気を利かせる方法。気が利かないコミュ障。。
いやいやホントにコミュ障って大変ですね。今日も私自身、マジマジと「自分てどうしてこんなに他人を避けるんだろう」と思う場面がありました。私はコミュ障のくせに社会人スポーツサークルに入っているのですが、今日待ち合わせでワタシ含めて三人だったんですね。 そこでコミュ障発揮です。何も喋らないのです。 どーんと、その場で空気のオブジェになっていました。
もう、藻、みたいなもんです。岩場に張り付いている藻。 貝とかは黙っていてもなんとなくそこに存在感がありますが、コミュ障の藻感は、何というか、確かにそこにあるのだけれどもスルーされる存在、でも何か気を遣わせるし、目障りという感じなのでしょう。 でもね、きっと嫌われてはないと思うんですよ、好かれても決してないわけですが。
いてもいなくても変わらない、それぞコミュ障。
さぁぁっぁって!そんなコミュ障ですが、コミュニケーション能力が欠如しているっていうことはすなわち何かというと社会性の欠如だと言えます。
ちょっと表現が難しいですよね、
簡単にいいましょう。
気が利かないのです。
気が利かせ方3つ
気が利く、って何ぞやですね。 辞書を引いたら「細かいとこにまで注意が及んでいる。洒落ている」とかいった意味合いです。 実生活でいうと、進んで皆が目から鱗で「あっ、それいいね!」と思われる発想をとっさに行動に移せる能力という感じでしょうか。
①スゴイ気の利き方
スゴイ気の利き方というのは、かゆいところに手が届く言動ができることでしょう。これができる人というのは天性の才能です。なんとなく深層心理でこうだったらいいなぁ、、と他人が思う事をさっと形にして出せる人はこのタイプです。 人が不便に感じつつもそれを仕方ないものとして受け入れている状態のときに「あっ!その方法があったか!」と気づきを与えると同時にその行為によって周囲が利便性を享受できるという、理想的な気の利き方です。 具体的に例えが浮かびませんが、たまにそういう人いますよね。すごい気が利く人。
こういうタイプは、なかなかいません。 ある集団の中に一人いればいいほう、というか発信者が特定されます。誰にでもできることではないからです。機転が利いてリーダーシップのある、本当にデキる人がこれに該当します。
②ちょっと気が利く人
ちょっと気が利く人というのは、まぁなくてもいいけどあったらいいね!ができることでしょう。 少し考えを巡らせば思いつくこと、でも「まぁいいっか」で見過ごされがちなことをマメにできるという、いわば努力型の気の利かせ方です。
バーベキューの買い出しとか行くときに、ウェットティッシュとかそういう所に気が付く人は割とこれに近いのではないでしょうか。
これは、誰かがこういう役回りを買ってくれます。 ポーン、と提言してくれるんですよね。
➂普通の気の利き方
普通の気の利き方というのは、なんというか、まぁ誰でも思いつくことを率先して提言して行動に移せることです。 全然言ってる内容ややっていることは当り前のことなのだけれども、誰よりも早くそれをやろうとすることに価値があるタイプです。 やったほうがよいということは誰でも知っているけど面倒くさいから後回しにするかうやむやにしようとすることを、きちんと実行できるタイプとでもいいましょうか。 こういうのは、一人一人の価値観によって大事にしたいポイントが違う、つまりはこだわるポイントによって、コミュニティにおいて行動を起こす人が変わります。
これは、モラルの問題です。誰でも思いつくことを当り前にやれるかどうかなのです。つまり、大人になれば本来身に着けていなくてはならない基本的な能力というかマナーですね。
大変な目にあった人などに「大丈夫だった?」とか声をかけてあげることも、これです。当り前なのだけれども、ベタにそれができるというのも、普通の気の利かせ方です。
気の利かないコミュ障
ちなみに、上記の気の利き方というのは、少なくとも➂は必須で持っていなくてはこの世の中はスムーズに渡っていけません。②のスキルも持っていないと今やこの競争社会も安泰ではないでしょう。 ①にいたっては、まぁ天性の世渡り上手なので気にすることはありません。できなくてフツー、できたら天才なのです。
で、コミュ障。
コミュ障の場合は、基本のスタンスが「暗い・大人しい・ボーっとしている」と周囲から評されます。
これって表面をなぞらえた言葉ですが、副次的な結果として「気が利かない」を生み出すのです。
いや、世の中の社交性とは何たるやですが、これはいかに気を利かせるかなのです。
アナタは人に自分から何かプレゼントしたことがあるでしょうか?
人にプレゼントされたお返しにしてあげるというのではなくて、自発的に気を回してそういう働きかけをしたことがあるかということです。
・・・、ない、と答えたアナタはコミュ障認定であり、また、それこそがコミュ障の特徴でもある「気の利かない人」なのです。
いや、分かる。
あえてやっていない、とかいう気持ちも分かります。
でも結果として、打算も含めてそういうことをしていないのはコミュ障なのです。
多分将来、お歳暮とかお中元とか送ることはないでしょう。 年賀状も年々減って行き最後はゼロになるでしょう。
確かに世の中の流れがそうなっているのもありますが、これは日本のコミュ障の深度が高くなっていることの表れでもあるのです。 日本総コミュ障。
気を利かせる方法
ではどうやれば気を利かせることが出来るのでしょうか。
非常に答えはシンプルです。
純粋に人に関心を寄せ、人を好きになることです。
あの人には世話になっているから、みんなにいい思いをさせてあげたい、という湧き出る人情こそが、「気を効かせる一番の方法」でしょう。
上記の例でいうと、②と➂は、努力でできます。 人にどうやったら喜んでもらえるだろうか、ということでできるはずです。また自分もどうやったら人に借りを作らずお天道様や世間様にどうどうと顔向けできるだろうかと、他人も自分も大事にしようという心があればできることだと思います。
これを打算的にやろうとすると、どこかでボロが出ます。 要は相手の気を引くためつまりは自分がよく思われたいがために気を利かせる、要は気が利く人間だと思ってもらいたいということでやっていますと、ボロがでるのです。 ムラができる、というかアッチでやってコッチでできていない、という脇の甘い結果になるのです。
というわけで、気が利かなくて悩んでいるなら、まずは改心しましょう。
テクニック論に走らず。