娘が難病、どこまでも苦しいこの人生
INFPでHSPの田中です。
もう、だいぶ生きてきました。40歳になり、人生も折り返し、いや人生100年時代にあっては40歳を折り返しとは言わないのかもしれません。40歳は不惑といいます。
不惑、惑わない、 、、、いや戸惑いだらけのこの人生は、
いつになっても定まる気配はなく、
いつまでこの地獄が続くのかと、青息吐息です。
ふと、土日の休みを終えて、地獄の月曜を終え、火曜が終わった水曜ごろに、少し楽になった錯覚をおぼえるときもありますが、これは単に喉元過ぎれば熱さを忘れる状態で、灼熱の地獄であることに変わりはないのに麻痺しているのにすぎないのでしょう。
娘が下痢続きの難病になった、かもしれない
娘の下痢がもう何か月も続いていて、
どこの病院にいっても原因は不明、と診断されました。一過性のもの、食中毒、だのいろいろな薬も処方されましたが、どれも核心を得ず、とうとう高度医療に頼らなければならないレベルにまで到達し、入院することになりました。
最近では総理大臣の安倍首相がなったとされる潰瘍性大腸炎、という病気がありますが、それが疑われています。
潰瘍性大腸炎は病名の割に難病
この、潰瘍性大腸炎って名前が地味ですよね。国の指定する難病なのに、名前が普通すぎて全然深刻さがないのです。例えば、癌(がん)、という響きはその漢字も、音の響きも、たった2文字なのに、刹那的で絶望的な雰囲気をまとっています。
急所をつく、鋭い魂がこもった語感です。
対して、この潰瘍性大腸炎という響きはどうでしょう。
漢字の響きからおそらく、胃潰瘍の腸版、つまり腸に損傷を受ける、という印象です。
いや、そもそも胃潰瘍も十分にして重病だと思います。
内臓に穴があく、それだけで恐怖です。
しかもそれが胃、という食べ物を蓄えておく場所、つまりはゲロ(という「汚物」という側面もあるもの)を蓄えておく場所でもあり、それが体内に漏れていく、考えるだけでおぞましいことこの上ありません。
確かにエグイ。
これがもし、腸内で起きているとなるとそこから体内に糞を漏らしていくことになり、もう考えるだけで悶絶してしまいそうなおぞましさを禁じえません。
なのに、この潰瘍性大腸炎という、病名としてはひ弱な響き。風邪のことを感冒といいますが、まだ感冒という響きの方がおどろおどろしいようにも思えます。
話が脱線しました。
普通こそが人生の幸せ
たぶん、人生って普通であることが幸せなことです。
人類の顔の平均値をとるとイケメン・美女になると科学的に言われていますが、きっとこれは人の幸福度にも言えることではないかと思います。
退屈で何の変化もない日常こそが実は満ち足りた人生ではないかと。
また話がそれました。
自分の難が去ったと思ったらまた別の難が来る絶望
どうしてこうも人生は苦しいのか?
苦しくて苦しくてとうとう目には見えない力を借りようとトイレ掃除などの開運行為を初めて、ご先祖様のお墓参りもやって、でもこうして苦難は続く。
いや、それとも、
これでも、十分に私にふりかかる災難は最小限に抑えられていて、十分に幸せを享受できていて、贅沢に飢えているだけなのか?
分からない、
ただ、息苦しくて、もう、いい加減に、
人生はもっと、もっと楽であっていいのではないかと切に願うばかりなのです。