INFP型・HSPのブログ

MBTi診断INFP型でHSP、40代家庭持ち営業マンの日記

大殺界の転職はチャンス?

※この記事は2017年に執筆したものです。

INFP型の性格の田中、HSPです。

占いを100%信じているわけではありませんが、過去を振り返ってみるとことごとく占い通りと言いますか、当たっている私にとって信ぜずにはいられない部分もあります。


それよりも人生、生きづらいと感じていて苦悩もやはり人一倍なものですから、、

 

発達障害で完全に社会的に働くのはムリです、というくらいの症状ならばまだそれはそれで諦めて、それにふさわしい生き方もできるのかもしれませんが、

 

私の場合は、ADHDっぽい(不注意で集中力が鈍い)レベルなので中途半端。

 

なので病院に行くほどではなく、

いや実際は行ってみてしっかり調べてみてもらった方がいいのかもしれませんが。。

 

職場で休日たる土日も出勤しなくては追いつかないほど要領が悪い私ですから、やはりどこかおかしいのではないかと思ってしまいます。この間は、お得意先でインフルエンザで休養中です、と電話で告げられた人に対し、その2日後にそのことを忘れて電話してしまい、電話の声や周囲の音の雰囲気がどこか家にいるような感じだったので、「あれ?今日は休みですか?」と問うと「今インフルエンザなんです」と、、ハッしまった!!一昨日聞いたばかりなのに!!
なんか自身が認知症なんじゃないかと疑いたくなるようなことがありました。

 

と、こういう苦悩を日々味わっていて普通のことを普通にできればいいのにと忸怩たる思いに駆られて凹んで、そしてその落ち込んでいる間に仕事が捗らず新しいミスをしてまた怒られるという地獄を味わっています。

 

 

辛い目に合うと占いを求める

さてそんな地獄で人は何を求めるかといいますとやはり救いでありましょうか。
かといっておいそれと宗教に入るのはなんともハードルが高くて難しい。

そこで登場するのが占いです。
こんなに自分にだけ災難が降りかかってくるのは何かがおかしい、何かスピリチュアル的にマズイことをやってしまっているんではないかと、何かの機会に占いに触れるのです。
私の場合は周囲に占いに傾倒している親せきがいて、その方からひっきりなしに「今年は引っ越しダメ、来年はいいことあるよ」とか言われてきたものですから、だんだんとそれに染まっていきました。

いや、始めはそれほど信じていなかったんです。

 

なんといっても当時(2000~2005年ごろ)TVで流行していた細木数子六星占術と呼ばれる大衆向けの占いで、そもそも占いなんて誰にでもあてはまることをさも自分だけに当てはまるようにはめるコミュニケーションで、それを用いて人生相談のツールとするもの、くらいに思っていたんです。

 

しかし、あまりにも悪いことが続き、運が悪いなぁどうして自分だけこんなにしんどい目に合うのかなぁと落胆することが多くなるにつれて精神的ダメージが多く、次第に魂レベルで何か起きているんじゃないかと考えるようになった、そんな感じです。

 

大殺界の時に転職した

そして、私があまりにも苦労した転職をした時の年度が、いわゆる新しいことを一切やっちゃダメ、と呼ばれる時期(大殺界)に当たっていたことを知ったのです。(大殺界というのは、他の占いでいうと空亡とか天中殺とかいったものになります。いわゆる運気レベルの一番落ち込む時期です。)

どうやらこの大殺界という時期は、悪いことが起きるだけでなく自分のモチベーションも下がり仕事を辞めたくなる時期でもあるそうです。そこで私は、そうかこの転職はこの大殺界の魔力によるものなんだと変に納得しちゃったんですね。だから新しい他の仕事を探そうともがきました。でも見つからない。

やがて大殺界が明けた翌年、運気としては「種子」とよばれる、いい時期に入ります。

しかし、当然いきなり大変な仕事に慣れて気分が晴れ晴れと、、なんてことはなかったわけです。本来はこの大殺界が明けたあとの「種子」と呼ばれる運気は自分の運気が上向き、気持ちが明るくなり、いいことが起き始める時期だそうです。

でも、一向に改善される様子もなく。。

そうか、大殺界の終わりに転職したからの魔力みたいなのを引きづっているのかと苦しんだのを覚えています。家族にも苦悩を分かってもらうように家でも溜息ばかりをついては、自分の苦しみを理解してもらうアピールをしていました。

