントロールしようと躍起にマウントを取りにかかってきているのがわかります。

気の強い人ですが、相手を選んで、言い返してこない私のような気が弱い小心者をダシにして、怒鳴り散らして自らのパワーを見せつけてきているようです。

目の前で自分が倒したゴミ箱や、こぼしたコーヒーなどを、ああ俺様は今困っているよ、お前たちは黙って見ているの?という圧をかけてくるような人です。

決して仕事をしない人ではありません。その点は認めます。 ただ、あまりにも非情すぎるのです。 詰めて詰めて相手が凹む姿を見てザマァ見ろとほくそ笑んでいる、そういう感じです。 時折見せるへんな優しさ。気遣い。 若いと、そのギャップにコロッといきそうですが、もうはっきりいってそういう一つ一つの行為が打算で動いているようにしか見えません。

会社の社用車をプライベートでこっそり使う、空の領収書の悪用、たくさんのモラル違反を目の当たりにしてきました。それなのに人には正義をふりかざしてくる姿が、許せないのです。 そういう行為は年上であっても許せないのが、年下なので余計に憤慨してしまう、 でも、仕事もできるし役職もある人なので対応できず、公然と怒鳴られても言い返せず、理不尽さに寿命が縮みそうな毎日です。

拷問のような日々です。毎日、死に物狂いで会社に、私は向かっています。 年下の上司、 その上司の口の聞き方、 なぁ? だよなぁ? 聞いてんのアンタ!? 頭大丈夫? などと公然と言ってくる品のなさ。 こういう人って実際に、世の中いるのです。 そこそこ名の知れた企業であってもたまにいるので、びっくりします。

その上司は自分第一。 電話をしていようとも、用事があれば、横から話しかけてきて、電話切って俺の指示を聞けよというくらいに執拗に話しかけてきます。狂っているとしか思えません。 でもふっと、変な優しい気遣いを見せるのでそのギャップに振り回されます。 人の誕生日を覚えていたり、家族のことを気遣ったり、と。 サイコパシーに富んでいるのです。 言葉巧みで賑やかな振る舞いをするので、女性にはモテるのでしょう。 傍若無人でありながらおべんちゃらを言うので、直接の関わり合いがないと楽しい人としてみられ人気もあるのでしょう。人当たりが良いと言いますか。

でも、裏ではいつも誰かを陥れようとしていて、とんでもない陰口悪口を叩いて、かつそれを周囲にも合意を求めて洗脳しようと躍起です。 立ち回りが上手いのでそれでも役員層にはうまく取り入り、その闇を悟らせません。 この年下の上司、 いや、表現が逆かもしれません。 年上の部下や後輩をなんのけなしに顎で使えるような人は、嫌なやつで、それでいて出世する、、なんとも、私のような〝いい人族”にとっては理解できない人種なのです。 あの自由奔放さはどこからくるのでしょう、それでありながら場所を選んで、時には殊勝に立ち回る。 恐ろしい人です。

MBTI型の性格診断でいうとENTJの分類になるでしょう。

サイトの「16personarity」によると下記の通りです。(赤文字は私がその上司に対してすごく当てはまると思うことです)

指揮官型の人達は、天性の指導者で、生まれ持ったカリスマ性や自信、権威を示しながら、共通の目標に向けて人々をひとつにまとめます。しかし、その他の道理型とは異なり、無情なほど合理的なことが多いのが特徴で、持ち前の意欲や強い意志、切れ味の良い頭脳を活かして、自分自身に課した目標はどんなものでも達成します。全人口のわずか3%を占めていますが、残りの人口の大半を占める、より気弱で繊細な性格タイプの人々が圧倒されないためには、これくらいの割合がちょうどよいのでしょう。とはいうものの、私たちが日頃当たり前のように目にしている企業や機関の多くがあるのは、指揮官型の人達のおかげなのです。
幸福とは達成する喜びの中にある
自分の好きなことで、大なり小なりやりがいがあり、時間と資源が十分にあると確信した目標は、どんなものでもやり遂げることから、起業家として輝かしい成功を納めています。また、戦略的に物事を考え、長期にわたり集中しながら、強い決意と精度へのこだわりをもって、計画の各過程を遂行できる能力により、実業家としてパワフルに活躍しています。この意志の強さが、自己実現の予言となることが多く、他の人ならあきらめるような状況の中で、純然たる意志の力で目標に向かい前進します。また、その外向型の気質により、他人を巻き込みながら、その過程の中で素晴らしい成果を生み出します。交渉の場では、それが仕事上の交渉であれ、車を購入する際の値段交渉であれ、支配的で情け容赦なく、執拗な態度で挑みます。これは、指揮官型の人達が本質的に冷酷または悪質だからではありません。むしろ、こうした環境で味わえる挑戦や知力の戦い、機知に富んだやり取りを心から楽しんでいるためで、相手がそれに持ちこたえられない場合でも、自身の核である決定的な勝利を収めるという信条を曲げる理由など全くないのです。指揮官型の人達の頭の中には、「血も涙もない鬼だと思われても構わないさ。自分が有能な鬼のままでいる限りはね」といったような思考が根底にあるのかもしれません。指揮官型の人達が一目置くような人がいるとしたら、それは、自分に知性で対抗できる人や、自分と同じくらい精度や質にこだわりを持てる人です。また、指揮官型の人達には他人の才能を見抜く力があり、この特殊な能力を活かして、チームを構築したり(どんなに賢い人でも、ひとりですべてをこなすことはできません)、極端に横柄またはへりくだった態度を示すのを思い止まったりしています。しかし、冷たいほど無神経な態度で他人の失敗を指摘する特殊な能力もあり、これが本格的なトラブルの引き金になります。

飲み会が大好きで、タフ、傲慢で冷酷かと思えばときおり見せる甘い優しさ。さっきまで怒鳴り散らしていたかと思うとケロッとしておちゃらけていたり。頭の悪い奴はキライ!らしいです。お前、コイツ、予備がデフォルトのようです。

エナジーバンパイア。私のような気弱な人間にとってはクラクラしてしてしまいます。

怒られた後も引きづって週末も思い悩む。

結局、怒られた週末の休日も、その年下の上司に面目を潰される形で公然と怒られたことが後をひきづり、私は思い悩んでいました。 月曜日、会社に行くことを考えるとゾッとして気分が鬱屈としてきます。 怒られることは仕方ない、でもどうして晒し者にするように怒鳴るのか、それだけが残念でなりません。これは引きづってしまうのです。まぁもうこういうことを何年も耐え忍んでいるのですが。。

 

家庭があると辞めるわけにもいかず、、

 

さぁ、愚痴るだけ愚痴ったので、心を入れ替えてまた明日から頑張ろう! まだまだあと数十年働かないといけないのだから。 もっと仕事ができるようになって見返そう! とポジティブに締めくくることとします。 ※ちなみに、その年下の上司も良いところがあることは補足しておきます。その良いところを思い浮かべながら、どうか来週以降、穏やかな日々が続きますように、怒られませんように。。

 

後記:よかった、最近は怒られていません。。この気まぐれ感というかなんというか。。

さらに後記:また怒られてしまった。。公然とガツンとやられてしまって。。しかもなんでよりによって週末前にやってくるのか。。休日もこれで思い悩んでしまうというのに。。