保温用にいれておいたコーヒーメーカーのお湯を捨て忘れその上からお湯を注ぐ
家事をすることがどうやら脳によいようですから、今日は休日を利用して掃除・洗濯をしてみました。
不注意が目立つADHDっぽい私は仕事で天然ボケなことをやらかしよく怒られるので、やはり脳を日常的に鍛える必要があります。仕事だけでなく家庭で家事をすることが脳に新鮮な刺激を与えてくれるようです。
※※ 妻や子どもが実家に帰省しており、GW中も仕事の私は何もすることがなく、普段やらない家事に手をつけたみたとうわけです。
昨晩は仕事も珍しく早く終わり(とは言っても定時30分オーバーですが) 家でキツめの缶チューハイを3本あおって、ぐでんぐでんになりながら、TVをぼーっと眺め、youtube(オタクがピアノを急に上手く弾き始めるドッキリのやつ)を見始めて、気が付けば夜中1時、いつも22時半には寝て5時には起きている生活を続けているのに、週末の不摂生を、思う存分に満喫してしまいました。ただそれはとても充実感のない、後味の悪い、つまり後ろめたいリラックス方法です。
昼まで惰眠をむさぼり、そのだらしない自身の有様に溜息をつきながら起きぬけると、 その不摂生により心身に与えたであろうダメージを取り戻すべく、
外に走りいき、そこから掃除、洗濯と一連の主婦がやる流れをこなし、
あ、ごはんを食べるのを忘れた、とコーンフレークに賞味期限の切れかけた牛乳を注いでかきこみました。
家事、これは大変ですね。 でももくもくと作業して目の前のものがひとつずつ片付いていく様子は達成感があり、昨晩味わった薬物で得られる毒を伴う快楽とは違って健全です。
そして、ひととおり家事も終え、 コーヒーを入れようとしました。
コーヒーには事前の段取りとして、なんていうんですかね、あのビーカーみたいなやつ、コーヒーサーバーというのでしょうか、
ここに、保温用のためにお湯をためていたのです。
当然ですが、コーヒーの粉を上にセットしてお湯を上から注ぐ際には、 コーヒーサーバーにあらかじめ入れていたお湯を捨てないといけません。
段取りとして、コーヒーサーバーにお湯を貯めてから他の用事をしていました。 その時確かに私は頭に、刻んでいたのです。
コーヒー用のお湯を入れるときには、 このお湯を捨てなければならないのだと。
そう頭に刻んでいくら経ったでしょうか、 3分?その間は覚えていました。
大丈夫、私はしっかりイメージできている、一度お湯を捨ててからお湯を淹れる。
電話が鳴りました。 妻と実家に帰っている娘からでした。
電話を終え、 キッチンに戻る私。
コーヒーを淹れなければならない。
ここで悲劇は起こります。
手袋をして(←ここ大事!火傷しますからね、注意です)お湯の沸いたケトルに、手をかけてお湯を注ぐ。
ごく平和的な日常、 穏やかな気候で心地よい午後、一仕事終えてのティータイムはひとときの幸せ。
お湯がコーヒー粉をくぐり抜け、物理法則に従い コーヒーサーバーに落ちようとしている、 香ばしい匂いを漂わせながら、綺麗な茶褐色をしたその液体は、
サーバーに落ちた瞬間に、淡くもやもやと広がり、
そこでどうやら私は、お湯を捨て忘れていたことにやっと気が付いたのです。
まるで何気なく過ごす普段の日常が奪われて初めてそれが掛け替えのない幸せであったことを悟るように。
私は慌ててケトルを置き、サーバーの上のコーヒー抽出器具を持ち上げ、シンクにサーバーのお湯を捨てるも、その間手に持った抽出危惧からは無情にも残りのコーヒーの液体が垂れ続け、辺りを茶褐色で染め上げるその様子は泥を運ぶ洪水。
サーバーのお湯を捨て、なんとか元の形にセットするも、もう最初の一番美味しそうなコーヒーはそのほとんどを流出しはて、力なく残りの雫をぽたぽたと落としていました。 クリスマスの前日にやってきた慌てん坊のサンタクロースはこんな心境だったのでしょうか。
注意力を磨かねばなりません。 数秒前まで気を付けられていたのに、そこでワンアクション何か予定外のことがあると漏れてしまう、この残念さ。
コーヒーは、 なんとかおいしく出来上がりました。
おいしくて2杯目も飲みましたが、すでに冷めててレンジで温めなおしました。 つまり1杯目のためだけの保温のためにこんな辛酸をなめたわけです。