で、そこからどうなったか。辞めたんでしょ?と思いますよね。

実は、

そこから次の転職まで12年間続きました。

しかも会社ではエースと呼ばれるまでに成長しました。

 

なんと私は、大殺界の終わりの最も転職をしてはいけないと呼ばれる「減退」に転職したにも関わらず、結局そこで耐えていくうちに成長できたのだと思います。だんだんと環境に慣れて強くなったのだと思います。


ADHDっぽ筆者なのに?と思われた読者さんもいるかと思いますが、それでも周囲がその特性を許容してくれる環境になっていきフォローしてくれるようになったのです。だんだんと恵まれていったのですね。

だから、大殺界の転職も悪いというわけではありません。

むしろ、人はツラい目に合わないと成長しないし、また楽な仕事は給料が安いものです。

 

つまり大殺界の転職は過酷な目にあいますが、その分自分の糧となり自分を逞しくしてくれる機会なのだと思います。その時持っている自分の能力以上の職場に入ると苦労しますよね。

それは逆にいえばそういう職場に入ることができるのはこの大殺界の時だともいえるのかもしれません。

そして今

さきほど私は大殺界の時に入った職場に12年間務めたと書きました。そう、12年後はまた大殺界なんですね、また私は大殺界の時期に転職して今に至るのです。

はっきりいって、まだ苦労しています。

とんでもないボリューム量の仕事でかつ難しい内容の職場に転職することになり、その大殺界が明けた「種子」の年たる今でさえ、まるで呪われたかのように降りかかる仕事上の災難、これはなんなんだ!!毎日多方面から叱られ、時にパワハラまがいのこともされ、でもグッとこらえて毎日を送る、仕事が追い付かず休日出勤で、もう半月ぶっとうしで働いているような状態です。ストレス過多、頭痛い。。

 

でも前回の大殺界での転職の教訓があるから、私は将来を信じて日々を耐え忍ぶことが、ギリギリですけどできています。

苦しい、苦しい、やることいっぱい、あれやらなくちゃ、これやんないと、終わんない、ああ怒られる、失望される、迷惑かける、ああどうしよう、誰にきけばいいんだろう、
頭が痛い、背中が痛い、もう辞めたい、でも生活できないから辞められない、、

こんな苦悩を抱えて青息吐息です。

さぁいつまで持つか。
でも信じて明日を生きようと思います。

 

追記:2019年になりました。

種子→緑生へと変わりました。さぁ、、大殺界の時に転職した私、どうなったかというと、、

できることが増えてきてちょっとだけですがやりがいも出てきています。もちろんハードな環境であることには違いありません。しかし、ハードな環境というのはつまり自分を成長させる環境でもあるのでそうやって私はパワーアップができたという感じはあります。

思い返せばよく一年耐えたと思います。毎日のように怒鳴られ急き立てられ、もう本当にノイローゼになるんじゃないという日々の連続で休日も気が休まることがない時期がありましたが、年末にかけてよい流れができました。

まだこれでやれるという確信があるわけではありませんが光は見えてきました。

 

 

2019年8月3日追記:
仕事が忙しすぎて死にそうです。

毎日7:00出社 20:30退社、土日はどちらかで半日仕事、というのがデフォルトになってきましたがそれは幸せなことでしょうか。

でも生活ができているからなぁ。。

 

2019年11月4日追記:
さて、最近は年下のイジワル先輩の圧力も(前からひどかったのですが特に)激しく、「何年やってるんだよ!?」「この素人がっ!」「脳みそ入ってんのか!?」といった公然の罵倒に加え、実際にビンタされたり頭を叩かれたりとひどいものです。
なかなか運は上向きません。
、、、
なんか、背中もどんよりと重いのです。重い、なんか載っている感じ。山へ芝刈りにいくおじいさんが背負ってたカゴをいっつも背負ってる感じ、これは将来を案ずるプレッシャーなのか!?

でも、暗いことばかりでもなく、
少しずつですが光明も見えてきた感じもあります。

つい数か月前はひたすら問題が積みあがっていくようでしたが、今はひとつずつそれが氷解していくような状態です。もちろんそのためには自分の頑張りもあり、周囲の支援もあり、といったこともあります。
例えば、前述のイジワル先輩も、罵倒オンリーではなく仕事もみっちり教え込み叩き込んでくれている側面もありワタシの糧にもまたなっているのです。となると、今は痛くてもそれは後に生きる。

だいぶ、この大殺界の転職にて人生で積み上げた業、その毒のデトックスができてきたのかもしれません。

 

2019年12月4日追記:
油断しました。

このひとつ前の追記で「光明が見えてきた」と書きながら、11月中旬から末にかけてクビにはならないまでもワタシの信用に大きくかかわるくらいの大失敗をやらかしてしまい、社内外ともに責め立てられ、そのリカバリに追われて大変な日が続きました。
ああ、もう俺は終わりだ、、苦しい、、どうしてこんな失敗をやらかしたんだ、あんなに慎重にやったのに、、周囲に迷惑をかけっぱなし、消えたい、、と会社を辞めることばかりを考えては、そうはできない家庭環境を鑑み、ぐっと我慢しては絶望の日々。。

でも、
雨はいつか上がる、暗いトンネルはいつか抜ける、なんて名言が、他人の立場に立っているようで不幸のど真ん中にいる当事者にとっては迷言でしかない、、

そんな言葉もまた、やはり真理なのかもしれないという状況になってきました。

大殺界の一番転職してはいけない年に転職して2年、その2年を超えたのがこの11月でもあり、だんだんと上向いてきたのを感じます。

これは統計的にもそのようで、実際に、即戦力を期待された中途入社であってもその実力を発揮できるのが、3年目からだそうです。

日経テックの記事でこんなのがありました。

▽▽
「期待のエース」だったはずなのに、中途採用社員が即戦力になれない理由

新卒採用の場合、同じ職場に複数の新人が同時に配属されることも珍しくありません。しかし中途採用では、事業拡大のための大量採用などでない限り、職場に配属されるのは1人だけのことが多いでしょう。

そこでは、マネジャーも社員も期待を持ってあなたを待っています。そしてこんな言葉をかけられます。「即戦力でお願いします」「待ってました」――。

このように、中途採用を実施する企業のほとんどは即戦力を期待しています。しかし実際には、中途入社した社員がすぐに高いパフォーマンスを発揮できるわけではありません。

中途入社が多い外資系では、「インダクショントレーニング」といった名称の中途入社社員向けオリエンテーションを用意していたり、入社後1年間程度は定期的にカウンセリングをしたりといったフォロー体制を整えている企業があります。それだけ、中途入社社員が企業風土や業務に慣れることは大変だということです。

しかし国内には、中途採用の経験が浅い企業がまだまだあります。こうした企業は、中途入社の社員に対して過度な期待をかけてしまいがちです。「中途採用面接を突破したのだから、自社の困りごとを解消してくれる救いの主だ」といった見方をしてしまいます。

●プレッシャーを感じる必要はない
このような出迎えを受けた人は、「なんとか期待に応えなければ」「これほど期待されているのだからびっくりするような成果を上げなければ」と気負ってしまうものです。しかし、そんなプレッシャーを感じる必要はありません。

中途採用であっても、入社1年目は新入社員と同じです。まずは大きな目標を掲げるのでなく、自社の業務の仕組みやそこに関わる人たちを理解することに集中しましょう。これは、会社という組織で成果を上げるために不可欠な作業です。
「この会社で○○をやりたい」という思いがあっても、それをいきなり周囲に理解してもらうのは現実的ではありません。会社が変われば、社内用語1つとっても変わります。自分の考えを理解してもらうには、まず自分の周りの人々や業務を理解することです。一見遠回りなようですが、実は近道になります。

会社によっては、「うちの社員はぬるま湯につかっているからビシビシやってくれ」「うちのやり方は古いからどんどん提案してくれ」と経営層から言われることもあります。それを入社後に実行して、失敗する人が多くいます。もちろん積極的な取り組みは必要ですが、どこの誰か分からない人にいきなりものを申されても受け入れられない職場は少なくありません。

ですから1年目は焦らずに、職場の人々や業務を理解しましょう。それを踏まえて、どのように成果につなげるかを考えることが求められるのではないでしょうか。

もちろん中には入社1年目から驚くような成果を上げる人もいますが、そうした例はまれです。よくよく話を聞いてみると、「前職から何人かがチームでまとまって転職して、顧客まで一緒に持ってきた」といったケースだったりします。

●2年目に目標を着実に達成する
2年目は、目標100%達成を目指します。これは中途入社社員としては必須でしょう。組織、業務をしっかり理解した成果がここで発揮されなければなりません。

社内のどのリソースを活用したら成果に結びつくか、プロジェクトを進める上で誰がボトルネックになるか。それは相手の能力によるものか、自分と性格が合わないからかなど、1年目に集めた情報を基に仕事を進めます。そして目標を着実に達成することで、その人の評価が上がり、信頼も深まります。

人間関係も良好になるでしょう。1年目は、中途入社社員に対して懐疑的で、「お手並み拝見」とばかり様子見な社員もいるでしょう。例えば、技術職のように専門性の高い職種や、年上の部下、転職をしたことがない社員などには、外から転職してきた人に対して否定的な人はいます。そうした社員には自分のパーソナリティーなどを理解してもらうと同時に、やはり仕事を通した成果で信頼を築く必要があります。

●自分のカラーを出すのは3年目
そして3年目から、自分のカラーを出して目標の120%の成果を目指しましょう。3年間もかけるとはのんきだと思うかもしれません。しかし、開発から製造、販売、そしてサポートまで一定の期間を要するものづくりの職場では、長すぎることはありません。ITベンチャーなどでは数カ月単位で活動するでしょうが、本当に自分なりの成果を上げるには、下地づくりにじっくり時間をかけた方がよいと筆者は感じています。

お伝えしたいのは、「仕事は1人でなし遂げるのはほぼ不可能。目標達成には組織の力が必要」ということです。当たり前のことのようですが、転職者をめぐってはしばしばこの視点が忘れられてしまいます。「1つのポジションに対して1人が選ばれる」という転職活動の性質上、個人に注目が集まり、周りの期待がその人に集中してしまうからです。

転職活動自体は個人でも、入社後に必要になるのは組織での活動です。それを意識しましょう。「転職したばかりで力を発揮できない」と悩んでいる人は、少し落ち着いて、3年間の計画を立ててみてはいかがでしょうか。

△△

、、、とのことです、納得。自分のカラーを出すのは3年目、つまり2年が丸まって以降ということです。
そうなると、やはり、昔ながらの石の上にも3年、といって我慢をまずは3年やってみるのも理にかなっているのかもしれません。

 

2020年5月1日追記:

今年は厄年の前厄の年であります。数え年で41歳。

いい年になりました。

そして、年初からそういうことを甘くみており、人生に振りかかる災難は甘んじて受け入れるしかあるまい、つまり起こりうる災難はしっかり受け止めよう、そうでなくてもここ最近はまっとうに自分の欲望を殺して生きてきた、なんて思い、カルマを浄化してきた、つまりは俗にいう災難が降りかかる年周りであっても問題なく平均的な確率での災難遭遇率に収まるだろう、、と思ったのもつかの間、2月からしっかり襲ってきました。災難、それも人生で一度の危機たる大きなあれ、そう新型コロナです。

 

いや、私自身が新型コロナにかかったわけでもなく、また身の回りでそういうことになたわけでもありません。が、間接的にそれが私が今仕事で従事している担当としてもろに関係してくる状況になり、社内外で責任追及され、もう人生で最大の鬱病寸前の危機といっていい状態の攻められぐあい、ああ、このまま私は精神的に追い詰められ、ノイローゼとなり、朽ち果てるのでは>>

 

と感じて日々を過ごす次第でした。

 

もうこの仕事はやめよう、転職しよう、でももう41歳になる私に門戸を開いてくれる職場は、

 

ない、

 

のでした。

 

つまり、私はそこから結局職場に残らざるを得ず、日々、気が狂いそうになりながら戦い、今にいたるのでした。

 

続きはまた今度。

 

2020年7月3日追記:

ああ、ここ二か月、わりと調子よかったのかな、と思っていましたがやっぱり波があります。ここ2週間くらいはまた上司に激詰めされたり、公開パワハラを受けたり、飲み会強要と、ハードな日々が続きました。挙句の果てに、仕事も自分のおよばないところでトラブったりと悲惨です。https://infp.hatenablog.jp/entry/2020/07/03/225745 ※←参考までにトラブルが起きて苦しいことを綴ったエントリーです。

 

そういえば、月運が7月~9月まで私は大殺界なのです。年運は立花、立花のときは運気を強調するそうですがそういうのもあるのでしょうか、、ああ、阿鼻叫喚、きついです。